暴力団組長が僕に言ったこと、高倉健に救われたこと…3人死亡・7人重軽症「京都・亀岡暴走事故」で娘を亡くした父親の告白(後編)

暴力団組長が僕に言ったこと、高倉健に救われたこと…3人死亡・7人重軽症「京都・亀岡暴走事故」で娘を亡くした父親の告白(後編)

テレビ出演した際の中江さん

■少年法と無免許がハードルに


 2012年4月、京都府亀岡市内で登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車が突っ込んだ事件では、3人が死亡、7人が重軽傷を負った。軽自動車のハンドルを握っていたのは18歳の無免許の少年。居眠り運転だった。少年はその後、不定期刑が下って服役していたが、この9月中に満期出所する。子供に付き添っていた娘・幸姫(ゆきひ)さん(享年26)とお腹の中にいた7カ月の孫を一瞬にして亡くした中江美則さん(58)が、様々な無念を前編に続いて語る。

 軽自動車のハンドルを握っていたのは18歳の少年だったから少年法の壁にぶつかったのは仕方がないとして、それ以上に難関として立ちはだかったのが「無免許運転」だった。

 京都府警と地検は、自動車運転過失致死傷罪より罰則が重い危険運転致死傷罪の適用を念頭にしていた。しかし、その成立要件に無免許運転が盛り込まれていないなどで立件断念を余儀なくされてしまう。

 しかも、無免許運転の常習犯だったことがかえって少年に有利に働くという不条理な法解釈までされてしまった。

「加害者は免許を取得したことがないのですが、運転には慣れていたために“技能を有する”という解釈をされてしまったのです」(中江さん)

 危険運転致死傷罪が成立する要因として「未熟な運転技術」というものがあった。ところが無免許でも運転を繰り返していたがゆえに、加害者の技術は未熟とは言えない、という理屈だ。

「これは法律のほうに瑕疵(かし)がある、そう思って、署名活動に打って出ました。2週間足らずで20数万。ギネスブックに載るレベルだと後で聞きました。結果的には1か月で50万通集まったと記憶しています」(同)


■暴力団組長との邂逅(かいこう)


 その後、活動がひとつのきっかけとなり、自動車運転死傷行為処罰法が成立する(2013年)。無免許運転の「やり得」のようなことが成立しなくなったのだ。

 署名活動やそれに付随する募金活動でのムリがたたったのか、中江さんは心筋梗塞に倒れるなどしたが、そういった活動には思いがけない“副産物”もあった。

「鴨川沿いの四条河原町で署名活動をしていたら、見るからに暴力団の若い衆が近づいてきて“親分が会いたいと言うてる”と話しかけてきました。思わず示談屋ですか? と聞き返してしまいました」(同)

 そんなことを言ったのには理由がある。実は以前、遺族仲間の若いお母さんに、「何でも解決してやる」と言って示談屋が近づいてきたことがあった。この時、中江さんが間に立ったところ、相手が大阪で会おうと言ってきた。

「指定された場所に行ったらモロに暴力団の組事務所だったんです。怯まずに“2億とか3億とかなんで取れるんですか?”と聞いた覚えがありますが、もちろんそんな人たちに依頼はしませんでした」

 今度もその類か、と中江さんは思ったのだが、そうではなかった。

「僕が“怖いもんないから邪魔せんといてください”と言うと、先方は“中江さんが暴力団組長って言われてるけど、あまりに気の毒や”と。“警察官一家の長を土下座させたのは中江さんくらいのもんや”と言うたんですね」

 前編で触れた、中江さんの個人情報を洩らしたことで、当時、地元の警察署長が土下座をしたという一件のことである。中江さんが土下座を求めたわけではないのだが、強制させたと誤解されてしまい、世間のバッシングを浴びることになった。それどころか中江さん自身が「暴力団関係者だ」とも中傷された。ところが皮肉なことに、この件がその組長には痛快に映ったということだろうか。応援までしてくれた組関係者もいたのだという。


■孫たちが20歳になるまで


「京都の高島屋の前で募金とか署名をお願いしていたら、組の関係者が署名を持ってきてくれたりもしました。もっとも、別の場所で僕らの偽物が登場して募金を集めているという話も聞きましたが。悪人と思っていた人たちが良くしてくれて、一見、善人風の輩が悪事を働いていた。そんな現実に直面した瞬間でもありましたね」

 遺された遺族同士である身内の関係も複雑になってしまった、と中江さんは打ち明ける。

 事故後、中江さんは暴力団関係者だという風評のせいで、下請けとしての仕事から干されてしまっていた。ネット上でそのような噂を流す者がいたのだ。

 一方で、署名活動などを行うにはそれなりに費用もかかる。思い詰めた中江さんの息子は被害者の夫であった娘婿に対し、「親父は相当カネを持ち出している、お前も助けてあげてくれへんか」と懇願したこともあったという。
 
「娘婿は、事故の補償などでお金が入ってきたら折半しようと言ってきました。しかし、僕はそんなものを求めていたわけではありません。だから『娘の命のお金は孫たちのもんやぞ』と言いました(注:夫妻には2人子供がいた)。僕としては2人の孫たちが20歳になるまではお金に手をつけてほしくなかったんです。しかし娘婿はその言葉に過剰に反応したのか、僕がお金を狙っているように誤解して、弁護士を雇ってしまいました。そんなこんなの結果として、孫とも会えなくなってしまったのです」

 結局、娘婿たちは中江さんの知らないうちに別の町へと引っ越してしまった。

「娘からは結婚前にも、そしてその後にも娘婿との関係については色んな相談を受けていて、そのたびにアドバイスはしてきました。“結婚しない方がよかったのかな……”と漏らしたことは何度となくありました」


■辛い境遇を支えてくれた高倉健


 中江さんのもとには、交通事故遺族の繋がりで様々な相談も舞い込んでくる。財産分与をしていたひとり娘が娘婿の運転によって事故で亡くなってしまった……というケースもその1つだ。詳細は、稲葉まき著『綾ちゃんの赤いちいさなお守り―交通事故被害者遺族・母の日記―』としてまとめられている。

 話を中江さんに戻すと、娘を失くし、仕事を失い、それまでの人間関係も失う。無免許運転をした加害者にとっては単なる運転ミスの結果かもしれないが、事故後もあらゆるものが壊されていくのだ。

 そんな辛い境遇を支えてくれたのは意外な人物だった。

 俳優の高倉健さんだ。

 中江さんの義理の兄が過去の繋がりを通じて高倉プロにアポを取ったところ、健さんから励ましの写真とメッセージが返ってきた(*写真参照)という。2012年秋ごろ、健さんが亡くなる2年ほど前のことだった。

「娘が亡くなった時に涙は出なかったけれど、そのときは思わず泣いてしまいました。2度もお便りをいただいて、僕もできることが何かあるのかもしれないと思ったんです。本当に救われました」

 その後、中江さんは犯罪更生保護団体「ルミナ」を立ち上げた。「一人でも加害者を作らなければ、犠牲者は生まれない」という考えから、懲役を終えた人たちを受け入れ更生に協力する活動をする団体だ。

「刑務所で講演をする機会にも恵まれましたが、寝てる受刑者がおっても健さんの名前を出したら、“なんでお前が健さんに触れんねん”ということで目を見開いてくれる。1時間半以上の僕の話は苦痛なのは仕方ないけど、健さんのインパクトはすごいなぁと思います」
 
 もちろん中江さん自身の苦しい経験から生まれた言葉にも説得力があるに違いない。

デイリー新潮取材班

2021年9月10日 掲載

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