「小田急刺傷事件」容疑者が勤務していたパン工場は“地獄のバイト先”で有名だった

小田急刺傷事件の容疑者が最後に働いていた勤務先話題 “地獄のバイト先”で有名とも

記事まとめ

  • 小田急刺傷事件で、容疑者が最後に働いていた勤務先が話題になっている
  • 男が最後に勤務していたのはパン工場の製造ラインで“地獄のバイト先”で有名だという
  • 男の実家はセレブ街として知られる世田谷にあり、大学は中央大学理工学部だった

「小田急刺傷事件」容疑者が勤務していたパン工場は“地獄のバイト先”で有名だった

「人を殺せなかったのが悔しい」「勝ち組の女性を殺したかった」。小田急線の乗客10人を刺傷後、反省のない供述を繰り返している対馬悠介容疑者(36)。記者たちの間では、彼が最後に働いていた勤務先が話題になっているという。

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■「○○パン」


 実家はセレブ街として知られる世田谷。大学は中央大学理工学部。一見、勝ち組にも見える人生を歩んできた対馬容疑者の成れの果てに、大学時代の同級生も驚きを隠せない。

「インカレのテニスサークルに所属し、他大の女子たちから『イケメン』と言われ、人気があった。つきあっている彼女もいましたよ。リア充な生活を送っていたはずなのになぜ……」

 大学を1年留年後、中退。そこから徐々に歯車が狂っていったようだ。職を転々とする中で、昨年6月頃から派遣の職に。だが、「人間関係が嫌になり、辞めた」(供述)。彼が最後に勤務していた職場は、

「パン工場の製造ラインです。しかも、あの『○○パン』。都内の大学に通った経験がある人ならば、“地獄のバイト先”として記憶にある仕事です」

 こう語る30代記者も「○○パン」経験があるという。

「学生時代、貧乏学生が”最終手段”として働きに行く職場として有名でした。夜勤だと12時間勤務で日当が1万2、3000円くらいでしたかね。日払いでお金がもらえるし、引っ越しなどの重労働に比べれば一見楽なのですが、いざやってみるとキツいなんてもんじゃなかった。防護服のようなビニール製の服を着せられ、ベルトコンベアの横で延々と流れてくる弁当箱に食材を入れたりする作業を繰り返すのです。消毒液にまみれた部屋の中で機械と一体化し、ひたすら単純作業を繰り返す。頭がおかしくなると訴える学生も多かった。あれほど時間が経つのが遅いと感じた仕事はありません」


■酒のツマミが欲しくなり……


 40代の記者もこう振り返る。

「いまはもうなくなってしまったようですが、僕らが学生の頃は下落合に『ガクト』(学徒援護会)という日払いバイトを紹介してくれる施設があった。カネがなくなると、朝10時にそこに駆けつけ、壁一面に貼ってあるバイト先を早い者順で奪い合ったものです。そこで、いつも最後まで残っていたのが『○○パン』でした。背に腹を変えられず、暗い気持ちで張り紙を取り、働きに出たのを思い返します」

 今年に入ってからは派遣の仕事も辞め、生活保護を受給していたという対馬容疑者。彼が住んでいた小田急線・読売ランド前駅から徒歩10分の距離にある木造アパートは、築40年近い6畳間の1Kで、家賃は約2万5000円だった。

「事件当日、彼はどこかの店で、まずビールと酎ハイを万引きした。その後、酒のつまみが欲しくなって新宿区内の食料品店でさらにベーコンとオリーブを万引きしようとしたが、女性店員にバレて110番通報されています。人生で初めて万引きがバレたことが頭にきたようで、その後、女性店員を逆恨みして殺そうと店に戻った。だが、店が閉まっていたため、電車内の女性乗客へと殺害対象を変えたと話しています。派遣の貧困から脱することができず、最後は生活保護。警視庁は犯行の動機に、社会への強い恨みがあったとみています」(前出・記者)

デイリー新潮取材班

2021年8月11日 掲載

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