元公安警察官は見た 息子が喧嘩で逮捕され、某国駐日大使がとった意外な行動とは

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年務め、数年前に退職。この9月『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、中東の某国大使の息子について聞いた。

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 今回ご紹介するのは、武力紛争やテロが絶えない中東からやって来たある駐日大使の息子の話である。

「この大使はもともと医師で、本国では大臣を務めた人格者として知られた人物でした。ただ、悩みの種は一緒に日本に連れてきた息子でした」

 と語るのは、勝丸氏。当時、公安部外事1課の公館連絡担当班に配属された同氏は、大使館や総領事館との連絡・調整が主な任務で、日頃から外交官と接触していた。

「ある土曜日の晩、息子が東京・港区の飲食店で客と喧嘩騒ぎを起こし、店の前の路上で殴り合って全治3日の怪我を負わせたのです」

 実はこの息子、これまで何度も暴力沙汰を起こし、地元の警察署では札付きのワルとして知られていたという。


■粗暴な息子


「酔っぱらって、チンピラと目が合っただけで喧嘩することもあったそうです。粗暴な性格なのでしょう。もっとも、無銭飲食とか置き引きをするようなことはなかったそうですが……」

 外交官の子息は、23歳まで親と同じ外交特権が与えられるが、24歳以上になると、一般外国人と同じ扱いになる。ただし、身障者や大学院生などは特例としてその期間が延長されることがあるという。

「大使の息子は28歳でしたから、外交特権がないことはわかっていましたが、警察官は念のため外交官等身分証明書を持っているかも本人に確認したそうです。息子は『ないです。返納しました』と言うので、パトカーで警察署に連行したそうです」

 その後、警察署から勝丸氏へ連絡が入ったという。

「いくら外交特権がないとはいえ、大使の息子をどう扱うかは難しいものです。住まいは大使公邸なので家宅捜索をできませんし、なにより相手国がどんな反応をするか予測がつきません。大使が警察に猛抗議して、国家間の問題にまで発展する可能性がある。そこで彼をどう扱ったらよいか相談の連絡が私にあったのです」

 大使の息子は現行犯逮捕され、留置所に入れられていた。

「するとその翌日、私の携帯に大使の秘書から電話がかかってきました。秘書は『大使が緊急の案件であなたと話がしたいと言っています』というので、すぐ応じました」

 大使は、

「国家の恥、民族の恥、一族の恥でもある私の息子のことなのですが、お話できますか」

 と、少し芝居がかった言いまわしで話し出したという。

■示談に応じた大使


「息子のことで恥じ入っている大使の誠実な人柄がよくわかりました。大使は『あんな奴だが私の息子です。罪を許してくれとは言いませんが、今後どうなるか教えてくれませんか』と、かなり心配している様子でした」

 大使の息子は、一方的に相手を殴ったわけではなく、自分も殴られていたという。

「こういう場合はどちらも加害者であり、被害者になるので、大使に『息子さんの方からも被害届を出すことができますが、その考えはありますか?』と尋ねました。すると、大使は『そんなことはしたくない。私は息子が怪我をさせた相手に謝罪したい』と答えました」

 勝丸氏は上司に相談した。

「被害者の日本人男性は、医師の診断書と被害届を提出しているが、怪我の程度は軽く、示談に応じる意向を示していました。そこで大使に電話をかけ、『日本には示談という制度があって、相手に謝罪して金銭面で十分な誠意を見せれば事態は好転する』と伝えると、大使は示談に応じました」

 結局、息子は勾留満期を迎える前に処分保留で釈放された。

 それからしばらくして、勝丸氏は大使館で開かれたレセプションに招かれた。

「大使館は白亜の美しい建物で、広場の会場に通されると、若者が私の目をまっすぐに見て『サンキュー・フォー・エブリシング』と深々とお辞儀をするのです。キリッとした顔立ちの若者でした。それが大使の息子でした。彼の澄んだ目を見た時、更生の余地があるなと思いました」

 その後勝丸氏は、大使の息子と食事に出かけるようになったという。

「大使から『息子はあなたの言うことは素直に聞くようなので、あいつをお茶や食事に誘ってください。費用はすべて私が払います』と言われました」

 勝丸氏は遠慮なく、大使の息子と一緒に何度も高級レストランに行ったという。

「彼は自分の前で威圧的な父親に反感を持っていたのです。これまで父親から嫌な目にあったことなどを、聞かされました。彼は『父親はムスリムなのに、ドイツ留学した時豚肉を食った……』なんてことも暴露するので、『そんなことを言ってはいかん』と注意しました」

 息子はテンプル大学東京校に通っていたが、中退。ところが、勝丸氏と会うようになって心を入れ替えたのか、また大学に通うようになったという。

「大使はそのことをとても喜んでくれました。その後、大使は本国へ戻り、外務省の要職に就いたそうです。息子も日本を離れ、中東の別の国で暮らしています。時々彼からメールが来ますが、真面目な生活を送っているようです」

デイリー新潮取材班

2021年11月9日 掲載

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