「ホテルオークラ東京」リニューアル時に再建断念 大倉財閥「栄華の跡」が辿った数奇な運命

「ホテルオークラ東京」リニューアル時に再建断念 大倉財閥「栄華の跡」が辿った数奇な運命

栄華の跡(大成建設発行「蔵春閣写真集」より)

■希少価値のある名建築


 ホテル御三家の一つ、「ホテルオークラ東京」が老朽化した旧本館を建て替え、2019年9月12日にリニューアルオープンした。実は、それに伴い、大倉財閥創設者、大倉喜八郎の別邸「蔵春閣(ぞうしゅんかく)」の再建が検討されていたのだが――。

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 東京・向島の隅田川沿いに蔵春閣が築かれたのは1912(明治45)年のこと。伊藤博文や山県有朋、原敬など歴代の首相のほか、渋沢栄一、安田善次郎といった名立たる実業家なども招かれたという。

 太平洋戦争で焼失した明治天皇の皇居「明治宮殿」を模し、建築には組み立て工法が取り入れられた。関東大震災でも無傷の頑丈さを備え、太平洋戦争の戦火も潜り抜けた、希少価値のある明治期の和風邸宅である。

 三井財閥の「三井本館」、三菱財閥の「開東閣(かいとうかく)」と並び称される、大倉財閥を代表する名建築なのだ。


■消防法上の問題


 現在の大成建設やサッポロビール、帝国ホテル、あいおいニッセイ同和損保など、200以上の会社を興し、一代で財閥を築いた大倉喜八郎。1928年の喜八郎没後も蔵春閣は迎賓館として存続したが、戦後に一転する。

 GHQに接収され、RAA(特殊慰安施設協会)の運営する慰安所に姿を変えたのだ。2年ほどの短い期間ではあるが、夜な夜な米軍の高級将校が訪れていたこともある。その後、蔵春閣は売りに出され、買収と移設を経て、2012年、三井不動産から「大倉文化財団」に寄贈された。53年ぶりに、蔵春閣は元の持ち主のところへ戻ったのだ。

 移築を前提として解体されていたが、ホテルオークラのリニューアルに際し、蔵春閣を敷地内に再建する計画が持ち上がったという。大倉文化財団の澁谷文敏常務理事によれば、

「ホテルの建つ港区から消防法上の問題を指摘された。耐火構造を施すとなると再建だけでなく、周囲への延焼を防ぐ工事などが必要になる。それらの点から、断念せざるを得なかったのです」

 最終的に、大倉文化財団から喜八郎の生地である新潟県新発田市に寄贈されることとなった。「栄華の跡」は今後ほどなく再建され、観光名所になることが期待されている。

「週刊新潮」2019年10月24日号「MONEY」欄の有料版では、蔵春閣の歴史と価値について詳報する。

「週刊新潮」2019年10月24日号 掲載

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