「熱海土石流」盛り土業者「小田原城史跡」の土地を1億3000万円で市に転売でボロ儲けの手口

「熱海土石流」盛り土業者「小田原城史跡」の土地を1億3000万円で市に転売でボロ儲けの手口

国指定史跡「小田原城址」天守閣

 熱海で発生した大規模土石流の原因となったとされる盛り土。その工事を行った業者として責任を問われているのが、神奈川県小田原市の不動産業者X社である。X社代表のA氏は地元・小田原でも、同和団体代表の名刺を持ち、いわくつきの競売物件を扱う業者として有名だった。10年前には「小田原城史跡」に指定されそうな土地をめざとく競売で落札。市に転売し、“濡れ手に粟”の利益を得ていた。

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■戦国時代の遺構が眠る街


 戦国時代、北条氏の本拠地だった小田原城。「小田原城址公園」があるJR小田原駅周辺は、いまは商店街や住宅地となっているが、地下には当時の遺構が眠っているとされている。

 東口から徒歩8分。急な坂道が続く住宅街の一角に、雑草が生い茂る空き地があった。ここは、城址公園と線路を挟んで反対側にそびえる八幡山と呼ばれる区域で、埋蔵文化財包蔵地に指定されている。後北条家の開祖・北条早雲の時代は、このあたりが城の中心地だったという。

 土地の広さは約1200平方メートル。所有者は小田原市だ。はたから見ると、ただの空き地にしか見えないが、市によれば、

「2011年に市が行った試掘で、横3メートル、深さが最大10メートルに及ぶ『障子堀』という小田原城の遺構が発見されました。そのため、市が12年に所有者から購入し、現在も保存しております。同年、国指定史跡にも指定されています」(文化部文化財課)


■隣接する土地で起きていたマンション建設反対運動


 登記簿謄本によれば、この土地は02年に東京の不動産会社が前所有者から購入したもので、2軒の民家が建てられていた。だが、10年5月に債権回収会社によって差押えられ、横浜地方裁判所小田原支部で競売にかけられることになった。

 競売が成立したのは、翌11年9月のこと。地元不動産業者は「3度目の競売でようやく買手がついたと聞いている」と振り返る。なぜ、なかなか買手がつかなかったのか。そのワケは、この土地に隣接する「八幡山古郭曲輪」と呼ばれる史跡で起きた騒ぎを振り返れば、すぐにわかることだ。下記はそれを伝える新聞記事である。

〈小田原城天守閣の近く(小田原市城山3)に天守閣を超える高さのマンションが計画されている問題で13日、地元の自治会や歴史研究会などが結成した「『歴史のまち小田原』を創(つく)る市民協議会」が市役所周辺で建設反対と計画地買収を市に求めるデモをした。「小田原城が泣いている」、「負の遺産を子孫に残すな」と書いたプラカードを手にした約40人が、「天守閣を見下ろすマンションはいらない」と訴え、約800メートルを歩いた〉(毎日新聞・05年5月14日掲載「小田原城前のマンション計画:市民協がデモ 建設反対など市に求め」)

 04年にこの土地を取得した業者が、市に13階建のマンション建設計画を提出したところ、地元で激しい建設反対運動が起きたのだ。市と業者の話し合いはもつれにもつれたが、結局、業者が折れ、05年6月に開発を断念。市が6億2000万円で土地を買い取ることで決着がついた。この騒ぎの最中、市が発掘調査を行ったところ、戦国時代の方形竪穴状遺構や掘立柱建物跡が発見された。06年、この土地は国指定史跡に指定され、10年に歴史公園として整備され、現在に至っている。


■土地取得に乗り出したA氏


 競売にかけられた土地は、この騒ぎが起きた土地のすぐ隣なのだ。地元不動産業者が言う。

「このような土地は手を出すと非常に厄介なことになります。土地を取得したら文化財保護法に基づき、まず市に届け出をしないといけません。届け出をして市が試掘調査を行うと判断された場合、調査が終わるまで開発はストップしてしまう。すぐ隣が史跡認定されているのだから、高確率で遺構が出てくるでしょうし、貴重な遺構が出てしまえば、開発は断念せざるを得ない」

 だが、逆に”しのぎになる”とこの土地に着目し、取得に乗り出した業者こそが、熱海の盛り土問題で取りざたされているX社のA氏なのである。

 では、A氏が競売で落札した11年9月21日から、この土地を巡る動きを辿っていこう。市の文化財課に残されていた記録によると、A氏は落札した当日、その足で同課を訪れ、「この土地を落札して所有者となった」と報告してきたという。2週間後の10月4日には、この土地を宅地造成したいと、文化財保護法第93条に基づいた届け出を提出した。

 ここから市は「尋常ではないスピード」(前出・不動産業者)で動き出す。2週間後の10月17日に試掘を開始。さらに、10月26日から28日までに2回目、12月19日から26日までに3回目と調査を進めた。市の担当者はこう話す。

「貴重な遺構が眠っている可能性が高いということで、すぐさま試掘に入りました。その結果、障子堀などの遺構が見つかったため、これは大変な発見だということで、Aさんに対し、すぐさま土地の開発を止めてくれませんかという交渉に入ったのです。同時に、文化庁にもここを新たに史跡として追加指定したいという問い合わせをはじめました」


■不可解な所有権移転


 だが、実はこの時点で、A氏はこの土地を競売で落札はしていたものの、正式にはまだ所有者にはなっていなかった。登記簿謄本によれば、彼が正式にこの土地の所有者となったのは、市が2度目の試掘を終えた後の11月21日のこと。A氏は裁判所に入札代金を納付していなかったため、所有権は移転されていなかったのである。つまり、市は前所有者名義の土地に幾度も入り、勝手に試掘をしていたということになる。

 さらに、謄本には驚愕の事実が記載されていた。彼は正式に所有者となった同日に別の業者Y社にこの土地を転売しているのだ。いったいどういうことなのか。この不可解な取引のカラクリを、事情通が明かす。

「A氏ははなから宅地造成する気などなかった。市に転売して儲ける腹づもりだったのですが、土地を購入する資金を持ち合わせていなかったのです。だから、競売に参加する際に必要な供託金だけ納めて先に落札し、後からスポンサーを探した。それがY社の代表のB氏だった」

 A氏は人の紹介で初めて会ったB氏に、このように持ちかけたという。

「自分は国会にも顔が利く地元の大物だ。同和団体の幹部も務めており、市には強く物を言える。市の尻を叩き、間違いなく市に適正価格で買い取らせる。このヤマに投資しないか」(同)

 すでに市が試掘に動いて遺構を掘り出し、文化庁にかけあっている最中だったという情報も、B氏の心を動かしたに違いない。

「そこでB氏は、このヤマにかけることにした。落札代金を納付する日、A氏と2人で裁判所を訪れ、まずA氏に持参した供託金を差し引いた落札代金を手渡した。A氏はそれをそのまま納付し、まずA氏が代表を務めるX社が正式に所有者となった。そしてその場で、X社からB氏が代表を務めるY社へと所有権を移したのです。その際、B氏はA氏に、約束していたカネを払った。つまり、A氏は自分が取得した購入価格よりも高くB氏に売りつけたのです」(同)


■利益は最大で8000万円


 こうしてA氏は供託金という僅かな元手でこの土地を転がし、大金をせしめることに成功したのだ。この土地はそれから半年後の12年4月に、小田原市土地開発公社がY社から買い取り、最終的には小田原市が公社から買い取った。市の買い取り価格は約1億3000万円。この金額で市に買い取ってもらえる算段があったからこそ、B氏はA氏から落札価格よりも高値で土地を買い取ったのであろう。では、2人はこの取引でどのくらいの額を稼いだのだろうか。

 競売を行った横浜地方裁判所小田原支部に落札価格を問い合わせたが、「保存期間の5年を経過しており、資料は破棄されている」とのことで確認できなかった。当事者らに問い合わせたが返答なし。だが、ネット上に残されていたこの物件の競売情報を見ると、売却基準価格は4951万円とあった。最低入札価格は売却基準価格の8割と定められている。最大で2人は、この土地転がしで約8000万円もの利ざやを得た可能性があるのだ。どう分けたかは2人のみぞ知るところである。

 何とも怪しいこの土地転がしだが、彼らの取引は堂々と裁判所を介して行われており、違法性は見当たらない。とはいえ、もとを辿れば我々の税金だ。国指定史跡となる土地の購入代金の8割は国からの補助金が充てられるので、小田原市民に限った話ではない。


■誰が損をしたのか


 市は「鑑定士に依頼し、内部で決裁した上で適正な価格が算定されています。それ以前の転売の経緯については関知しないことになっています」と答える。A氏らのために高く買い取ったわけではないとの主張だ。確かに割を食ったのは、この物件を競売にかけた債権者なのかもしれない。だが、前出の不動産業者は「結果的には、市はA氏のカネ儲けに加担したと言える」と指摘する。

「こんなスピードで市を思い通りに操るなんて、普通の業社には絶対にできません。市からA氏に情報が流れていた可能性は高い。こういう土地に手を出せば、1、2年土地を寝かしてしまうこともざらにあるのです。A氏は、兄が市の都市開発部に勤務していた関係で、市には食い込んでいたと聞いています。同和団体幹部の肩書も利用したのではないか」

 悲しいのは、A氏に丸儲けを許しながらも、9年経った今も、この土地が「国指定史跡」とは思えない状態で放置されたままなことだ。市は「将来的には、隣接する八幡山古郭曲輪とつなぎ、整備していく構想はありますが、他の地権者との話し合いが進んでいません」と話す。

 熱海の盛り土同様、A氏はこのような強引な手法で、土地をカネに変えて生きてきたのである。

デイリー新潮取材班

2021年7月19日 掲載

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