地球最後の秘境?「無人島・南硫黄島」調査は命がけ サメがいる海を「泳いで上陸」

「子ども科学電話相談」で大人気のバード川上先生こと、鳥類学者・川上和人さん。今年はオリンピックのため、夏休み子ども科学電話相談の放送はない。しかし、がっかりしているあなたに朗報だ。累計16万部を突破した川上さんの鳥類学者シリーズ最新刊『鳥類学は、あなたのお役に立てますか?』から、とっておきの章を全文ご紹介する。今日お届けするのは「南硫黄島・土壇場未練篇」。ルンバの背中にヒレをつけジョーズごっこで遊ぶ生粋のインドア派なのに、あろうことか腹を空かせたサメがひしめく海を泳いで調査対象の島に上陸することに。先生、無事のご帰還を祈念申し上げます!

■波間に見え隠れする名もなき岩礁


 最近ルンバを飼い始めた。もちろん、背中にヒレをつけてジョーズごっこをするためだ。いそいそと厚紙のヒレをガムテープで貼り、サメ子と名付けた。

 名前をつけることは、対象を個の存在と認めることを意味する。大量生産の機体から、かけがえのない我が家の一員に昇華するのだ。

 インドア派の私はそんな室内遊戯で十分に満足なのだが、ひょんなことから本物のサメがひしめく大海原を漂うことになった。海上を進む船から外を眺めていると、名もなき岩礁が波間に見え隠れする。島国日本にはそんな無名の岩がたくさんある。そのままじゃかわいそうなので、これらに名前をつけようという動きが2009年に始まった。排他的経済水域の根拠となる国境離島に正式な名前をつけ、国家的に可愛がろうという寸法だ。

 岩を見ながら名前を考えてみる。藻類がついて赤くなっているから、リンゴ島だな。彫りの深い横顔に見えるはゴリラ岩。風が吹くとヒューヒュー音がするから、ラッパ島。ふむふむ、偶然にも名前がしりとりになっている。

 答え合わせのため、国土地理院の地図を見る。これらは2012年に名付けられた島々だ。えーと、あれが「南小島」で、そっちが「南南東小島」で、こちらが「東南東小島」。ふむふむ、偶然にも名前がしりとりになっている。

 他にも北北西小島や南南西上小島など、いっそ潔さすら感じる無造作な名前の島が並んでいる。きっと命名者は、飼いネコにキャットと名付けて宝石店前でパンを食べちゃうタイプに違いない。そんな名前をつけられてじっと耐えている島も島だ。嫌なら嫌とはっきり断わるべきである。南南西下小島に謂(いわ)れなき説教をたれていると、その背後で威容を誇る山体が否が応でも目に入る。

 南硫黄島だ。

■調査基地は“船上”に


 2017年の南硫黄島探検隊の調査基地は、第三開洋丸の上にあった。10年前の調査の時には海岸にベースキャンプを置いた。島に基地があれば、職住近接的に都合が良い。しかし、海岸では不安定な転石がカマイタチと共謀して足をすくい、烏天狗が狙いを定めて落石を誘発し、子泣き爺が灼熱の日射しに姿を変えて体力を削る。しかも2週間滞在するための水と食料を荷揚げする労力は半端なものではない。このため今回は調査船上に基地を設定したのだ。


■天は二物を与えず


 調査船は快適だ。船内は冷房、ベッドには白いシーツ、食堂では専属コックが温かい食事を用意してくれる。今日はハウスかバーモントかと、カレー選びしか楽しみのないキャンプ生活とはわけが違う。冷房で風邪をひきそうだと苦情が出るほどの快適生活だ。

 隊員にとっては休息もまた仕事のうちだ。南硫黄島を前にして甲板にも出ず、漫画雑誌を読みふける贅沢。インドア派冥利に尽きる。

 机の上には日焼け止めクリームとアネロン・ニスキャップが山積み。いざという時のため、船にはドクターが待機。島から戻れば真水のシャワー。傷口にしみる海水風呂すら心地よい。

 非番の日には、上陸隊員を見送りそして出迎える。学術面では比類なき成果を誇る研究者が出陣を前に甲板上でブツブツしゃべっている。「あれ、おかしい。ファスナーが閉まらない」陸戦型隊員が着なれぬウェットスーツを裏返しで着る姿は南硫黄あるあるだ。山上ではエンドレスルート工作をスタミナで圧倒する登山家が、乗船するとわずか3秒で船酔いして倒れる姿も微笑ましい。二物を与えぬ天の配剤に、心温まるひと時だ。

 天気がよいと船員が釣りを始める。キハダマグロやツムブリに混じり、頭だけになった魚が釣り上がる。はて、水棲型の飛頭蛮(ひとうばん)だろうか。

「サメだな」「サメですね」

 せめて気休めを言う優しさはないのかね。やはり自宅でサメ子と戯れておればよかった。まったく、泳いで上陸する身にもなってくれ。

 充電を終えた隊員は船上ミッションを始める。植物担当は採集した植物を乾燥させて標本化し、昆虫担当は土壌をツルグレン装置にかける。ツルグレン装置は、試料に光をあててスタコラ逃げ出す土壌動物を一網打尽にする悪魔的な装置だ。

 そんな船上で私に課せられたミッションは、ドローン調査である。


■文明、万歳!――ドローン調査


 今回の調査には、プロのドローンパイロットが2名同行している。観光地ではしばしば墜落して社会面を賑わせるドローンだが、野外研究にとっては鬼にバズーカ、ヴィン・ディーゼルにニトロエンジンな画期的機材である。そして、操縦者に撮影すべきエリアを指定するのが私の役目だ。

 現地踏査は野外調査の基礎だ。葉裏に潜むカタツムリや地底でほくそ笑む海鳥を陽光の下に引きずり出すには、直接的な調査が不可欠である。ただしその視界に映るのは、調査ルートの片側10mのわずかな世界だ。果たしてそこが典型的な環境かどうかすらわからない。

 そこでドローンである。忠実なる下僕は天空から大地を睥睨(へいげい)し、魔物の巣食う幽谷も天女が舞う崖上もものともしない。空撮写真をソフトウェアに放り込めば、ネコでも杓子でも三次元立体CGモデルに再現できる。これは21世紀の野外調査界最大のイノベーションだ。

 揺れる船上から4Kカメラ搭載のドローンがふわりと飛び立ち、一目散に島を目指す。手元の画面には、崩落地を登る隊員や垂壁面に生える植物が映し出される。2日がかりで登攀する山頂も、ドローンなら10分もかからない。泳ぎ、傷つき、へばりつき、アドレナリンと星飛雄馬の歌を原動力に登った過去の自分に申し訳なくなる。文明、万歳。

 南硫黄島内には字(あざ)も番地もない。これが、黒猫ちゃんもペリカンさんも現地に到達できない理由だ。しかし、意思疎通のためには地名があった方がよい。このため、調査隊では独自の地名をつけている。

 テトリス並みに落石が生じる南部の崖下海岸は「死の廊下」だ。草木の生えぬ死の廊下を東に抜けると、崩落地を植生が覆う緑の世界が広がる。アカテツという樹木が目立つ「アカテツ・パラダイス」、通称「アカパラ」だ。島の西側の崖上には、4筋の深い谷が刻まれた「悪魔の爪痕」がある。北西部には広く植生豊かな谷間がある。調査のために飛び込みたくなるようなこの地は「天使の胸元」だ。いずれこれらの地名が、国土地理院の地図に掲載される日が来るだろう。


■10年後の新たなイノベーションに期待!


 撮影が進むと、まだ見ぬ島の側面が姿を現す。私たちが登った谷の隣には、木生シダの繁茂する豊かな谷が隠れていた。崖上のタコノキの下にはオナガミズナギドリのものと思しき巣穴が多数あいている。船上にいながらにして、島の秘密が解き明かされていく。

 山頂の裏側直下には真新しい崩落が刻まれている。干し草ベッドに飛び込むハイジのごとく調査員がダイブしたススキの真下だ。いやはや、繊維の強いススキでよかった。

 パソコンのディスプレイには徐々に3D南硫黄が浮かび上がる。島の環境が明らかになり、私たちが調査したルートの持つ意味が示されるのである。

 南硫黄で使用したドローンでは、1回の充電で20分程度のフライトが可能だ。バッテリーの充電と交換を繰り返し、撮影が続けられる。穏やかな天候に助けられ撮影は順調に進み、時間の余裕ができる。いよいよ、その時が来た。私の出番だ。

 今回の調査では、私自身もドローンを持参した。もちろん全ての撮影をプロに任せる手もある。しかし、目の前に研究対象がある以上、やはり自分の手で調査したいという欲求が沸々と湧いてくる。

 この島には以前から一つの謎があった。それは、常に多数のアカアシカツオドリが崖上から私たちを見下ろしていることである。この鳥は、過去に沖縄県で偶発的な繁殖が報告されているだけで、国内での繁殖記録のない珍しい鳥だ。もしかしたら彼らはこの島で繁殖しているかもしれない。しかし、彼らの居場所は200mを超える崖の上、こんなところを登れるのは恋に目の眩んだバーフバリだけだ。

 10年前の調査の時は命惜しさに潔く引き下がったクリフハンガーだったが、今回は人類の英知を連れてきた。さぁ、思いのままに飛ぶが良い。

 そうは言っても、揺れる船からドローンを飛ばすにはコツがいる。初心者の私には荷が重い。しかし、今回はドローン講習会で講師を務める2人の専属師匠がツーツーマンで教えてくれる。これほど恵まれた環境があろうか、いや、ない。

 操作に適した服装、炎天下でのiPad熱暴走への対処、船酔いするドローンのなだめ方、様々な技術を習得し、海岸沿いの撮影で慣らし運転をする。師匠達の教えのおかげで墜落することもなく、いよいよアカアシカツオドリに向けて出発である。晴天微風、日当たり良好、気分は風の谷の族長だ。

 ドローンがとらえた映像がリアルタイムで手元のディスプレイに映し出される。樹上で休息する真っ白なアカアシカツオドリ。そしてその足元には、枝で編まれた直径50cmほどの巣があった。

 グレート! 珍しく期待通りの結果が得られ、心の中と体の外で小さくガッツポーズをする。しかし、私のドローンではこれが限界だ。続きはプロのズーム付きの上位機種に任せよう。

 師匠が撮影した画像には、親鳥が抱く卵、枝上にとまる雛、放棄された古巣などの姿があった。テクノロジーの発達は、過去の不可能をいとも簡単に覆す。こうして、国内初のアカアシカツオドリ集団繁殖地が発見されたのだ。

 島の生態系変化をモニタリングするためには、定期的な調査が必要だ。しかし、調査には資金が必要だ。今回は東京都等の尽力により予算が獲得されたが、10年後にも無事に確保されるかどうかはわからない。

 島を後にする船中で将来に想いを馳せる。確実に調査資金を得る方法はないだろうか。去りゆく南硫黄のそばの無名の島々が目に入り、天啓を得る。

「ネーミングライツだ!」

 島の周りには無名の岩礁がまだまだある。これの命名権を売り、調査資金に充てるのはどうだろう。国土地理院と共謀すればなんとかなるんじゃないか?

 良い知恵にホクホクしながら現実に戻ると、船内では撮れたて動画の上映会が行われている。

「崖の上に変わった植物があったのでドローンで撮ってみました」

「それは、モクビャクコウですね」

 えっ、今その陰からなんか飛ばなかったか?

「……今のリプレイお願いします」

 やっぱりだ。複数いる。まだ南硫黄では繁殖が確認されてないクロアジサシだ。植物の陰で巣は見えないが、この様子ならおそらく繁殖している。ドローン映像に偶然写りこんだのだ。まだまだこの島には私たちの知らない秘密があるのだ。巣の存在を確かめたい、確かめたい! なんでもう帰り道なんだ!

「えーと、船戻してください」

「無理です」

 よかろう、私はまた帰ってくる。次回は54歳、若干体力が心配だが、10年あれば新たなイノベーションがあるだろう。工学系の方、人も運べるマッチョドローンか、巨大ロボに変形するトンデモ調査船をよろしくお願いします。

デイリー新潮編集部

2021年8月3日 掲載

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