元公安警察官は見た 産業スパイだったロシア外交官を追いつめた「強制尾行」とは

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年務め、数年前に退職。9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、ロシアのスパイを強制尾行した話について聞いた。

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 公安捜査員が行う尾行は、2種類あることをご存じだろうか。相手に絶対バレないように行う“秘匿尾行”と、相手に「見ているぞ」とわからせるように堂々と捜査員を張りつける“強制尾行”だ。世間一般で尾行と言えば前者だろうが、後者は相手の行動を制限するための特別な尾行と言える。今回は強制尾行を行使したケースをご紹介する。

「私が公安部の外事1課に在任していた時、日本の精密機器の中堅企業で、社員が機密情報を持ち出している疑いが浮上しました」

 と語るのは、勝丸氏。


■SVRの諜報員


「その会社が民間の調査会社に依頼して内部調査を進めたところ、疑惑の社員は先端技術の情報をCDに入れて持ち出し、複数の人間に渡していることが判明したそうです。うち1人は外国人で、調査会社の調査員が尾行したところ、東京・港区にあるロシア通商代表部に入って行くところが確認されたといいます」

 そこで会社は、管轄の警察署に相談したという。

「管轄署は、ロシアの外交官が関与しているかもしれないケースなので、公安外事1課に報告がきました。調査会社が作成した報告書の中に、問題の外国人を撮影した写真があったので調べたところ、ロシアのSVR(ロシア対外情報庁)に所属する外交官であることが判明しました」

 その後、管轄署に外事1課が協力する形で捜査が進められたという。

「社員とロシア人の接触はその後も繰り返され、これ以上泳がすのは問題だという判断から、社員の逮捕に踏み切ることになりました。会社の財産を勝手に持ち出して利益を得たという、業務上横領の容疑で立件しました」

 会社は捜査に全面的に協力したが、

「社長から『社の信用にかかわることなので、世間には知られたくない』と懇願されました。社員による横領事件として処理されたこともあり、ロシア人スパイの存在は公表されませんでした。管轄署扱いの事件なので、新聞で報じられることもありませんでした」

 情報を受け取っていたSVRのスパイはどうなった。

「本来なら、社員がロシア人スパイに情報を手渡しているところを押えるのがベストです。外交官は逮捕できませんが、それを外交官のお目付け役である外務省の儀典官室に報告すれば、国外退去処分にできるからです。そこで、このケースでは強制尾行を行いました」

■大使館から出てこない


 強制尾行で捜査員は、秘匿尾行とは真逆の行動をとるという。

「外交官が大使館を出た瞬間からずっとつけ回します。エレベーターに乗ったら一緒に乗り込み、トイレに入ったら、横に並んで用を足します。パーティー会場に行くのなら、入り口までついて行って、『じゃあここで待っているから』と言って手を振ったりもします。スパイは苛ついてきて『外務省に抗議するぞ!』と言ってきますが、その場合は『どうぞ』と答えますね」

 強制尾行は5、6人のチームで行う。そのうち3人が交代でターゲットの前に姿を現すという。

「毎日のようにそんな尾行していると、詰め寄られて罵られることもあります。そういう時は『あなたとたまたま行く方向が一緒なんだ』と言い返します。掴み合いになることもありますが、警察沙汰になって困るのはスパイの方です。外交特権があるとはいえ、警察沙汰になること自体、彼らの失態になるからです」

 件のロシア人スパイは、強制尾行に対して、どんな反応を示したのだろうか。

「最初は捜査員に抗議していましたが、そのうちいい加減にうんざりしてしまったのか、大使館から出てこなくなりました。そして、1カ月もしないうちにロシアに帰国しました」

 公安部外事1課には、強制尾行するチームは3〜4つあるという。

「秘匿尾行チームは絶対に顔が知られてはいけないので、強制尾行をすることはありません。なぜか秘匿尾行チームと強制尾行チームは仲が悪いですね」

 今回紹介した事件のように、企業がスパイの被害にあっても公表されないケースはかなりあるという。

「新聞やテレビのニュースで報道されるスパイ事件は、氷山の一角にすぎないのです」

デイリー新潮編集部

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