昔の恋人との過ちで家庭崩壊… 妻には非がないと言いながらも53歳「不倫夫」が抱える矛盾

昔の恋人との過ちで家庭崩壊… 妻には非がないと言いながらも53歳「不倫夫」が抱える矛盾

妻に非がないといいながら、許さなかった妻を責めている。そこを突くと雅仁さんは黙りこくる

 別居や離婚で、生まれて初めてひとりきりの年末年始を迎えた人たちがいる。どういういきさつでそういうことになったのか、ある男性に話を聞いた。【亀山早苗/フリーライター】

〈ひとりぽっちで新年を迎えました〉

 1月1日になったとたん、メッセージが来た。これまで何度か話を聞いてきた園田雅仁さん(53歳・仮名=以下同)からだ。彼は現在、結婚して23年たつ妻と別居している。22歳の長女は遠方の大学に通う4年生で、今年は帰京しないと連絡があった。20歳になる次女は都内で25歳も年上の男性と同棲しており、こちらも帰ってはこないようだ。

「娘のことも心配なんですが、娘が彼に走ったのも私が原因なので、何も言えません」

 家族と暮らしていた3LDKのマンションにひとり、雅仁さんは残っている。こんな暮らしがもう4ヶ月、続いているという。

 雅仁さんは30歳のとき、1年の交際を経てひとつ年下の友里恵さんと結婚した。落ち着いていて思慮深く、「妻にするには理想的」だったそうだ。その前に、彼は学生時代から5年つきあった瑠美さんにフラれていた。結婚も考えていたのに、彼女は自由と自分の可能性を求めて外国へと旅立っていったのだ。

「瑠美は『私はいつになったら帰ってくるかわからないから、待っててなんて言えない』と笑って去っていきました。本当はすがりつきたかった。だけど私に彼女の人生を縛る権利はないから、涙をこらえて見送るしかありませんでした」

 その後、友だちが意気消沈している彼を見かねて紹介してくれたのが友里恵さんだ。今度、女性とつきあうときは結婚しようと思っていたし、友里恵さんの落ち着いた物腰に惹かれたため、初デートで「結婚を前提につきあってください」と申し込んだ。友里恵さんは微笑みながら、「つきあってみないと結婚するかどうかはわからないけどね」とつぶやいた。確かにそうだと雅仁さんは言い、ふたりは笑い合ったという。だが、半年もたたないうちに彼は「妻にするにはこの人しかいない」と思うようになった。

「妻としてとか恋人としてとか、そういう区別の仕方はよくないと思うんですが、実感として恋をするなら瑠美、妻にするなら友里恵だなと感じていました。友里恵も、私を夫としていいなと思ったとあとから言っていたんです。夫婦として協力しあっていこうという姿勢があったから、と」

 無事に結婚し、子どもも生まれて「ごく普通の家庭を営んでいた」のに、いったいなぜ妻は家を出て行ってしまったのだろうか。


■「私を信用していないのね」


「妻に非はありません」

 雅仁さんはずっとそう言っている。結婚して子どもが生まれてから一時期、妻は専業主婦として家を守り、子どもを育ててくれていた。その時期、雅仁さんは多忙で出張も多く、共働きではとてもやっていけない状態だった。そして下の子が小学校に上がったのを機に、妻はパートで働き始め、中学生になるとフルタイムで正社員に復帰した。

「その間も妻はさまざまな講座を受けたり資格を取ったりしていたようです。話は聞いていたけど、どんな資格だったかは覚えていません。こういうところが妻から度々ダメ出しを食らったところなんですが、私は正直言って、仕事を最優先するしかない状態でした」

 その代わり、出張のない週末は子どもたちの面倒をみて妻に自由な時間を過ごしてもらったり、夕食を作ったりといろいろ協力と工夫はしたつもりだった。同世代の男性たちの中でも、かなり家庭を大事にしていたはずだと彼は自負している。

「学生時代の友人とか職場の同僚とかと話すと、自分がいちばん家事も育児もしていると思っていました。みんな『仕事が忙しいのに、よくそこまでやるな』と言ってくれていたし。でも妻にとってそれは当たり前で、もっと家事をしてほしい、もっと家に目を向けてと思っていたんでしょうね」

 40代になったころ、妻から「何か一緒に趣味を始めない?」と言われたことがある。だがちょうどそのとき、彼は仕事上で大きなストレスを感じていて自分をうまくコントロールすることができなかった。

「だから『オレはそれどころじゃないんだよ。友里恵は暇でいいな』と言ってしまったらしいんです。らしい、というのは自分では覚えていないから。その言葉に彼女はいたく傷ついたようです」

 そんなことが何度かあったようだ。言葉遣いには気をつけていたという雅仁さんだが、結婚して10年がたち、少し気が緩んでいたのかもしれない。何を言っても妻は受け止めてくれるという甘えもあっただろう。

「そのときの友里恵の反応も記憶にないんです。ただ、その後、自分は抱えていたストレスがさらに増大して、うつ状態になり、しばらく休職したほうがいいと医師から指摘されました。とりあえず3ヶ月ほど休職することにしたんですが、実はそれを妻には言えなかった。だからいつものように出勤するふりをして、子どもたちが学校へ行き、妻が出勤した時間を見計らって家に戻ったり、別の地域の図書館に行ったりして時間をつぶしていました。ところがあるとき、それを近所の人が見ていて妻に話したみたいなんです。妻に問われて、やっと正直に話すと、妻は涙目になりながら『あなたは私を信用していないのね』と。信用していないわけではないけど、自分のプライドが話すことを拒んだのかもしれないと言いました。でも妻には理解してもらえなかった」

 世間でいう「いい妻」ほど、夫は無言の圧力を感じているのかもしれない。雅仁さんの妻も「よくできた人」なのだ。だから夫は正直に弱音を吐けなかった。

 その後、妻は「うつ」について猛烈に勉強したらしい。「うつというのはこういうもので」と夫に向かって懇々と説教じみた話を伝えたりもした。妻の気持ちはありがたかったが、それもまた、雅仁さんにとってはプレッシャーだった。本当は放っておいてほしかった。安いホテルにでも泊まってひとりきりになりたかったが、一生懸命に夫を元気にしようとしている妻にそれは言い出せなかった。どちらが悪いという話ではない。


■職場復帰、そして瑠美さんとの再会


 3ヶ月の休職を経て雅仁さんは職場に復帰できた。仕事のシステムが少し変更になり、信頼する先輩からの助言もあって、“やる気”を取り戻した。

「先輩に言わせれば『おまえはバカ正直だ』って。仕事のやり方そのものもそうだし、人間関係もそう。誰に対しても正直でいよう、誠実でありたいと思うあまりに自分がつぶれていく。そういうタイプなんでしょう。ただ、休職を経て、自分がいなくても職場は回っていくとわかった。仕事には誠実でありたいけど、すべてに対して気を遣いすぎるのはやめようと決めました。そうしたら少し気が楽になって、逆に周りの人たちともうまくいくようになった。後輩からは『話しやすくなった』と言われてうれしかった」

 少しだけ“生まれ変わった自分”がうれしかったという。ちょうどそのころ彼は、瑠美さんが帰国していると共通の友人たちから聞いていた。

「一度みんなで会おうということになって、13年ぶりくらいに瑠美に会いました。彼女はますます素敵な女性になっていた。明るくてぶっ飛んでいるところは、年齢を経ても変わりありませんでしたが」

 みんなの前で、雅仁さんは瑠美さんから熱いキスを送られた。「私が本気で愛した人だからね」と彼女は平然と言ってのけた。

「私はひたすらドキドキしながら照れていました。彼女はアメリカで美術関係の仕事をしていると言っていました。いろいろ苦労はあったようですけど。私生活についてはほとんど話しませんでしたが、恋はしてるわよと笑っていましたね」

 翌日、瑠美さんから連絡があり、「ふたりで会いたい」と言われた。雅仁さんもそう思っていたが、自分からは言い出せなかったので、瑠美さんの言葉に飛びついた。

「指定されたのはホテルのレストランでした。その後、バーに移って飲んで。彼女の仕事の話は興味深かったですね。彼女にはもっと大きな野望があるようで、目を輝かせて夢を語る彼女がまぶしかった。私にはもう夢なんてありませんでしたから」

 そのあとさらに彼女が泊まっている部屋に行って飲んだ。飲んでいるうちに雰囲気が怪しくなり、ふたりは男女の関係を取り戻した。

「翌日が土曜日で休みだったので、家のことを忘れてのんびりしました。帰りたくなかったですね。いっそ、瑠美と一緒にアメリカに行きたいとさえ思いました。彼女は『マサがそう思うなら行動すればいいのよ。来る?』と茶目っ気たっぷりに言ったんです。彼女はどこまでも思い切りがいい。でも私はそういうことはできないタイプなんですよ。『あなたは地に足を着けて生きていくのが向いているのよ。それを誇りに思えばいいのに』と言ってくれました。そうだねと言いながらも、なんだか虚しくてね……」


■やっぱり地道に生きていこう


 そんな雅仁さんの様子を見て、瑠美さんは「別に誘うわけじゃないけど」と口火を切った。美術関係のプロジェクトに投資しないかというのだ。寄付とは違い、成功すれば見返りがある。夢を買うようなものかもしれないが、彼女自身、そういった投資で資産を増やした経験があるというのだ。

「信頼できるかどうかわからないけど、かつて本気で愛した女性を疑うわけにはいかない。もし損をしたとしても彼女のためになるのなら……。そんな思いがわいてきました。夢をもてない私は、そういう形で彼女の夢を応援したいと思ったんです」

 翌日、彼は子どもたちのために貯めていた社内預金の半額200万円をおろした。そして瑠美さんに手渡した。瑠美さんは「1年後には1・5倍にして返すから」と笑顔を見せた。瑠美さんが日本に滞在している10日ほどのあいだ、ふたりは毎日のように会って体を重ねた。やはり瑠美さんと一緒になったほうがよかったのではないかと思いながらも、自分はこういう生き方はできないとも雅仁さんは感じていたという。

「瑠美がアメリカに戻っていったとき、少しホッとしている自分がいました。テンションが高い彼女に合わせるのは若いころは楽しかったけど、もうつらいなという気持ちもあって。自分はやっぱり地道に生きていこうと思えたから、瑠美に再会したことにも意味があるとも思ったんです」

 それから1年半後、瑠美さんから連絡があり、例の200万を300万円にして返すという。プロジェクトが成功したのだそうだ。内容はよくわからなかったが、雅仁さんは「瑠美が帰国したときでいいよ」と伝えた。

 さらに1年半がたったころ、瑠美さんから「今日から半月ほど日本にいる」と連絡があった。会いに行くと、300万円を渡された。

「そのときの瑠美が少し疲れているように見えたんです。大丈夫かと尋ねると、『まだまだ、私は闘う人生を選んだのだから、最後まで闘うわ』って。仕事でのし上がっていこうとしているたくましさが羨ましかった」


■さらに月日が流れ…


 つぎに瑠美さんに会ったのは5年後。再会のとき、彼女は7歳になる男の子を連れてきた。

「ドキッとしました。自分に似ていたから」

 雅仁さんはなんともいえない表情になった。そのときの衝撃を思い出しているかのようだった。

「こっそり瑠美にオレの子なのかと聞いたんです。瑠美は首をかしげて笑いました。その子と瑠美と3人で食事をしたんですが、はきはきしたいい子でね。最後まで瑠美は何も言わなかったけど、私の子なんだろうと察しはつきました。だから瑠美が帰るとき、100万円を渡したんです。何の足しにもならないだろうけどって。拒絶されました。『大丈夫、あなたには何の責任もないから』って。自分の子がいるのに何もしてやれないなんてせつないじゃないですか。『じゃあ、あの子に何か買ってやってほしい』と無理矢理押しつけました」

 そして2年前のこと。東京に住む瑠美さんの妹から連絡があった。

「瑠美が亡くなった、と。そして瑠美の息子を自分が預かっていると。私は瑠美の妹さんが東京にいるなんて知らなかったからびっくりしました。それに瑠美が亡くなったこともショックで。聞けば彼女はもう10年あまりがんと闘っていたそうです。息子を出産するときすでに病気だったという。命がけで産んだ子なんだ、と妹さんは泣いていました。その後も再発しては治療をしながら、彼女は仕事をして子どもを育てていた。妹さんは何度も日本に帰ってこいと言ったらしいんですが、彼女は『帰ったらマサに甘えてしまう』と帰国を拒んだそうです」

 雅仁さんの目が潤む。そこまで瑠美さんが自分を本気で愛していたと思っていなかったのだと悔しそうにつぶやいた。

「いくつになってもハイテンションで明るい瑠美に、私はついていけないと感じたこともあったんですが、そうじゃない、彼女は私の前で無理して明るく振る舞っていたんですよね。そんなことにも気づけなかった自分が悔しいやら情けないやら……」


■「認知したい」と妻に打ち明けると…


 瑠美さんの10歳になった息子は、妹が今後、日本で育てていくことになった。妹は結婚しているが子どもがいないので、姉の息子といずれは養子縁組をする意向だという。大きな後悔を抱えた雅仁さんは、コロナ禍で家にいる時間が増えたとき、妻の友里恵さんにすべてを告白、せめて認知だけはしようと思うと言った。

「友里恵は、『あなたが何かを隠していることは薄々わかっていた。うつで休職したときだって何も話してくれなかったから、今回も何も言わないだろうと思って聞かなかったけど、それは私たちに対する裏切りではないの?』と。謝罪より先にどうして認知の話が出てくるのかわからないと言われました。その通りですよね。友里恵と瑠美とではまったく立場も違うし、私の気持ちも違う。だから裏切ったつもりはないんですが、それは妻には理解してもらえない」

 雅仁さんは、わかってほしいと思うこと自体が間違いだったのだろうと思い、独断で瑠美さんの子を認知した。時間があれば妹の家に寄って息子とも話した。息子は母親から彼のことを聞いていたらしく、素直に懐いてくれた。それがまたいじらしく、雅仁さんは息子に会うたび涙が出るという。

「でもそうこうしているうちに、次女は私と8歳しか違わない男と同棲を始め、長女は遠方にいるのをいいことに帰ってこなくなりました。長女はともかく、次女の件は大反対したのですが、次女には『おとうさんに娘の人生を反対する権利、あるの? そもそもそんなこと言える立場?』と言われて何も言えなくなった。妻は『もうみんな、勝手にすればいい。私は知らない』と21年の秋には出て行ってしまった。誰もいなくなった自宅で、私はひとり正月を迎えたというわけです。息子は瑠美の妹の家でいい正月を迎えていると思います」

 雅仁さんの後悔はただひとつ、瑠美さんとの関係に向いている。自分が友里恵さんと築いた家庭が破綻していることに後悔はないのだろうか。

「うーん」

 彼が唸った。

「今になると、友里恵と結婚した時点で人生の歯車がおかしくなっていたとも言えるような気がするんです。もちろん妻にも子どもたちにも非はない。ただ、私は家庭を壊す意志はなかった。認知さえできればよかった。瑠美もすでにいないわけですから、友里恵さえ気持ちを整理してくれればうまくいったはずなんです」

 妻に非がないといいながら、許さなかった妻をどこかで責めている。責めるつもりはないと言うが、やはり「妻さえ許してくれれば、家庭は崩壊しなかった」と思っているのだ。その矛盾点を突くと彼は黙りこくってしまう。

「これからどうなるのか。妻から離婚を求められるでしょうね。娘たちは成人していますから、あとは見守るしかない。息子とはなるべく一緒にいる時間をとりたいけれど、瑠美の妹夫婦の邪魔もしたくない。結局、私としては何もできないので、運を天に任せるしかないような気がします。私は瑠美のように人生を切り開いていくタイプではないんだなと今でも思います」

 謙虚で誠実なところもある雅仁さんだが、なぜか自分の家族に対しての深い思いだけは感じられない。妻の友里恵さんはいったい今、どう思っているのだろう。

〈コンビニでおせちのようなものを買いました。毎年、妻は多忙な中、煮しめや黒豆などさまざまなものを作ってくれていたんだと改めて感じ、酒飲みながら泣いています〉

 雅仁さんへの取材を終えた元日の夕方、そんなメールが彼から来た。返事のしようがないまま、正月が終わりそうだ。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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