【「週刊新潮」中吊り広告終了に思う】中吊りの文化はインターネットの世界で生きる(古市憲寿)

【「週刊新潮」中吊り広告終了に思う】中吊りの文化はインターネットの世界で生きる(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

「ネットニュースの見出しを一瞥しただけで、記事を読んだ気になってはいけません」。そのうち道徳の教科書にでも書かれそうな誡(いまし)めだが、SNS上には見出しを読んだだけの評論が溢れている。

 つい情報量の多いインターネット社会の弊害だと嘆きたくなってしまうが、同じような現象は昔から存在していた。その代表格が中吊り広告文化である。

 週刊誌の中吊りには刺激的な言葉が並ぶ。ネットニュースよりは上品かもしれないが、紙という媒体の特性上、クリックして詳細な情報を得るなんてことはできない。満員電車での通勤中、中吊り広告の見出しだけを眺め、会社に着いて根も葉もない噂を同僚と語る、なんてことは昭和の日常だったのではないか。

 見出しとは要約と誇張だ。建前としては要約ということになっているが、人目を引くには主張を際立たせる必要がある。結果的に誇張に近い作業が行われ、時にはそれが「見出し詐欺」と呼ばれる。

 今でこそ、見出しが「詐欺」かどうかを検証するのは容易になった。たとえばマスコミが恣意的に政治家の発言を切り取ったところで、多くの場合、動画や音声が残されている。もし要約が悪意に満ちていたら、マスコミが糾弾される時代だ。

 その意味で、昔の方がマスコミの力は強かったといえる。1950年のことだ。大蔵大臣だった池田勇人は、参院の予算委員会の質疑で「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副(そ)ったほうへ持って行きたい」と述べた。

 これだけでは何のことかわからないと思うので、文脈を説明する。当時、米は国家の統制下にあった。国が農家から米を買い上げ、国民に配給するのだ。補助金が投入されているので、米と麦はほぼ同じ値段だった。本来、これは異常なことで、米が安くなりすぎていた。だから来たるべき米の自由化のために、米に対する補助金を撤廃して、価格を実態に近付けておきたい。それが池田の考えだった。

 そんなややこしい事情を無視して、野党やメディアは池田の発言を「貧乏人は麦を食え」と要約、大批判を繰り広げた。実際に食べるものに苦労していた人も多かった時代、池田は大炎上したわけだ。

 他にも池田は、中小企業者が「5人や10人破産せられることはやむを得ない」などと失言、反省したのかジャーナリズムを味方に付けるべく研究を続けた。結果、安保体制批判に対しては意図的に見出しになるような言葉を連発して、存在感を高めた。今でいう「ネットニュースになりやすい人」みたいなイメージか。

「週刊新潮」は、約60年にわたり続けてきた電車の中吊り広告を9月末で終了するという。名残を惜しみたくもなるが、中吊りが育んできた扇情的でミーハーな精神は今もインターネットの世界で生き続けている。中吊り文化はこれからも不滅なのだ(と、いい話っぽくまとめてみた)。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2021年10月7日号 掲載

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