日本製なのに「メイド・イン・チャイナ」? 江戸時代の有田磁器が中国製として売り出された理由(古市憲寿)

日本製なのに「メイド・イン・チャイナ」? 江戸時代の有田磁器が中国製として売り出された理由(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

「大明成化年製」。明とは1368年から1644年にかけて存在した中国の王朝、成化とはその元号の一つである。今風に言えば「メイド・イン・チャイナ」だ。江戸時代に佐賀(肥前)で作られた焼き物には、「大明成化年製」と銘款されたものがある。

 銘とは、器に記された商標や作者名のこと。どうして日本製のプロダクトが、わざわざ「メイド・イン・チャイナ」を名乗ったのか。その興味深い背景を佐賀県の九州陶磁文化館の鈴田由紀夫館長に教えてもらった。

 佐賀は、有田焼、伊万里焼、唐津焼など、磁器や陶器が世界的に有名である。現代に連なる陶磁器の歴史は約400年前に始まった。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵以降、半島から数多くの陶工が渡来、帰化した。定説では、李参平が有田町の泉山から白磁鉱を発見、有田焼の歴史が始まったとされる。

 九州陶磁文化館の柴田夫妻コレクションという展示室では、1600年代から幕末まで、有田磁器の歴史を一気に見ることができた。通常の蒐集家と違って、柴田夫妻は各時代の「欲しくない器」も集めたのである。

 面白いのは、磁器が一直線に進化したわけではないこと。黎明期にあたる1600年代の作品は、勢いがあるものの、洗練されていないようにも見える。それが数十年かけてレベルを高めていくのがわかる。

 1640年代には中国の技術を取り入れて、日本で初めての色絵磁器が出現し、窯場(かまば)の統廃合により生産量も増大した。あの有名な初代柿右衛門が赤絵の技法を開発したのもこの頃だ。

 元禄文化が花開く1700年頃になると、器は一気に派手になる。当時の世相が、今でいうバブルに近いことがわかる。少し前のグッチやドルガバのような派手なプロダクトが作られるようになるのだ。

 だがしばらくすると、質素倹約を旨とする享保の改革の影響を受けたのか、明らかに磁器が地味になっていく。そして「手抜き」も散見される。職人の腕が悪くても、それなりに見える意匠が目立つのだ。

 有田磁器は、ヨーロッパでも大流行した。特に中国が明王朝から清王朝に代わり、内乱が起こっていた17世紀後半は、中国磁器の代替品として注目された。その時に使われた銘款が「大明成化年製」なのである。中国を模して作った器に、「メイド・イン・チャイナ」と銘款したわけだ。

 もっとも今のような権利意識が存在しない時代だ。有田磁器も、ばっちりパクられている。ヨーロッパが白磁の生産に成功したのは、日本から遅れること約1世紀、1708年のことだ。現在のマイセンの元となる窯だが、初期の頃は、柿右衛門の写しが人気作品だった。文化とは模倣によって発展し、洗練されていくのだろう。

 朝鮮半島の技術を取り入れ、「メイド・イン・チャイナ」と銘款された、日本の白磁を使ったプロダクトが、ヨーロッパで流行する。コロナで海外渡航の自由が制限される時代だからこそ余計、佐賀の片隅で世界を感じてしまった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2021年12月23日号 掲載

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