元公安警察官は見た 金大中事件で初の「好ましからざる人物」に認定された韓国一等書記官

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年務め、数年前に退職。9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、1973年8月に起きた金大中拉致事件について聞いた。

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 勝丸氏はかつて、公安外事1課の公館連絡担当班に所属していた。当時の主な任務は大使館や総領事館との連絡・調整で、各国の大使館情報に精通していた。

 外務省の大臣官房にある儀典官室は、外国公館のお目付け役的な存在で、プロトコール・オフィスと呼ばれる。外交官には外交特権があるため、日本の法律に接触することをしても逮捕されない。だが、プロトコール・オフィスが「ペルソナ・ノン・グラータ(PNG、好ましからざる人物)」という切り札を発動することができる。

 このPNGが発動されると、48時間以内に国外に退去しないと、外交官の身分証明書が無効となり、外交特権が消滅して警察に逮捕されるのだ。

「戦後、日本に駐在していた各国の外交官にPNGを発動したのは、過去に3回だけです」

 と語るのは、勝丸氏。


■KCIAの暗殺工作


「PNGが発動できるようになったのは、日本がウィーン条約に加入した1964年7月からです。1973年8月8日の金大中拉致事件をきっかけに初めて発動されました」

 当時、民主主義の活動家として知られた金大中は、1971年の韓国大統領選挙で朴正煕現役大統領に僅差で敗れたため、朴大統領の政敵となっていた。

 大統領選直後、金の車に大型トラックが突っ込み、彼は股関節に障害を負った。後にKCIA(韓国中央情報部)の暗殺工作だと判明した。

 1973年7月、金は自民党の宇都宮徳馬議員の招待で来日。8月8日、東京のホテルグランドパレスの一室で梁一東(韓国・民主統一党党首)と会談後、部屋を出たところを6人の男性に襲われた。その際、クロロホルムをかがされ、意識が朦朧となった後、エレベーターで地下に降り車に乗せられた。金を乗せた車は関西へ向かった。

「警視庁公安部の外事2課は、金を乗せた車を尾行。金は工作船で神戸港から出港した後、海上保安庁のヘリコプターが追跡。工作船に照明弾を投下して威嚇したため、日本に拉致の事実がバレたと思った拉致実行犯は、金の殺害を断念したようです」

 結局、金は拉致から6日後にソウルで解放された。

「警視庁は、ホテルグランドパレスの現場から駐日韓国大使館の金東雲一等書記官の指紋を検出、営利誘拐容疑で出頭するように言ったが、外交特権を盾に拒否されました。KCIAの所属で東京での指示役と見られていました」

 金書記官は、1968年5月、駐日韓国大使館の書記官として来日、1970年12月に一等書記官に昇格。書記官になる前は、1963年12月から1968年5月まで日本で新聞記者として活動していた。その時採取された外国人登録証用の指紋が、ホテルの拉致現場で検出した指紋と一致したという。

 金書記官は8月10日に韓国へ帰り、17日に来日したが、19日に香港・シンガポール経由のジャカルタ行の航空機で再び日本を離れ、香港経由で韓国へ戻った。

「外務省は韓国に対し金書記官の出頭を何度も要請しましたが、韓国はことごとく拒否しました。そこで、PNGを使ったわけですが、これを発動するまでかなり時間がかかります」

■発動は10月26日


 まず、PNGを出す必要性があるかどうか審査するという。

「PNGを発動すると少なからず影響が出ます。日韓関係が悪化し、経済にも影響が出ます。ですから、当時の外務省はPNGを出すかどうかでかなり迷ったと思います。PNGは伝家の宝刀ですから、簡単には抜けないのです。実際は発動するまでに少なくとも数週間はかかります」

 外務省は金書記官に対して出頭拒否すればPNGの発動もあると警告していた。ところが、発動したのは事件発生から2カ月以上経った10月26日だった。

 さらに外務省がPNGを出したことを明らかにしたのは、11月1日だった。当時の朝日新聞(11月2日付)によると、

《高島局長によると韓国政府は十月二十五日、外務省に金書記官の離任通知(二十三日付)をしてきた。外務省が後宮大使を通じ翌二十六日この離任通知の説明を求めたところ、韓国側は「金書記官の容疑が出てきたため、外交官の身分のままでは捜査手続きがとれないので、同書記官を免職にした」と回答。日本側は、この日ただちに『好ましからざる人物』の一方的通告をしたという。》

デイリー新潮編集部

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