初めて明かすプロポーズ「奥様は東京藝大生」未公開エピソード そして青髪の彼女は作家の妻となった

初めて明かすプロポーズ「奥様は東京藝大生」未公開エピソード そして青髪の彼女は作家の妻となった

『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』の著者・二宮敦人さん。学生結婚した妻(東京藝大生)のふしぎな生態に激しく興味を掻き立てられる日々を送っていらっしゃいます!

 累計40万部を突破したノンフィクション『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』(二宮敦人・著)は、社会現象にもなった前人未到、抱腹絶倒の探検記。小説家を探検に駆り立てたのは、学生結婚した妻(東京藝大生)のふしぎな生態だった。そして、探検から帰還して5年経ってもなお、家に帰れば妻という最大の謎は残されたまま。彼女との出会いとその後の探検(ただし家庭内)の成果を、二宮氏が初めて報告する。


■「楽しい、から……?」


 初めまして。二宮敦人というペンネームで作家をしている者です。仕事柄、普段から思いついたことをメモに取る癖がついているのですが、中でも日々、分厚くなっていくメモ帳があります。それが、妻に関するものです。彼女は常に僕の観察対象なのです。

「今年こそ、あれをやりたい。何年も前から、ずっとやりたかった」

 一体何かと聞くと、バケツイネだという。

「何それ」

「バケツでイネを育てる」

「……?」

 ポリバケツに土を入れて、イネを種籾から育てられるそうだ。小学校でやったアサガオ観察のようなものか。だとしても、なぜ数ある娯楽の中からバケツイネを選び出すのだろう。

 聞くと、妻はしばらく考え込んでから、ぼそりと呟く。

「楽しい、から……?」

 僕には彼女がわからない。こんなとき、メモ帳には新たな一文が書き込まれる。

――妻、バケツイネを注文する。ずっとやりたかったらしい。理由は楽しいから。

 メモ帳を読み返すと、妻はダンゴムシを育てたり、メダカを飼ったり、苔を増やしたりしている。


■それでいいのか


 僕は何でも言語化して納得したい人間である。バケツイネを選ぶなら選ぶで理由が欲しいし、それを自覚していたいのだ。たとえば、こんな風に。

――日々、自分が美味しく食べている米というものがどのように作られているか関心があったが、農家に体験に行くような時間は取れずにいた。しかし、ベランダでバケツ一つで育てる方法があると知った。これなら自分でもできるので、チャレンジしたくなった。

 理由が高尚である必要はない。ただ、楽しいなら楽しいで、何がどのように楽しいのか、何と比べてなぜ楽しいのか、そういった分析が必要だと思う。

 そんな僕からは、妻が何も考えていないように見えるのだ。

 テレビでアニメを一緒に見ているとき。妻は感想を口にしてくれる。

 画面の中で、激しい爆発が巻き起こる。はっと息を呑む妻。

「どした」

 たくさんのロボット同士が戦っているのだ。敗れたロボットは腕が千切れ、足が折れて、虚しく宇宙空間を漂っていく。途方に暮れたような声で妻。

「ちんでる」

 しぶとく戦っていたロボットも、多勢に無勢。ついに包囲され、一斉射撃を受けて力尽きた。そして妻。

「かなしい」

 間違ってはいない。そして作品をどう受け止めようと視聴者の自由である。しかしこのシーンにはたぶん、戦争の虚しさや悲惨さ、そしてビーム砲の引き金を引くパイロットの一瞬の躊躇いなどが盛り込まれている。それを、妻は……それでいいのか。

「わ、この鶏のあぶり焼き、おいしい」

 飲食店で、一緒におかずをつついていてもそうである。確かになかなかの逸品であった。表面の油はよく落とされているが、噛むと中はしっかりジューシーで、皮はぱりっと焦げている。麹と醤油をベースにしたタレも香ばしい。

 しかし妻の感想はこう。

「うまうま!」

「どこが気に入った?」

「味がついてる!」

 それでいいのか。

 ある日、妻がパンツいっちょで寝室から出てきた。まだ眠いのだろう、目をこすりながらふらふらと歩いてくる。

 廊下には僕が昨日脱ぎ捨てたズボンが、そのままになっていた。ズボンをまたごうとした妻は、そこでしばらく考え込み。すっとズボンを穿いた。そのまま特別なリアクションなどはなく、ソファまでやってきて座ったのである。

「なんで今、ズボン穿いたの」

 僕が聞くと、妻は答えた。

「落ちてたから……」

 落ちてたから穿くというなら、僕が着ぐるみやふんどしを廊下に落としておいたらどうするつもりなのか。

 この人は行き当たりばったりで生きているのではあるまいか。こんなんで、本当に大丈夫なのか。そう不安に駆られたりもする。


■「手っ取り早いかなって」


 だが一方で、妻は驚くべき行動力と、決断力を持っているのだ。

 妻と初めて出会ったのは、九年前。当時彼女は高校生であった。

「何かお手伝いができないかと思って来ました」

 真っ黒の学生服に身を包んで現れた彼女は、真っ黒の短髪で、どこか男性のような精悍さも備えていた。

「これ、私のポートフォリオです」

 喫茶店に入り、スケッチブックを見せてもらう。

 当時、僕は漫画家を目指して投稿を繰り返していた。僕が原作とネームを書き、友達が作画を担当していたのだが、その友達は就職に伴い、いったん活動を休止することに。そんな時、新しい作画担当候補として紹介してもらったのが、妻であった。

「うわあ、上手ですね……」

 ページをめくっていくと、次々に石膏像のデッサンが現れる。それは見事なものだったが、少し困っていた。僕が描いていた漫画は、シュールなギャグ漫画である。果たして絵の方向性が合うだろうか。

「芸術系の高校に行かれてるんですか?」

「はい! 藝大を目指してるので、予備校にも行ってます」

「藝大って、東京藝術大学?」

「そうです」

 芸術系の大学としては、国内最高峰である。単純に比較はできないものの、考え方によっては東大よりも狭き門だということは知っていた。

「それじゃ、漫画なんて描いてる場合じゃないのでは。まずは頑張って受験勉強した方がいいですよ」

 彼女は素直に頷いた。

「確かに!」

「合格して、まだ僕とやる気があったら、連絡してください。その時もう一度相談しましょう」

「わかりました」

 その時は一緒にお茶だけ飲んで、そこで別れた。

 そして二年後。彼女は再び現れた。

 東京藝術大学、彫刻科の一年生として。

「合格してきました!」

「凄いね」

 やはり喫茶店で、僕たちは向かい合った。

「はい。頑張りました」

「いや、合格したのもそうだけど……その髪の色」

「あ、はい」

 彼女は自分の頭に手をやって、撫でた。たとえるなら、青いマーブル模様のビー玉。ソーダ水のような明るい青色は、あたりの注目を引いている。

「どうしてその色に染めたの」

 そう聞くと、しばらく考え込んでから、こう答えた。

「せっかくなんで。へへへ」

 大学では、飴玉というあだ名を貰ったらしい。

 それから相談して、やはりこの絵柄でシュールギャグ漫画は難しいだろう、という結論に至った。だが、せっかく来てもらったのに悪いので、合格祝いとして焼肉を奢らせてもらった。彼女としては、結局何も手伝えないのに焼肉だけ食べるのも悪いと思ったらしい。

 なぜか後日僕の家にやってきて、確定申告のレシート整理を手伝ってくれたのだ。

 そしてその夜、衝撃の展開が僕を襲った。

「良かったら、結婚してください」

「なんで?」

 まさかの飴玉さんからのプロポーズであった。

「実は、前から小説読んでまして……」

「そうなんだ、ありがとう」

「この作家さんは、一生追いかけ続けたいって思ったんですね」

「光栄だなあ」

「でも私、忘れっぽいんですよ。忙しくなったら、絶対忘れちゃうと思うんです。そしていつのまにか、新刊が出たのにも気づかなくなって、そのまま放置しちゃうって思って。それは嫌なんです。で、思いつきました。結婚するのが手っ取り早いかなって」

「なんで?」

「絶対忘れないから……」

 何を言っているのかよくわからないのだが、彼女の瞳は真剣だった。となれば、笑って誤魔化すのも失礼である。

「でも、お互いのことをまだ全然知らないでしょう」

「確かに」

「まずはお付き合いから、ってことでいいですか」

「いいです。わーい」

 それが妻とのなれそめである。嘘みたいな本当の話である。それから一年後には結婚。だから学生結婚である。そしてさらに、一年半後には息子が生まれた。

 藝大の卒業制作に、妻は息子の石膏像を作り。

 卒業式と謝恩会には、息子と一緒に出席している。


■「腹、据わってるんだ。知らなかったな……」


 今、僕は夫であり、父でもあるわけだが、これは全て妻のおかげである。何でも言語化して納得したい僕としては、「結婚とは何なのか、何のためにするのか」「親になるとはどういうことか、何をもってそう呼ぶのか」など、考え始めたら止まらない。いずれもそう簡単には答えは出ないわけで、つまりいつまでも決断できないのである。

 そこを妻が、未知の理屈で飛び込んできて、何だかよくわからないうちに押し切られてしまう。

 全くの考えなしであれば僕も反論するのだが、妻は深い覚悟も併せ持っているのだ。

「作家と結婚するなんて、生活が不安じゃなかったの」

 そう聞いてみたことがある。妻はこくりと頷いて答えた。

「最初はもっと、大変かと思っとった。お金がなくて常に一家心中とのせめぎ合いで、畳食ってるとかを想像してた。あとは浮気問題とか、精神病んじゃうのを支えるとか、消息不明になったのを探したりとかすると思ってた」

「畳って美味いのかな」

「まずいと思う、でも食べられると思う。たぶん煮るんじゃないかな……めんつゆとかで。でも、めんつゆ買うお金あるなら、畳食わなくてもいいのかな……」

「しかし、そんなのを想像してたのに、よく結婚したね」

「そうね。最初に会った時にたぶん、大丈夫かなと思ったのと。いざって時は私が働くつもりだったし」

 惚れそう。

 物凄くタフな人にも思えるのだが、本人は「楽したいだけ」だと言う。

「結婚しちゃえば、新刊情報を追いかけなくても、新刊が出る時にわかるし、楽」

「あ、それってやっぱり本気で言ってたの? 照れ隠しとかじゃなくて」

「うん」

 真顔で頷く。

「どうもわからないなあ……やってることの大変さと、見合わないような気がする」

「藝大を目指したのも、楽な方に流れただけだよ。勉強も運動も疲れるから、あんまり好きじゃなかった。絵描いたり物作るのは疲れないから、それでも目指せる大学があるって聞いて、これだ! ってなった」

「でも、一年浪人までして勉強してるでしょう。辛くなかったの」

「うーん。自分、下手だなって思うのは辛かったけど。作ったりするのは、平気やった」

「じゃあ、結婚は。学生結婚への不安とかはなかったの」

「特にないよ。どうせいつかは結婚するつもりだったから、早く済ませちゃいたかった。あなたと結婚できなかったら、婚活サイトに登録しようと思ってたもん。ほら、宿題とかも、早く終わらせた方が得でしょ」

「そうかなあ。ご両親は反対しなかったんだっけ?」

「『結婚を考えています』と言ったら『ええやん、ええやん』って。あっさりしてた。妹は『へー』って言ってた」

「学生出産については?」

「子供は欲しかったし、どうせ作るなら早い方が楽かなと思って。ほら、学生の方が、夏休みとか長いし」

「……ご両親の反応は」

「『赤ちゃんできた』って言ったら、『おー。やったね』って。だから『いえい』って言った」

「……」

「へへっ」

「自信がなくなったり、することはないの」

「え、いっぱいあるよ」

 ゆっくりと考えながら、妻は教えてくれる。

「藝大に合格したときも、結婚したときも、親になったときも、自分でいいのかな、自分なんかで大丈夫なのかな、っていうのは心のどこかでいつも思ってた。でも、ダメだったら退学させられるとか、離婚を突きつけられるとか、何かしらするだろうし。そうならないってことは、どうやらいいらしい……と。悪いことは、それが起きたときに考えようって思ってる」

「腹、据わってるね」

「腹、据わってるんだ。知らなかったな……」

 ぽかんと口を開けている妻。彼女を眺めて、僕もぽかんとしてしまう。

 やっぱり、わからない。何なんだろう、この人は。価値観が違うといえばそれまでだが、僕はそこを言語化したいのである。

 いつかこの人の謎が解ける日は来るのでしょうか。

 来ると信じて、僕は今日もメモを取っているのです。

デイリー新潮取材班

2021年7月28日 掲載

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