日本人はマスクを外せなくなる? コミュニケーションに起きている異変…「顔学」の第一人者が警鐘

日本人はマスクを外せなくなる? コミュニケーションに起きている異変…「顔学」の第一人者が警鐘

変わったのは景色だけではない

 時短制限も解除され、ようやく一息つくことができている秋の日本列島。だがその「一息」も、アレのせいで息苦しいものに……。マスク着用を強いられて1年半超が経過。人間の順応力は凄まじく、不便な生活に慣れる一方で、大事なものを失おうとしている。

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 息苦しくて暑苦しい上に、面倒くさい。そんなマスク生活を強いられて1年半以上が経ちました。感染状況が落ち着いているとはいえ、未だにマスクを手放すことができない状況が続いています。とはいえ、いずれはマスクなしで過ごせる日が訪れるはずです。

 しかし、いざその日がやってきたとして私たちはマスクを外すでしょうか。実のところ私は懐疑的です。つまり「強制的」にマスクをしなければならない時代が終わっても、「自主的」にマスクをつける時代が到来する可能性があるのではないかという気がしているのです。なぜなら、マスクをしていたほうが「楽」であることに、我々は気づいてしまったからです。

〈こう語る原島博・東大名誉教授は「顔学」の第一人者である。

 もともと電子情報工学を専門としていたが、研究の過程で人間のコミュニケーション法に興味を持ち、そこでは「顔」が大きな役割を果たしていることに気づく。そして1995年に「日本顔学会」を発足させ、その後同会の会長に就任。以来、顔に関する考察を続けてきたが、昨年、そんな原島教授にとって大変興味深い事態が起きる。コロナ禍、すなわちマスク社会の出現である。顔の下半分を覆い隠すマスク生活において、改めて顔の意味や価値、役割について考えさせられたという。〉

 95年は日本のインターネット元年と呼ばれる年でした。人類史上、長年にわたり当たり前であった顔、つまり表情を通じてのコミュニケーションが、この頃から変わり始めました。

 当初はインターネットの技術も未発達で、ネット上でお互いの顔を見せ合うことは難しく、これからネット上では顔を見せず、隠した上でのコミュニケーションが主流となっていくのではないか。そうなった場合はコミュニケーションの主体である人間の人格にも影響を与えるかもしれない。そんなふうに考え、「匿名」ならぬ「匿顔(とくがん)」という言葉を作り、顔を隠してのコミュニケーションについて考えを深めてみようと思い至ったのです。


■人間に豊かな表情がある理由


 ところが、話はそんな生易しいものではなくなってしまいました。コロナ禍により、あくまでネット上のこととして考えていた「匿顔コミュニケーション」が、現実の世界のものとなったのです。マスクで顔を隠してのコミュニケーションは、まさに匿顔コミュニケーションに他なりません。

 人間のコミュニケーションにおいて、顔がいかに重要なツールであるかを考える上で、まず「顔の歴史」を振り返ってみたいと思います。

 人類がチンパンジーと分かれたのは約700万年前だといわれています。その後、直立歩行するようになり、人類は熱帯雨林の中から草原地帯であるサバンナへと飛び出していきました。

 それは大変厳しい環境でした。見晴らしが良い分、いつ猛獣に襲い掛かられるか分からない。また、森の中にはすぐそばに木の実などの食料があったのに対し、サバンナでは遠くまで獲物を探しにいかなければなりません。そうした状況で、人間はひとりでは猛獣と戦えませんし、赤ちゃんを抱えたお母さんは遠くまではいけないので、集団の力で食料を獲り、分配する道を選んだ。そこではコミュニケーションが不可欠です。つまりコミュニケーションが、人類が生きていく上で死活的に重要な「本質」となったのです。

 さらに、直立歩行によって人類の顔は柔らかくなりました。

 動物の顔は、敵を攻撃するため、また手を使わず直接口でものを食べるために、大きく、そして硬くなり、前に飛び出しています。

 一方、両手を自由に使えるようになった人類は、敵を攻撃する時に必ずしも口を使う必要がなくなった。そして、わざわざ口を前に持っていかなくても、手で食べ物を取って口に運ぶことができるようになりました。そのため顔が柔らかくなり表情が生まれた。豊かな表情によって、集団の中でお互いの気持ちを伝え、読む能力が発達したのです。


■人間と猿の違いは


 同時に、顔から毛がなくなっていき、一番見えやすいところにある顔が一層、コミュニケーションの鍵となります。その後、人類は服を着て身体を隠し、顔だけが「裸」という状態に。こうしてお互いのことを知る判断基準が顔、表情に集中することになったのです。

 猿と比べてみましょう。「ミス美猿コンテスト」があったとします。猿たちはどこのパーツを基準に美猿を選ぶのでしょう。顔でしょうか、それともお尻でしょうか。猿に聞いてみないと分かりませんが、顔だけではないはずです。

 他方、人間の場合は、その女性の色気や魅力を何に基づいて判断するかといえば、結局はほとんど顔です。

 このことからも分かるように、顔は、人体の表面積に占める割合はさほどでもないのに、さまざまな機能が集中し、人の存在の象徴であり、アイデンティティそのものになったとさえいえるのです。

 人間にとって、顔はこれほど重要なものであるにも拘(かかわ)らず、コロナ禍ではそれを隠す生活をしなければならなくなりました。人間のコミュニケーションに大きな影響を与えるのは当然のことといえます。

 では、マスクによって、我々の何が変わったのかを考えてみます。その上でヒントになるのは、新潮さんを含む週刊誌の報道です。


■週刊誌の写真で目線が入れられる理由


 未成年であったり、容疑者とはいえない疑惑の人だったり、週刊誌に掲載される写真には黒い目線が入れられることがあります。顔の一部を隠すのであれば「口線」でもいいはずなのに、なぜ週刊誌は口ではなく目に線を入れるのでしょうか。それは目が「その人が誰であるか」を識別するパーツだからです。したがって、それが誰か分からなくするために目線を入れる。誰であるかを判別不能にするために、「口線」を入れる週刊誌は存在しません。

 それでは、口とは何なのか。「感情」を伝えるパーツです。「目は口ほどにものを言う」とはいうものの、やはり目だけで感情を表現することは難しく、より動かしやすい口の表情によって感情は伝わる。相手の感情を読むためには、口もとが大事になるのです。

 神奈川県内のある市役所で、職員がマスクをつけたまま市民と接していたところコミュニケーションが上手くいかなかったために、マスクはしたままであるものの、その職員がマスクを外した時の顔写真を胸に貼って応対することにしてみた。すると、市民からの評判が良くなったそうです。

 このエピソードは、「その人の顔を知っている」ことがいかに大事かを物語っています。顔が分かっていれば、実際に応対する時にマスクをつけていても、ある程度、その人の表情や感情の想像がつく。あらかじめ頭の中にあるその人の顔のイメージを、脳が勝手に目の前にいるマスク姿の相手の顔に重ね合わせてくれるのです。

 というのも、実は人間は相手の顔をそれほど真剣には見ていないのです。


■人は脳で顔を見る


 例えば、交番に貼ってある指名手配犯の顔は、みんな極悪人に見えますよね。それは、その人を「悪い人」だと思って見ているからです。しかし同じ人の写真が、「ノーベル賞受賞者」としてテレビで紹介されたらどうでしょうか。おそらく、「ちょっと癖が強いけれど、やはり普通の人とは違って個性的だな」などと思うはずです。良くも悪くも、「情報」によって顔の見え方は変わる。つまり、人は「目」と同時に「脳」で顔を見ているのです。

 マスクをつけた状態の顔しか分からない人については、「悪い人」、あるいは「ノーベル賞受賞者」と言われても、ベースとなる「目」で見た顔情報が少ないので、「脳」で見ようがない。このように、マスクで口を隠すことは、「人柄」を想像しながら行うコミュニケーションに大いに影響を及ぼす可能性があるわけです。

 以前、ある女子高生が「何人友だちがいますか?」というアンケートに対し、「500人」と答えたという話を聞いたことがあります。彼女は、ネット上でしか交流がない人のことも「友だち」に含めていたのです。マスク着用生活が続けば、この女子高生のように表面的な付き合いこそが友人関係なのだということになりかねない。これまでの人間関係の「距離感」というものが、根底から変わってしまう可能性があるのです。


■ソーシャルディスタンスで失われる親密な距離感


 高名な文化人類学者であるエドワード・T・ホールが提唱した、有名な「対人距離の4分類」というものがあります。

 ひとつ目は「密接距離」。0〜0.45メートルほどの距離で、親子や恋人など、ごく親しい人に許される距離です。

 ふたつ目は「個体距離」。0.45〜1.2メートルくらいで、親しい友人などと話すときに取る距離であり、相手の表情を読み取ることができます。

 三つ目は「社会距離」で、1.2〜3.5メートル程度、ビジネスの場などで取る距離です。

 そして四つ目が「公共距離」。講演会等での演者と聴衆との距離がこれにあたります。

 コロナ禍で求められているソーシャルディスタンスは「社会距離」に相当します。これは、自分を守りながらコミュニケーションを取る距離と同義。2メートル以上離れていれば、相手が急にナイフを取り出してきても自衛が可能です。しかし本来、友だちなどとは相手の表情、感情を感じ取れる「個体距離」で接していたわけで、ソーシャルディスタンスはこの個体距離を禁じている。これは由々しき問題を孕んでいます。

 もちろん感染症対策は重要です。とはいえ、コミュニケーションの観点から見れば、「ソーシャルディスタンス」=「社会距離」=「自分を守ることが大前提となる距離」でしか人と関われなくなることに弊害がないわけがありません。相手を理解するコミュニケーションが忘れ去られ、表面的なコミュニケーションだけで成り立つ社会になってしまうことが懸念されるのです。そうした社会では、信頼関係など醸成され得ないのではないでしょうか。不安を抱えやすいコロナ禍だからこそ、相手と感情を読み合うコミュニケーションが大切なはずなのですが……。大いなる矛盾があるような気がしてなりません。


■口を見る欧米人、目を見る日本人


 こう見ると、「マスクコミュニケーション」には、さまざまな問題点があることが分かります。にも拘らず、日本では欧米に比べてマスク着用が徹底されている。そこにはやはり「顔文化の差」があるといえます。

 日本と事情が異なり、多民族で共生している地域が多い欧米では、「同じ民族なんだから分かるだろ?」は通用せず、表情を大袈裟にすることで自らの意思をしっかりと伝えることが求められます。そのため、表情の鍵となる口は極めて重要であり、それをマスクで隠すことはコミュニケーションができなくなることを意味します。ゆえに、マスクに抵抗感を示す人が日本よりも多いのでしょう。

 会話をする時に相手のどこを見るかという研究データでも、欧米人は口を見る傾向があるのに対し、日本人は目を見る傾向が強いという結果が出ています。日本人が、サングラスをしている人を「失礼だ」と感じがちなのも頷けます。その分、口を隠すことにはサングラスほどの拒否感を示さないのかもしれません。

 こうした日本人特有の事情に加え、冒頭で触れたように、我々はマスク生活の「楽さ」を覚えてしまいました。そのためポストコロナの時代になっても、人々はなかなかマスクを外さないのではないかと私は思うのです。その「楽さ」とは何か。


■マスクが奪った緊張感


 顔というものは、常に「見る/見られる」の関係にあります。したがって、人間には「本当の顔」が存在しません。どういうことかというと、キャビンアテンダント(CA)が機内で乗客に見せる笑顔と、普段の笑顔は全く違うはずです。CAに限らずとも、我々が普段道を歩いている時に見知らぬ人に見せている顔と、家族に見せる顔も違う。つまり、相手との関係によって顔、表情は違ってくる。人間にはいろいろな顔があり、「本当の顔」などというものは存在しない所以(ゆえん)であり、これが人間の面白さでもあります。

「見られる相手」によって人間の顔は変わるということは、同時に、常に顔を見られていて緊張を強いられていることを意味します。マスクの着用により、この緊張感から私たちは解放されたのです。マスクをすると息苦しい反面、自分の顔、表情を読み取られることがなく、どこかホッとするところがありませんか?


■マスクを外すことに羞恥心を覚える可能性


 また、女性にとってはマスク着用によってメイクをする手間が省けて便利になった面もあると思いますし、他にもマスクの「メリット」としては、美男美女に見えることも挙げられます。実際、マスクを外した顔を初めて見て、想像以上に美男美女だったと感じたことがありますか? 現実はその反対で、「あれっ、思っていたより……」と、ガッカリすることのほうが多いのではないかと思います。それは情報が不完全だと、脳が自分の理想をあてはめて補完するからです。マスクで口もとが覆われている場合、理想的な口もとを脳が勝手に思い描く。「マスク美男美女」の誕生です。

 いずれにせよ、マスクをしていることがスタンダードになると、マスクを外すのが恥ずかしく感じるようになっていく。ひとたび「裸」だった顔を隠す生活になじんでしまうと、マスクを外して「素っ裸」になることに羞恥心を覚える可能性があるのです。あるいは、マスクをしていない他人の素顔を見ることに、裸体を見るような気恥ずかしさを感じるようになるかもしれません。人前でマスクを外すのは、公序良俗に反するなんてことにもなりかねない。

 こう考えてみると、マスク生活の中で何が失われているかを考えることが、いかに大切であるかが分かると思います。ポストコロナに向けて大事なことは、マスクの着用を習慣化、常態化するのではなく、今、マスクが必要な時なのか否かを適宜、主体的に判断することではないでしょうか。

 どうしてもマスクをし続ける必要があるのであれば、マスクで遊んでみるのもいいでしょう。せっかく顔の下半分がマスクによって「真っ白なキャンバス」になっている状態なのですから、そこに絵を描いたり、自己宣伝の情報を書いてみるのもいいかもしれません。

 マスクで遊ぶなどしてマスクに縛られない。大事なことは、マスクに振り回されるのではなく、マスクの呪縛から人間が自由になることだと思います。

原島 博(はらしまひろし)
東大名誉教授。1945年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業後、同学部助教授を経て91年に教授に。95年に設立された「日本顔学会」のメンバーとなり、会長も努めた。専門はコミュニケーション工学。著書に『情報と符号の理論』『人の顔を変えたのは何か』(ともに共著)等がある。

「週刊新潮」2021年11月18日号 掲載

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