「すれ違い不倫」で年上女性と33年間交際 還暦男が語る“2人の女性の存在”

「すれ違い不倫」で年上女性と33年間交際 還暦男が語る“2人の女性の存在”

「これからどうなるんだろうと不安はある」と真幸さんはいう

 不倫だからこそ長く続くケースもある。生活の基盤が一緒ではないから、そして恋愛関係だから「夫婦関係」よりお互いにいいところだけを見せられるのかもしれない。裏を返せば、「無責任な関係」だからこそ優しくいられるのだろうか。【亀山早苗/フリーライター】

 石田真幸さん(60歳・仮名=以下同)は、45歳で独立し、ある資格を生かして自分の事務所を持った。学生時代の友人たちが定年を迎える今も、現役でバリバリ働いている。白いシャツにジーンズが似合うのは体型に気を配ってきたからだろう。

「独立したばかりのころは大変でしたけど、我慢を重ねて3年ほどで軌道に乗りました。特に金持ちになったわけじゃないけど、好きな仕事を思い切りやれるのは幸せですね。トータルで見ると、私の人生、決していいことばかりではなかったと思いますが、それはみんな同じなんでしょうね」

 真幸さんの人生は「永遠の別れ」の繰り返しだった。共働きの家庭に生まれた彼は、同居する母方の祖母に育てられた。「とてつもなく優しくて大好きなおばあちゃん」が、突然亡くなったのは彼が11歳のとき。学校から帰って、いつものように「おばあちゃんとおやつを食べよう」と思ったら、祖母はキッチンで倒れていた。あわてて救急車を呼んだものの、すでに祖母は息絶えていたという。


■不幸は次々と…


 18歳のときには父を亡くした。うつ病で入院していた父が退院して1週間後のことだった。

「退院はしたけど、できるだけ様子を見ていてと母に言われていたんです。ちょうど冬休みで、私は受験勉強の追い込み時期。4歳年上の姉はそのころ、遠方の大学に通っていたので、うちには私しかいなくて……。父が寝ている部屋の隣で勉強していたんですが、気づくと2時間くらい経っていた。お父さんの様子を見なければと部屋をノックしたけど返事がない。開けようとしたらドアが開かない。思い切り体当たりしたらドアノブに紐をかけて首をくくった父がぐったりしていて。今でも思い出したくない光景です」

 父は享年60歳。今の真幸さんと同い年だ。当時としては遅い結婚で、母とは一回りの年の差があった。両親のなれそめを真幸さんは知らない。何度か聞いてみたが、両親ともに答えてくれなかったのだという。

 悲しみと悔しさを心の底に押し込めて、真幸さんは第一希望の東京の大学に合格し、上京した。アルバイトと奨学金でなんとかなると言ったのに、母は一生懸命働いて仕送りをしてくれた。就職が決まって母に報告に帰ると、母はげっそりと痩せていた。

「病院につれて行ったんですが、もう末期のがんで。どうしてこんなになるまで放っておいたのかと言われました。あちこち調子が悪かったんでしょうけど、母はがんばり通してしまったんです」

 若くして両親を亡くした彼に、今度は姉の訃報が舞い込んだ。姉は地方の大学を卒業後、そのままその土地で就職した。今度、結婚するから婚約者に会ってほしいと言われてから1週間後、事故で還らぬ人となってしまった。

「私が25歳のころでした。姉は30歳までに結婚したいと言っていたので『今度の彼とはうまくいきそう』という話を聞いて喜んでいたんです。どうしてこんなに早く、みんないなくなってしまうのか……。どちらかというと楽観的に生きてきたつもりだったんですが、さすがにそのときは心がポキッと折れました。祖母、両親、姉の顔が日々、浮かんできて私も早くそちらに行きたい。そんなことばかり考えていました」

 そんなとき、目をかけてくれていた職場の上司から「オレの知り合いのところに行ってこい。業務命令だ」と言われた。知り合いというのは上司の親戚で、お寺の住職をしていた。そこで真幸さんを預かってくれたのだ。あとから上司は「あのまま放っておけないと思った」と言ったそうだ。それほど真幸さんは疲弊していたのだろう。心身共に削り取られていく感覚があったと彼本人も話す。


■そして“久美さん”と出会う


 半年ほど寺で過ごし、彼はようやく仕事に復帰した。精神的にも少しずつ落ち着いていった。そんなとき再会したのが、姉の親友だった久美さんだ。

「ひとり暮らしの部屋には仏壇もなかったんですが、それでも4人の位牌を大事に置いて、朝晩水とお線香だけは上げていました。久美さんも東京で働いていたようで、いろいろ手を尽くして私の連絡先を知ったそうです。会うとすぐ『昔の面影があるわね』と言ってくれたけど、私はほとんど彼女のことは覚えていなくて」

 それでも姉や両親のことを知る久美さんと会うと、彼の心はなごんだ。家族4人と別れなければならなかった彼の言葉にできないつらさを、久美さんが吸い取ってくれるような気がしたという。

「気持ちがどうしようもなく落ち込むことがあって、そんなときは久美さんに会って話を聞いてもらいました。彼女がいないとどうにもならないこともあった。今もはっきり覚えています。私が27歳のとき。風邪をこじらせて熱が出て、週末寝込んでしまったんです。見えていたかのように久美さんが電話をくれ、駆けつけてくれました。そしてそのまま男女の関係になってしまったんです」

 彼の中で、久美さんへの強い気持ちを確認することができた。支えになっていただけでなく、彼は久美さんに恋をしていた。

 問題なのは彼女が結婚していたことだ。

「彼女は『あなたへの気持ちは特別だから』と言いました。どういう意味なのか私にはわからなかったけど、求めてもいいんだとそのときは解釈したんです。彼女は当時、結婚して4年ほどたっていましたが子どもはいませんでした」

 だが日が経つにつれ、真幸さんの中で夫のいる女性とつきあってもこの先、どうにもならないという思いが強くなっていく。夫に激しい嫉妬心も抱いた。自分の心を守らなければいけない。焦った彼は、久美さんとつきあいながら、会社の同僚であるゆかりさんと数回のデートで電撃婚をした。


■「実は離婚していた」


 28歳で同期のゆかりさんと結婚した真幸さん。妻は結婚と同時に退職した。

「会社の同僚と婚姻届を出したと久美さんに告げると、彼女は『そう』と静かに言いました。これで立場が同じになった。だから関係は変わらないと私は思っていました」

 30歳で長女を、32歳で長男をもうけた。ごく普通の家庭で育ったゆかりさんは、「ごく普通の家庭」のありようを真幸さんに教えてくれた。ゆかりさんの実家にもときどき一家で出かけたが、「どこかなじめなかった。それぞれが役割を果たしているお芝居のように見えて……。家族がどんどんいなくなっていった私のひがみなんでしょうけど」と彼は自嘲気味につぶやく。

「久美さんと同じ立場になって関係を続けるためには、結婚しなければいけないと思い込んでしまった。ゆかりはいい妻ですが、本当は私は家庭を持つのが怖くてたまらなかったんです。家族がまた次々といなくなったらどうしようという不安が強くて。でもゆかりには心の底まで話すことはできなかった。ゆかりはゆかりで、若くして家族を失った私をなんとか元気づけようと思っていたみたいですね。ありがたいけど、素直に受け止められなかった」

 第二子である長男が生まれたあとで、真幸さんは久美さんから「実は離婚していた」と打ち明けられた。彼が結婚してすぐ、協議離婚が成立したのだという。

「もっと早く結婚するかもしれないと久美さんに言っていれば、久美さんがもっと早く離婚を考えていると言ってくれれば……お互いにそう嘆きました。しかも、彼女は何年も離婚の事実を隠していたわけです。『あなたを惑わせたくなかったから』と言っていたけど、子どもが生まれる前なら、まだ取り返しはついたはず」


■彼女を呼び捨てにはできない


 お互いを思うあまりのすれ違いだったのかもしれない。ひとりになった久美さんの自宅に真幸さんは淡々と通った。

「それからも私の人生に大きく関わったのは久美さんです。会社をやめて独立するとき、妻は大反対でした。まだ子どもたちの学費もかかるし、生活が不安だと泣きながら毎日、訴えられました。だけど『あなたなら大丈夫』と背中を押してくれたのは久美さんだった。彼女は経理職だったので、最初のうち、ボランティアのような給料で私の会社の経理も見てくれていたんです。本当は彼女と一緒に働きたかったけど、それは拒否されました。仕事とプライベートは分けたほうがいい、と」

 独立をきっかけに妻との溝は深まった。確かに最初の数年は苦労したが、それまでは妻に内緒で貯めていた預金から生活費を渡していた。妻が心配するようなことにはならなかったのだ。

「ただ、大事なときに私の味方になってくれなかった妻に対しては、少し気持ちが変わりました。妻は『私と子どもたちのことを考えているの?』とさんざん私を責めましたから、それからは気まずい関係が続きましたね。もちろん、子どもを不安にさせたくなかったから、日常的には平穏に暮らしていたけど。心の部分でね」

 彼はそう言って胸に手を当てた。その部分の欠損は、常に久美さんが埋めてくれていたのだろうか。

「私はいつまでたっても、彼女を『久美さん』と呼んでいるんです。呼び捨てにはできない。それだけ敬意をもっているし、逆に言えばいつまでたってもある程度の距離がある関係なんでしょうね。だからこそうまくやってこられたような気もします。家族という近すぎる関係のほうが苦手なのかもしれません」


■妻にはバレなかったのか?


 恋仲になってから33年。結婚生活より1年ほど長い久美さんとの関係を、妻のゆかりさんはまったく気づいていないのだろうか。

「疑われたことがないんですよ。妻の内心はわかりませんが。私が独立してからは、何時に帰ろうと外泊しようと、妻は何も言わなくなった。最初は『事務所で寝ちゃった』と言い訳していましたが、それもしなくなりましたし。子どもを育てて社会へ送り出してくれた。それだけで妻には感謝しています」

 30歳になった長女は、子どものころから憧れていた仕事につき、ひとりで暮らしている。28歳の長男は大学を卒業後、就職したが人間関係につまずいて3年で退職、その後、世界を放浪したりアルバイトをしたりしている。妻は「せっかくいい会社に入ったのに」と嘆いていたが、真幸さんは長男を黙って見守っている。

「会社を辞めたとき、長男が涙目で『父さん、ごめん』と言ったことがあるんです。謝る必要なんかない、おまえの人生なんだからと言いました。『どうやってもいいんだ、生きてさえいてくれれば』と伝えながら、そうだ、それがいちばん大事だと私も泣きそうになりました。好きなように生きればいい。最近、コロナ禍で放浪できない長男は、いろいろアルバイトにチャレンジしているようです。ふたりでよく家で飲むんですよ。だんだんやりたいことが見えてきたなと思えてホッとしています」

 そして4歳年上の久美さんは、会社を定年退職し、関連会社で今も働いている。

「彼女には、ずっとひとりで暮らしてきたお母さんがいたんです。定年になったとき、母も86歳になったから私も実家に戻ろうかと思うと言われました。そのときだけは全力で阻止しましたね。私のエゴだけど、『離れたくない。帰らないでほしい』と。そのころには週の半分は久美さんのところにいましたし。彼女は『私も本当は今さらお母さんと暮らしても、うまくいかないと思ってる』と。それで相談して、お母さんに施設に入ってもらいました。もうひとりで暮らしていくのは限界だったから」


■離婚には久美さんが反対


 真幸さんはそのとき、久美さんに「もう離婚してもいいと思っている」と話した。だが、久美さんは反対している。子どもたちが帰る家は、両親が揃っていたほうがいいというのだ。それには真幸さんも反論できなかった。ゆかりさんとは「事なかれ主義」のまま外見上は平和に過ごしているが、信頼関係が築けているわけではない。それでも「奥さんが離婚したいと言わない限り、離婚は避けてほしい」と久美さんが言うのだ。久美さんの願いなら聞き届けたいと真幸さんは思っている。

「ただ、私も60歳を過ぎて、これからどうなるんだろうと不安はあります。久美さんのほうが年上だけど、妻と私と彼女、誰がいちばん先に逝くのか。逝かないとしても、いつ重い病気になるかもわからない。私が真っ先にコロッと逝くのがいいのかもしれませんが、こればかりは……」

 老いへの不安と、老いに逆らいたい気持ちとが拮抗するのがこの年代なのかもしれない。とはいえ、年上の久美さんは楽観的で「今と未来しか見ていない人」だという。

「何もかも受け止めるタイプなんでしょうね。老いに抗うわけでもなく、今日を楽しく生きようとしている。コロナがおさまったら海外に行くんだと言って、なぜか突然フランス語をオンラインで習い始めたりもしてる。彼女はいつでも私の半歩先を行っているような気がします」

 姉であり、ときには母のように彼を支えてくれた久美さんのことを「今も20代で会ったときのように新鮮な気持ちで愛しています」と真幸さんは照れながら言う。33年という長い年月を共に闘ってきた同士でもある。

「もし彼女に会わなかったら、私は今のような人生を送れていなかったと思います。ゆかりと結婚したのがよかったのかどうかわかりませんが、少なくともかけがえのない子どもをもつことができた。私の人生では仕事が主軸だったけど、仕事に賭けることができたのも妻のおかげです。妻が私と結婚して不幸だったと思わないですむよう、これからも尽くしていきたいと思っているところです」

 この言葉を妻が聞いたらどう思うのだろう。ふっとそんな思いがよぎったが、夫婦には夫婦にしかわからない機微があるものだ。不倫と言われてしまう恋愛関係のほうが、夫婦関係よりよほどわかりやすいのかもしれない。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年10月6日 掲載

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