「眞子さま」「小室さん」報道を批判する朝日新聞の“古キズ” 大はしゃぎの号外、酷い言い訳が忘れられない

「眞子さま」「小室さん」報道を批判する朝日新聞の“古キズ” 大はしゃぎの号外、酷い言い訳が忘れられない

朝日新聞社屋

 秋篠宮家の眞子さま(30)と小室圭さん(30)のご結婚問題をめぐり、朝日新聞が週刊誌報道を繰り返し批判している。事実、週刊誌報道には問題点も多いかもしれない。半面、皇室報道において最大最悪の人権侵害をしでかしたのは、ほかならぬ朝日だ。まず自分の過去を見つめ直すべきではないか。

 朝日は1999年12月10日の朝刊1面トップにこんな記事を載せた。ご記憶だろうか。

【雅子(皇后様)さま、懐妊の兆候 近く詳細な検査】

〈皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候がみられることが9日、明らかになった。近く宮内庁病院で詳細な検査が行われる模様だ。妊娠の兆候は、すでに天皇、皇后両陛下にも内々に報告されている。検査の結果、妊娠が確認されれば、宮内庁から正式に発表される予定だ〉

 朝日は号外まで出すはしゃぎぶりだった。だが、断っておくが、宮内庁は懐妊を認めていなかった。もちろん発表もしていない。極めてデリケートな問題を朝日は独断で書いた。

 朝日はイケイケだった。翌12月11日付朝刊ではこんな記事を出す。

【雅子妃懐妊GDP押し上げる ニッセイ基礎研究所が試算】

〈懐妊は国内総生産(GDP)を0.1%から0.2%押し上げる−−。皇太子妃雅子さまに懐妊の兆候がみられていることを受けて、民間シンクタンクのニッセイ基礎研究所が10日、そんな試算を出した。

 直接の需要効果を試算すると、高級なおもちゃやベビー服が売れるなどして、関連業界を含めて売り上げが約1割、3600億円ほど増加すると見込んでいる〉

 もっとも、後を追った読売新聞の論調は微妙に違った。半日遅れの12月10日付夕刊でこう報じた。

〈宮内庁は十日の緊急会見で、「判断できる段階ではありません」と、ご懐妊について、慎重な姿勢を崩さなかったが、側近の一人は「週明けの精密検査を待ってから」と話した〉

 当時の古川清・東宮大夫も「ご懐妊なさっていると発表できる段階ではない」と、慎重だった。朝日の先走りが際立っていた。

 そして同12月30日、雅子さまは稽留(けいりゅう)流産と診断されてしまう。古川東宮大夫と検査を担当した医師らが会見で明らかにした。診断後、流産手術が行われた。

 経済効果などというものを報じる必要があったのか。雅子さまご本人の意思が無視された報道だったのだから、極めて悪質な人権侵害にほかならない。

 当然、朝日には抗議が殺到。390件に達したと朝日は報じた。当時の朝日の紙面によると、その抗議内容は「皇太子さま、雅子さまにとって、非常に精神的負担のかかる問題であることを全く考慮していない」「妊娠初期の流産は私の周りでも、たくさんの人が経験している。スクープした時点でとても腹が立った。せめて安定期までどうして待てなかったのか」といった内容だった。

 読者は怒り心頭だし、宮内庁関係者もまた怒っていた。


■「オレたちのせいではない」


 皇族の方という問題を抜きにしてもあまりに哀しかった。

 小さな命を二の次にして報道合戦をするなんて、どうかしている。朝日は何を考えていたのだろう。

 朝日は自分たちが報道した理由を〈皇太子ご夫妻が公人中の公人であること、皇室、とりわけ皇位継承にかかわる事柄は国民の重大な関心事であること、さらに今回は慶事の兆しであることを考え、表現を抑制して報道することを決断しました〉とした。 当時、筆者は朝日とは比較にならない小さなスポーツ紙にいて、次のように書いた。

〈皇族は憲法の通り、象徴と象徴に準ずる存在であり、公人か私人かの二者択一はなじまない。皇族は公務を行うものの、それが公人の根拠とはならない。通常、公人と目されるのは政治家、財界と官界の要職者らであり、皇族が「公人中の公人」と記された例は記憶にない。そもそも公人と私人の区別は明文化されていない。法律学者の間でも皇族が公人か否かは意見が分かれるはずだ。それを決めつけるのは疑問だ〉

 皇族は基本的には自分の立場を選べない。公人としてしまうのは乱暴だろう。

 なぜ頼まれてもいないのに当事者に無断でご懐妊を書かなくてはならなかったのか。こんな過去がありながら、メディアの警察よろしく眞子さまと小室さんの件についてクビを突っ込む立場なのか。

 朝日は2000年1月1日の第2社会面にこんな釈明を載せた。書いたのは当時の東京本社編集局長・三浦昭彦氏である。長いが、引用する。

〈懐妊の兆候がみられた皇太子妃雅子さまが妊娠7週ごろに流産という事態に至ったことは、まことに残念であり、私たちはいま深い悲しみの気持ちでいっぱいです。

 雅子さまの担当医である岡井崇・愛育病院産婦人科部長は記者会見で、「(妊娠の段階で)どうしても防げないケースがたまたま妃殿下に起きたということで、報道によるストレスなどが直接の原因ではない」との所見を示しています〉

 本当なのかも知れないが、これでは「流産はオレたちのせいではない」と言っているのと同じで、当事者が書くことではないだろう。

〈一方で、「懐妊の兆候」を本社がいち早く報じたことに対し、多くの方々から厳しい批判、意見が寄せられています。

 批判の中心は、正式な発表の前に、母性の保護に配慮せず皇太子ご夫妻のプライバシーに踏み込んだのではないか、という指摘です。

 この点では、私たちも悩みました。特に心身ともに不安定になる懐妊初期の段階で報道に踏み切ることに迷いがなかったとはいえません〉

 では、どうして書いたのか。迷ったら、書かない。新聞社、雑誌社、記者の鉄則である。「迷いましたが、書きました」というのでは、逃げであり、単なるアリバイ工作である。


■週刊誌報道を批判する権利などあるのか


 先に引用した次の点も問題だ。

〈皇太子ご夫妻が公人中の公人であること、皇室、とりわけ皇位継承にかかわる事柄は国民の重大な関心事であること、さらに今回は慶事の兆しであることを考え、表現を抑制して報道することを決断しました〉

 1面トップが「抑制」なのだそうだ。また「公人中の公人」だから、報道に踏みきったという。社会的関心事について事実を早く正確に把握し、伝えていくことは報道機関の基本的な使命なのだという。

 じゃあ、週刊誌の眞子さまと小室さんの報道は正しいことになってしまう。少なくとも朝日に週刊誌報道を批判する権利などあるのか。

 この件から約20年余。朝日はすっかり自信を付けたようで、週刊誌を糾弾している。

 週刊誌をこう批判している。

■結婚報道、週刊誌が小室家追う理由「公人性高い」「国民の関心事」

■「眞子さまと小室さん親子、過熱する報道 公益性があると胸を張れるか」……。

 朝日が戦前、若者を戦争に駆り立てながら、戦後は平和主義に転じ、そうでないマスコミを批判しているのはご存じの通りである。むろん、それを批判するつもりはない。

 皇族への人権侵害から、皇族への人権侵害をしていると思しき週刊誌の批判へ。随分と変わるものである。

 朝日らしいといえばそれまでだが、誰かを糾弾する前に自らを徹底批判すべきではないか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年10月24日 掲載

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