「五輪は失敗例の宝庫」危機管理のプロが指摘 開会式の人選と弁解に疑問、菅総理の「中身のない言葉」

「五輪は失敗例の宝庫」危機管理のプロが指摘 開会式の人選と弁解に疑問、菅総理の「中身のない言葉」

田中優介氏

 メダルラッシュへの期待が高まる一方、開幕直前まで不祥事ラッシュに終始した東京五輪。世界から注目を集めるなか、なぜこれほど醜態を晒し続けてしまったのか。金メダルに湧き立ち忘れ去られる前に、危機管理のプロ・田中優介氏がその問題点を総括する。

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 東京五輪が開幕し、ようやく純粋にスポーツを楽しむムードが高まってきたように感じます。アスリートの皆さんにはぜひ頑張って頂き、改めて「スポーツの力」を見せつけてもらいたいと願うばかりです。

 一方で、開幕までにこれほど多くの不祥事やスキャンダルに見舞われたオリンピックも過去に例がないでしょう。私の専門である危機管理の観点からすると、東京五輪は今後の戒め、教訓とすべき“失敗例”の宝庫と言えます。

 開幕直前まで、東京五輪は明らかに国民的な盛り上がりに欠け、“呪われた”という悲哀すら漂っていました。その理由は、大会の大義名分が二転三転してしまったからに他なりません。

 2005年9月、当時の石原慎太郎都知事は、「オリンピック開催を起爆剤として、日本を覆う閉塞感を打破したい」と銘打って、16年の東京五輪招致に乗り出しています。その後、“復興五輪”や“コロナに打ち勝った証”など、次々に新たな開催意義が付け加えられていきました。

 しかし、被災地の会場は多くが無観客となり、東京に緊急事態宣言が発令されるなかで五輪を開催することに。これでは“復興五輪”や“コロナに打ち勝った証”と言われても、多くの国民は首を傾げてしまう。むしろ、五輪を強引に開催する必要があるのかという疑問だけが残ったのではないでしょうか。「政治家が足跡を残したいだけではないか?」と、うがった見方をされかねません。

 本来であれば、菅義偉総理をはじめ政府や組織委員会の幹部は、国民に血の通った言葉で語り掛けるべきでした。仮に、菅総理が、

「コロナ禍で国民の皆さんはもちろん、世界中の誰もがつらい思いを抱えてきました。欧米ではアジア系に対する人種差別が後を絶ちません。こんな時期だからこそ、世界や日本を覆う閉塞感を打破するため、そして、世界の絆を取り戻すためにも、東京で平和の祭典を開くべきだと思うのです」

 と語っていれば、国民の五輪に対する意識も大きく変わっていたと思います。

 16年前に石原元都知事が掲げたスローガンも、世界がコロナ禍に喘ぐこの時代にこそ相応しいものでしょう。

 にもかかわらず、菅総理は五輪について問われても、「安心安全な大会を実現する」という言葉を無表情で繰り返すだけでした。記者からの質問に真正面から答えず、うまくはぐらかすことが高等テクニックと考えているかのように映ります。しかし、危機管理の面でもこれは大きな間違いです。

 問題はリスク・コミュニケーションの欠如にあります。2000年代前半までは、企業が不祥事を起こしても紋切り型のセリフで乗り切ろうとするケースが少なくありませんでした。

 00年には、三菱自動車のリコール隠しが発覚し、千代田生命や協栄生命といった大手保険会社が経営破綻に追い込まれています。雪印食品や西友の一部店舗など食品業界での偽装が表沙汰になったのが02年。さらに、04年になると、旧ソフトバンクBBやジャパネットたかたによる顧客情報の漏洩問題が相次ぎ、消費者の企業に対する不信感が高まるなか、05年4月に起きたのがJR西日本の福知山線脱線事故でした。

 わずかな期間に、名立たる大手企業への信頼が音を立てて崩れ落ちてしまった。時代の大きな変わり目を前に、消費者は何を信用したらいいのか分からなくなり、企業の側も何をどこまですべきなのか、何をしてはいけないのか判断できなくなった。これが日本における危機管理の黎明期です。

 その頃、スキャンダルを追及されても「ノーコメント」と開き直っていた企業は、しかし、最近は消費者に向けて丁寧な説明を尽くすようになりました。木で鼻をくくったような対応が企業イメージを著しく貶めると気づいたからです。しかし、日本の政治家だけは一向に変わろうとしません。

 その点、たとえば、ドイツのメルケル首相は国境の一部閉鎖について、「旅行や移動の自由を苦労して勝ち取った私のような人間にとって、絶対に必要な場合にだけ正当化される」と述べました。

 社会主義国だった東ドイツで育った彼女自身の経験を引き合いに出して、国民に訴えかけたわけです。血の通った言葉や表現を使って説けば、国民の理解を得られやすい。そのことを彼女はきちんと認識しているのです。

 オリンピックは多くの人々が明るい話題を共有できる絶好の機会。リスク・コミュニケーションの乏しさのせいでそれを活かせないのはあまりにも残念です。


■トウソウ本能


 開会式に携わるはずだったアーティストの人選を巡っても、組織委の危機管理に関する認識不足が露呈しました。過去にコントでホロコーストを扱った小林賢太郎さんや、障碍者へのいじめを行っていたとの発言が問題視された小山田圭吾さんについては、そもそも、なぜ彼らを担ぎ出したのか疑問です。差別の過ちは五輪のアキレス腱だからです。

 また、小山田さんの辞任に際して、組織委の武藤敏郎事務総長は「われわれが一人一人を選んだわけではない」と弁解しました。この発言にはふたつの“トウソウ本能”が見え隠れしています。それは「体裁の悪い場面を避けたい」と考える逃走本能と、「面目を保ちたい」がために押し返そうとする闘争本能です。このふたつは謝罪を妨げます。

 そもそも、東京五輪は“多様性と調和”をコンセプトに掲げています。本来であれば武藤事務総長は、「当初の段階から人権問題に理解があり、人道的な活動に貢献しているアーティストを人選すべきでした」と釈明する必要があったと考えます。また、女性蔑視発言で組織委会長を辞任した森喜朗元総理が、名誉最高顧問に就任するとの報道も一時ありましたが、これが事実なら、世界の視線を全く理解していないとしか言えません。

 とはいえ、私は五輪を中止したほうがよかったとは考えていません。危機管理の視点から言えば、“準備を十分にした上で”という条件付きながら、万難を排して開催すべきだと考えていました。

 そもそも、感染者数や死亡者数だけを見れば、世界を見渡しても日本はコロナ禍の影響が小さい国と捉えられています。そんな状況でIOCが東京五輪の中止を認めるとは思えません。

 それならば、むしろIOCや米英首脳の力を借りて、開幕までに日本がワクチン接種を終えられるよう協力を仰ぐこともできたのではないか。世界中から観客が集まるので、万が一にも五輪によって感染を拡大させないようにIOCからファイザー社やモデルナ社に働きかけてほしい、と。五輪を開催したいIOCの方針にも、防疫の観点にも適っているはずです。事前にそうした提案ができないところが、常に後手に回ってしまう日本の悪い部分だと思います。

 結局、感染拡大を受けて東京五輪ではほとんどの会場が無観客になりました。ただ、無観客だったとしても、世界を驚かす仕掛けを考えられなかったのでしょうか。たとえば、国立競技場の客席にモニターを設置し、自宅で観戦している観客の顔を映して、大音量で声援も流す。無観客ではあっても、客席に人々の笑顔が溢れれば、大いに開会式を盛り上げたと思います。技術大国・日本のPRにも繋がりますし、コロナ禍の新しい観戦方法を提示することもできた。なぜこうした発想や準備ができなかったかといえば、組織委の対応が終始、後手に回っているからです。表向きは「無観客の可能性も」と言いながら、内心では「よもやそんなことはあるまい」と思っていたのでしょう。

 危機管理の原則からすると、物事を進める場合には「楽観的予測」と「標準的予測」、「悲観的予測」の三つのプランを用意する必要があります。東京五輪では、有観客、上限付きの有観客、無観客という3通りのケースについて準備して、状況の変化に応じて切り替えればよかった。開催延期によって1年間の猶予期間があったにもかかわらず、こうした対応ができなかったのは危機管理の意識が欠けているからでしょう。

 ここ最近は、メジャーリーグ・エンゼルスに所属する大谷翔平選手の活躍を楽しみにしている方々も少なくないと思います。大谷選手の輝きは、アジア系へのヘイトクライムを吹き飛ばし、人種の壁を越えて多くの人々を団結させ、夢や勇気を与えてくれます。ゴルフの松山英樹選手のマスターズ優勝や、笹生優花選手の全米女子オープン優勝も同じく大きな感動をもたらしました。

 私が代表を務める株式会社リスク・ヘッジを創設した父親は、かつてリクルート・ランニングクラブの部長でした。ちょうどリクルート事件が世間を騒がせていた時期で、営業職の社員はどこを回っても「政治家に未公開株をばら撒くなんて、お前の会社は何をやってるんだ!」と怒鳴られていたそうです。ところが、1992年のバルセロナ五輪のマラソンで、クラブに所属する有森裕子さんが銀メダルを獲得すると状況が一変。営業先から「おたくの有森さん、凄いね! 応援してますよ」とポジティブな言葉を掛けられるようになった、と。スポーツに危機を打開する力があることは間違いありません。


■理論は裏切らない


 もう一点、危機管理のプロとして触れておきたいのは、メダルを獲得した選手へのアドバイスです。

 東京五輪では日本人選手のメダルラッシュが期待されますが、勝利を手にした瞬間から人生が変化することは避けられません。

 まずは“罪”というか“罰”が変化します。無名の頃とは違って、交通事故を起こせば高い確率で「あの五輪メダリストが……」と報道されてしまう。次に、本人としてはこれまでと変わらない対応をしていても、少し強い言葉遣いをしただけで「あの人は変わった」「急に傲慢(ごうまん)になった」と批判されることもあります。さらに、メダリストを利用しようと考える人々も近寄ってくるので油断は禁物です。

 その上で、もし不祥事を起こして謝罪に追い込まれた場合には、危機管理の理論を参考にしてください。

 危機管理は「感知・解析・解毒・再生」というステージに沿って進めます。最も難しい「解毒」には、さらに「反省・後悔・懺悔・贖罪」という四つのステップがあります。

 私が授業や講演で取り上げる成功例は、日大アメフト部の危険タックル問題です。当時の監督とコーチは謝罪会見で言い訳に終始しました。先ほど述べたふたつのトウソウ本能に支配されていたことで、二人は関東学生アメフト連盟から除名処分を言い渡されてしまいます。

 その一方で、相手にケガを負わせてしまった選手は針のムシロのような会見にひとりで臨み、言い訳も反論もせず謝罪に徹しました。その結果、現役を続行することができた。危機管理における「解毒」は、被害者のダメージに対して、加害者側にも痛みを課してバランスを取ることが最も重要です。その意味で、真摯な姿勢が「解毒」に繋がった、アスリートにとってお手本となるケースだと思います。

 アスリートの皆さんは「練習は裏切らない」と仰いますが、私としては「危機管理の理論は裏切らない」と申し上げたいです。スポーツと同様、正直かつ真摯な態度で臨めば、どんな危機に直面しても明るいゴールは必ず見えてきます。

田中優介(たなかゆうすけ)
(株)リスク・ヘッジ代表。1987年、東京生まれ。明治大学法学部卒業後、セイコーウオッチ株式会社を経て、2014年、株式会社リスク・ヘッジ入社。企業の危機管理コンサルティングに従事、現在は同社代表取締役社長。岐阜女子大学特任准教授も務める。著書に『地雷を踏むな』(新潮新書)など。

「週刊新潮」2021年8月5日号 掲載

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