『それでもボクはやっていない』周防正行監督が語った“日本で冤罪が起こる理由” 【袴田事件と世界一の姉】

『それでもボクはやっていない』周防正行監督が語った“日本で冤罪が起こる理由” 【袴田事件と世界一の姉】

猪野待子さんの司会で壇上で語る袴田ひで子さん(撮影・粟野仁雄)

 1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(85)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。実に47年が経ち、30歳で逮捕された男は、この時78歳になっていた。再審開始を目指す巖さんと姉・ひで子さんを追った連載の第6回。(粟野仁雄/ジャーナリスト)

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 雪化粧の富士山が青空に映えた快晴の12月18日土曜日、静岡県浜松市で講演会『それでも僕は黙っていない』(袴田さん支援クラブ、袴田サポーターズクラブ主催)が開催された。毎月第3土曜日に様々なゲストを呼んで講演してもらう勉強会「袴田事件がわかる会」の50回目の記念講演で、講演者は映画監督・脚本家の周防正行氏(65)である。同会は通常、袴田巖さんと姉・ひで子さんが暮らすマンションからも歩いてすぐの浜松市復興記念会館で行われていたが、この日は特別ゲストが来るということで立派な市の地域情報センターで行われた。会場は満員となった。

『シコふんじゃった』(1992年)、『Shall We ダンス?』(1996年)などで様々な賞を獲得した周防氏は、2008年に痴漢冤罪をテーマにした『それでもボクはやってない』を公開した。それを機に、2011年に設置された政府の「新時代の刑事司法制度特別部会」の有識者委員として、冤罪を作り出さない司法のために多くの提言をしてきた。


■証拠開示の重要性を説く周防氏


「法学部出身でもなく、ましてや司法試験を受けたこともない、まったく司法の素人ですから『間違っていたら指摘してくださいね』と、小川先生(袴田巖さんの弁護団事務局長・小川秀世弁護士)に頼んでいるんです」と切り出した講演は、意外と言っては失礼かもしれないが、かなり硬派な語りぶりだった。奥さんが『Shall We ダンス?』に主演した女優の草刈民代さんで、華やかな映画界や芸能界に関わる人物だけに、砕けた話し方をするのかなと想像していた。

「2002年に新聞で、東京地裁で有罪、(東京)高裁で逆転無罪になった痴漢冤罪事件を知りました。どんな経緯だったんだろうと関心を持って取材を始めたんです」

 その時、周防氏が取材したのは西武新宿線での痴漢容疑で逮捕・起訴された矢田部孝司さんだった。服飾デザイナーの矢田部さんは妻・あつ子さんとともに必死に戦い、見事に濡れ衣を晴らした。筆者も『「この人、痴漢!」と言われたら――冤罪はある日突然あなたを襲う』(中公新書ラクレ)を執筆する際、お会いして取材したことがある。

「取材を始めた頃、証拠というのはすべて裁判所に出されているとばかり思っていましたが、そうではなかった」と打ち明けた周防氏は、証拠開示の重要性を挙げた。

「痴漢事件は証拠がほとんどありません。爪に(女性の)下着の繊維が残ることなどもありますが、もし鑑識で出てきたら喜んで警察は証拠として出してくる。しかし、鑑識で出てこなかったら、結果を警察は出してこない。鑑識もしなかったことにするんです」。そして「警察・検察は有罪立証に不利になる証拠は裁判所に出さず隠してしまうのです。中には警察が検察に不利な証拠を送致しないこともあります」とも話した。

 滋賀県の病院で死亡した患者をめぐって、殺人罪で有罪となり懲役12年を満期服役した元看護助手の西山美香さんが、2020年3月に再審無罪となった。「湖東記念病院事件」と呼ばれるこの冤罪事件の再審請求審では、「自然死の可能性」を示唆していた専門家の鑑定を、滋賀県警が大津地検に報告していなかった事実が明るみになった。


■「痴漢で調べられて逃亡しますか」


「人質司法」と言われ、容疑を認めなくては検察がいつまでも勾留し続けられる日本の司法を厳しく糾弾してきた周防氏は、「痴漢も認めればすぐ釈放されるが、認めなければ絶対に釈放されない」と話し、勾留理由に「逃亡の恐れ」を挙げていることを鋭く指摘した。

「死刑にもなる殺人とかならともかく、痴漢の疑いがかかって調べられた人が逃亡しますか? サラリーマンなら黙って会社に行くでしょう。痴漢の疑いで調べられて職場も家族も捨てて逃亡するなんてありえないでしょう」と話した。

 勾留について周防氏は、金融商品取引法違反の容疑で逮捕され保釈中に国外逃亡した、日産自動車の元最高責任者カルロス・ゴーン氏も引き合いに出した。

「外圧があって保釈したら逃亡してしまった。新聞などでは『正々堂々と無罪を主張すべきだ』という論調がありました。馬鹿言っちゃいけない。裁判で勝ち目がないから逃げたんですよ。皆さん、北朝鮮や中国で捕まって裁判にかけられた場合、逃げられるなら逃げるでしょ。ゴーンさんにとって日本は、北朝鮮や中国だったのです」

 起訴有罪率が100%近い日本の刑事裁判を知るからだろう。ゴーン氏に好感を持てない筆者は「正々堂々……」の新聞論調に漫然と頷いていたが、やはり慧眼である。痴漢と殺人では罪の重さはまるで違う。周防氏はこの日の講演で袴田事件について語ることはなかったが、全く同じ構造であることを明確に浮き彫りにしてくれていた。詳細はYouTubeの「袴田チャンネル」を見てほしいが、周防氏が強調する冤罪を生む3つの問題点が@人質司法A証拠開示の制限B調書裁判だった。

 周防監督は筆者と同い年。「申(サル)年ですよね」と終了直後に駆け付けて少し質問した。

 筆者が「一人称独白体についてどう思いますか? 特別部会ではどう検討されたのでしょうか?」と問うと、初対面の周防氏は「調書が密室で作られた作文であることは指摘されていましたが、会議では調書に依存するのをやめようということが中心でした。録音、録画されれば調書の形式はさほど問題ではなくなるので。(一人称独白体には)私も最初、びっくりしましたが、あまり議論にならなかったですね」などと答えてくれた。

 少し説明しよう。「一人称独白体」は、警察や検察の取り調べで「私は相手が死んでもかまわないと思って、持っていた包丁で胸を突き刺しました」などいって、検面調書(検察官による取調調書)や員面調書(司法警察職員、つまり警察官による取調調書)で用いられる、容疑者(法律用語では被疑者)があたかも一人語りで自供したような表現だ。

 Q&Aを再現したものではないため、ニュアンスを変えるなど取調官が「創作できる」要素が多くなり、冤罪に繋がりやすい。検事や警察官が「相手が死んでもいいと思って刺したんだろう」と向けて容疑者が「はあ、まあ……」とか言っただけでも、前述のような自供の調書が出来上がってしまう。一人称独白体は世界的にも珍しく、欧米などではQ&A形式で取られる。出来た調書を容疑者に読み聞かせることにはなっているが、日本では取調官が恣意的に作文できてしまう。


■「裁判員裁判なら袴田さんは無罪だった」


 袴田事件では、警察の供述調書は一審(静岡地裁)で「任意性がない」(自由意志での供述ではない)として44通すべてが証拠排除された。ところが、吉村英三検察官の1通だけが証拠採用され、死刑判決となったのだ。吉村検事が巧みな「創作供述文」を作っていたからである。自供したとされた時点で、巖さんはほとんど何も話していない。それが立派に話したかのようになっている。実はこれも、証拠開示で半世紀前の取り調べの録音が明らかになり判明した。裁判員制度が導入されて、公判前整理手続きで開示される証拠が多くなったのだ。

 筆者は周防氏に「もし袴田事件の一審が裁判員裁判だったらどうなったと思いますか?」とも尋ねた。周防氏は「無罪になったでしょうね。あれだけ調書がありながら1通しか採用されないなんて、普通の人なら『なんで1通だけ認めるの?』ってなるでしょ。でも裁判官は弁護士よりも検察官を信頼してきた。しかし今、これだけ違法捜査が続いてくれば、普通の感覚の裁判官なら、(検察主張を)丸呑みできないと思うはず。おかしな忖度や保身で裁く裁判官なら要らないですよ」と明快だった。

 周防氏は講演の最初で「日本の刑事裁判で裁判官は、法廷での被告人の言葉よりも検察の調書を重視してきた」と調書裁判の弊害もしっかり話していた。


■隣の房の人の処刑からおかしくなった巖さん


 大盛況の講演会では、明るい橙色の服がよく似合うひで子さんが壇上に登場し、弟の巖さんの近況などを話し、最近、金閣寺に連れて行った旅行の話などを紹介した。

「以前に連れて行った時は『何だ小さいな』って言ってたけど今度は言わなかったですね」。そして「巖は私のことを『お姉さん』なんて言わないんです。『ひでこ』って言うんですよ。でもこないだ『はい、おみやげ』って初めて私に土産を買ってきてくれたんです。自動販売機のジュースだったんですけど」と笑わせた。

 司会役の猪野待子さん(袴田支援クラブ代表・見守り隊隊長)が「巖さんはいつ頃から精神状態がおかしくなったんですか?」と率直に尋ねた。

 ひで子さんは「(刑が確定するまでは)毎月、拘置所に通っていました。兄2人と一緒に3人までは(面会室に)入れました。巖は裁判のことを一生懸命話すんですね。相槌を打っているうち30分経ってしまう。外に出て兄と『元気でよかったね』と言って、自分たちが励まされていました」と語った。

 しかし、「(死刑が)確定して死刑囚ばかりの所に行ってからおとなしくなったんです」と話を続ける。

「懲罰房に入れられたこともあったそうです。ある時、私が1人で面会に行ったら、巖がバタバタと面会室に入ってきて『昨日、処刑があった。隣の人だった。お元気でって言ってた。みんながっかりしている』と言ったんです。私は突然のことでボケっとしてしまって、『誰が?』とも聞けず、何も答えられず、フーンと答えるだけでした。その後は看守に言われたのか、死刑のことは一切話さなくなりました。その時のショックが拘禁症とも言われるような状態になったと思います。現実に隣の人が処刑されることがショックで精神的におかしくなってしまったんです」

 無実の自分が誤判で処刑されることが現実味を帯び、親しかった人の処刑で絶望感と恐怖感が一挙に強まったのだろう。何度か聞いた話だが、臨場感のある衝撃的な話に会場の緊張感が高まった。


■再審裁判を口にするようになった巖さん


 猪野さんは「最近の巖さんは裁判のことでもやもやしているんですか?」と向けた。

 するとひで子さんはこう話したのだ。

「再審開始で出てきた時から(巖さんは)勝ったと思っています。でも、マスコミなんかと接して『こりゃおかしいぞ、どうも勝ったわけではないんじゃないか』と思ってきたようです。(東京拘置所から)出てから1年くらいは胆嚢の手術をしたりしましたが、体の調子は良くなって出かけるようになった。それで、うちうち、わかってきたようです。『裁判は終わった』と言っていたのに、この頃はもやもやしているのか、『まだ再審開始になっていないんだなあ』とか、『再審開始は大変だね』なんて言ったりするんですよ。正気になった時だけですけど。やっぱりまだ半分は頓珍漢。今日も『私は出かけるからね、出るときは鍵かけてね』と言ってきました。差し入れてくれたうなぎパイ食べたり、子供のようなところがあるんです。元気で食欲旺盛です。少しでも巖を長生きせたい。再審開始してほしいですが、裁判所のことですからどう出るか。でも勝たなきゃ仕方ない。わたくしは勝つまで頑張ります」

 そう締め括ると場内は大拍手。「がんばれー」の掛け声も飛んだ。

 巖さんは2014年3月の釈放後、盛んに「俺は勝った」とか、「裁判なんてない」、「裁判は終わったんだ」などと語っていた。「儀式」という言葉もよく使ったが、裁判のことなのかは判然としない。

 拘禁反応の影響で思考回路がかなりおかしくなっていても、拘置所に閉じ込められていた身体が自由になり、ひで子さんのマンションで誰にも命令されず自由に生きていけることは体感しているだろう。司法手続き的な理屈はあまりわからなくても、体感的には「裁判に勝った」と感じていてもおかしくはない。

 巖さんは浜松市のパトロール中も市民から「頑張ってください」などと声をかけられてきたが、ひょっとすると本人は「勝ったのに何を頑張るんだろう」と思っていたのだろうか。

 ひで子さんは「裁判のことは巖には言わない」と話している。とはいえ、巖さんは自分の再審のことを新聞やテレビのニュースなどで見ることもある。「あれっ、俺はまだ勝ったんじゃないのかな」と気づき出したのかもしれない。再審裁判を意識し、実際にそれを言葉に出しているのはかなりの変化だ。

 ひで子さんは巖さんの拘禁反応について、「もう治らないと思う」とは語ってきた。しかし、釈放から8年近く経つ今、弟の微妙な変化で、ひで子さん自身も「もやもや」してきたのかもしれない。

 前後するが、この日、最初に再審請求審の報告をした小川秀世弁護士は、「5点の衣類(犯行着衣とされた)が味噌タンクに1年も入れられて血痕が赤いままのはずがないのは明らか。もう再審開始しかありません」と力強く報告した。

 ひで子さんは講演会の2日後の12月20日、「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」の求めで寒風の東京で先頭に立って行進。再審開始を求める7700名の署名を東京高裁に提出し、記者会見に臨んでいた。

 筆者は東京にいたが知らず、25人が亡くなった大阪の火事も気になり、神戸に戻ろうとしていた。静岡駅で浜松に電話すると留守番をしていた猪野さんが「ひで子さんは救う会の要請で今朝、東京に行きましたよ」と言ったからびっくり。神戸から「全然知らなかった」とひで子さんに電話すると、「本当に急だったんですよ。要請行動に来てもらえないかって言われたので駆け付けたんですよ」。

 もうすぐ89歳になる袴田ひで子さん。一体どこまでタフなのか。失礼ながら、もはや「怪物」の域である。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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