コロナ目線でヒトを見てみてわかること 養老先生のコロナ論

 オミクロン株の存在があるとはいえ、新型コロナウイルスについてはかなりのことがわかってきた、というのは一般的な共通認識だろう。ワクチンは開発され、治療法もある程度確立されたのは間違いない。が、そのわりには人によってスタンスは多種多様、というかむしろパンデミック初期よりも、新型コロナについての考え方には多くのバリエーションが生まれ、分断があちこちに生まれている状況だと言えるのではないか。WHO,政府、分科会、医師会、専門家会議等々、さまざまな「関係者」の権威が高まっているとは言いづらい。

 なぜこのようになるのか。

『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟司さんは、新著『ヒトの壁』の中で、コロナ問題について独自の視点からの考察を試みている。一言で言えば、ヒトの目線ではなく、コロナ目線でのコロナ論である。同書から抜粋して引用してみよう。


■ウイルスの大きさでヒトを見てみたら?


「コロナ問題について、ウイルスの大きさから考えてみよう。

 テレビ放送では、ニュースの初めにコロナウイルスの電子顕微鏡写真が映されることが多い。多くの人がその映像を見慣れたと思う。では聞くとしよう。ウイルスがあの大きさで見える倍率の顕微鏡で、アナウンサーを見たら、どのくらいの大きさになるだろうか。

 私の概算では、100万メートル、千キロの桁(けた)に達する。とうていテレビの画面にウイルスと一緒に映せたものではない。ところが画面では、ウイルスとアナウンサーが当然のように同居している。大げさなようだが、現代人の盲点の一つがここに示されている。両者を同一の画面で扱って、当然だと思っているらしいからである。

 ウイルスの側から世界を見てみよう。ウイルスにとって1個の細胞は自分の100倍以上の大きさになる。ウイルスをヒトと考えれば、細胞は一辺が100メートルの桁の立体に相当する。しかもヒトの身体は10兆の桁数の細胞からできている。なんとも巨大な世界ではないか。ウイルスにとっての人体は、ヒトにとっての地球以上になるのではないか。

 現代科学はウイルスの構造を調べたうえで確定することができる。写真すら撮ることができる。でも問題はそこではない。

 ウイルスが取り付く相手はヒトの細胞だからである。そこにサイズの問題あるいは関係性の問題が表れる。ウイルスの構造はわかったとして、取り付かれるヒトの細胞はどうか。ウイルスを見る精度でヒトの細胞を見たら、どうなるか。さらにはヒト個人、挙句にヒト社会まで見ようとしたらどうなるか。

 ウイルスを調べるのと同じ目線では、とても無理に決まっている。ウイルスを基準にすれば、細胞ですら大き過ぎて、情報処理が完全にはできない。そんなややこしいものを研究者も見たくないに違いない。しかもその細胞は、常時生きて動き続けている。見ている傍(そば)から、変化してしまう。そんなものは見ることができない」

 ウイルスを見る目で、ヒトやヒトの社会を見てしまうと、見落とすこと、見誤ることが出てくるのではないか。養老さんはそう指摘しているのだ。


■部分を見れば全体はボケる


「世界をできるだけ正確に、つまり『科学的に』見ようとすることはできる。しかしそれは常に部分に留まる。なぜなら部分を正確に把握すると、全体はいわばその分だけ、膨張するからである。

 ウイルスを100万倍の拡大で見ることはできる。それをやると、じつは世界が100万倍になってしまう。ウイルスの人体への影響をその正確さで見ようとするなら、それが取り付く相手の細胞も100万倍の桁で見なければならない。その意味で、なにかが正確にわかるということは、「関連する」事象がその分だけボケることを意味する。(略)

 こうして科学は専門化する。ウイルス学者は同じ目線でヒトを見ない。すでに述べたように、ウイルス目線では、ヒトは大きすぎて見えないからである。コロナ問題で専門家会議が始終開かれる。その遠因はここにある。解像度の違うものは一つの土俵で並べられない。私はそう思う。

 そこで当然ながら、問題が生じる。専門家と官僚と政治家が集まった時、そうした人々の共通のプラットホームとはなにか。主題はコロナに決まっているけれど、目線はどうなのか。数学でも熱力学でも情報理論でもあるまい。それなら専門家会議こそが旧約聖書にいうところの『バベルの塔』ではないのか。天に届こうとする塔を建てようとした人間に怒った神様は、作業が進まないようにそれまで一つだった言語をバラバラにしてしまう。その結果、作業は頓挫(とんざ)してしまった。

 専門家会議でも、じつは全員が別な言葉を語っているのかもしれないのである」

「ゼロコロナ」を強く訴える人の目には、ウイルスは見えていても、社会が見えていない、といったことにも通じるのかもしれない。かくして人々の間には「バカの壁」が立ちはだかるということなのか――。

デイリー新潮編集部

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