20年間で半減した書店 公共に開かれた場の重要性(古市憲寿)

 この社会で最も万人に開かれた場所はどこだろう。

 たとえば公園。基本的に入場にお金はかからないし、全国には10万以上の都市公園がある。日本の可住地域1平方キロメートルに一つの計算だ。ただし、「昼間から公園にいる人」には奇異の目が向けられることもある。「家族」や「ママと子ども」「カップル」なら何の問題もないが、「中年男性」が一人でいると不審がられるかもしれない。雨風はしのげないし、長時間の滞在は難しい。公民館や文化ホール、警察署あたりは公共施設のはずだが、目的なしに訪れにくい。

 そう考えると、公園よりも、本にまつわる場所のほうが開放的といえる。

 原則として誰の入場も拒まない図書館は、老若男女、誰がいても違和感がない。しかも朝から晩までいてもいいわけだから、リタイアした高齢者から、時間を持て余した10代まで、さまざまな属性の人を目にする。

 2007年に千葉県で英会話講師の女性が殺害された事件があった。犯人の男は2年7カ月の逃亡中、公共図書館のパソコンで求人情報を探し、建設現場や解体現場で働いたこともあるという(市橋達也『逮捕されるまで』)。図書館は、犯罪者さえも受け入れる懐の深い場所なのだ。

 海外で時間が空くと、よく図書館を訪れていた。世界の図書館だけを集めた写真集があるくらい、個性に富んでいる。ぱっと思い浮かぶところで言うと、ノルウェーの小さな港町ボーデの公共図書館の雰囲気が好きだった。

 書店も、商業施設でありながら、異様に開かれた場所だと思う。初めてどこかの街を訪れたとする。約束まで時間がある。その間どうやって暇を潰すか。喫茶店はオーナーの個性が強すぎるかもしれない。服屋は趣味が良すぎるか、悪すぎる可能性がある。知らない商店街の洋品店に入るのには、かなりの勇気が必要だ。

 そんな時は書店の出番である。「いらっしゃいませ。今日はどんな本をお探しでしょうか」とか「その本、本当にお客様にお似合いです!」といった接客を受けることもない。数分だけの滞在で、何も買わずに出て行っても、それほど気まずくない。その意味で、日本における書店というのは、極めて公共性の高い場所といえるだろう。

 しかし書店の減少が止まらない。2001年に全国で2万軒以上あった書店は、20年には実店舗数が1万軒を割り込んだという。

 地方に行くと、コンビニが実質的に書店の役割を果たしている場合もある。財政破綻した北海道の夕張に行った時、コンビニの雑誌コーナーが充実していて、その中でもクロスワードやイラストロジックがやけにたくさん並んでいた。

 願わくば、何らかの形で書店に生き延びてほしい。街から一軒の書店が消えることは、一つの公園がなくなることに近いと思う。確かに公園がなくても人間は暮らしていけるが、その街はひどく味気なく、精彩に欠ける。『楽観論』を売ってもらおうと書店に媚びを売っているわけではない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2021年11月11日号 掲載

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