コロナ対策が上手くいった松本市の事例 行政の成功モデルを振り返る(古市憲寿)

コロナ対策が上手くいった松本市の事例 行政の成功モデルを振り返る(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

 一枚の写真がある。日付は2015年12月22日。今から約6年前のことである。少し弱気な顔をした中年男性を囲むように、8人で撮った記念写真。場所は新宿の歌舞伎町だった。背景には下品な看板が並んでいる。

 その日は、その男性の送別会であり、壮行会でもあった。彼の名前は、臥雲義尚(がうんよしなお)。NHKで記者や解説委員として活躍していたのだが、50歳を過ぎて退職を決意、故郷の長野県松本市で市長選に立候補した。

 あの日の熱気を思い出す。汚い中華料理屋の個室だった。メンバーは「NEWS WEB 24」という番組を共にした仲間たち。12年に始まった番組で、当時としては画期的なことに、視聴者のツイッターを全面的に活用していた。

 政治家への思いを語る臥雲さんの話をひとしきり聞いたところで、同席していた瀧本哲史さんが「臥雲さん、このままでは絶対に落ちます」とぴしゃりと断言した。曰く「戦略もないし、覚悟もない」。

 瀧本さんの予言は当たった。16年3月の松本市長選で、現職の72歳(当時)に敗れた。しかし臥雲さんはあきらめなかった。20年の選挙にも立候補、市長に就任したのである。

 その臥雲さんの名前を偶然、見かけた。鈴木亘さんの『医療崩壊 真犯人は誰だ』という本で、新型コロナウイルスの流行下で医療崩壊を食い止めた事例として紹介されていたのだ。

 日本は世界一の病床大国であり、新型コロナ感染者が桁違いに少ないにもかかわらず、医療崩壊が騒がれた。緊急事態宣言が多発され、経済的に大きなダメージを被った。だが日本の中でも創意工夫がうまくいった自治体がある。

 その一つが松本市なのだという。松本市には、もともと行政と医療機関が参加する、災害医療のための協議会があった。しかし「まとめ役」が不在で、うまく活用されていなかった。

 臥雲市長は、コロナ流行に際して、協議会を招集した上で、市立病院の病床を大幅に増やすことを決断した。民間病院は、元々市立病院に入院していた通常の患者を受け入れるという形で協力した。要は、市長のリーダーシップのもと、行政と医療機関の連携がきちんと取れ、適切な役割分担が可能になったらしい。

 この「松本モデル」には、参考にすべき点が多い。行政と各医療機関が顔の見える形で協力し、リーダーが決断と調整をすることで、医療崩壊は避け得るのだ。

 現場での治療に関わっていないのにひたすらSNSで危機を煽る医者、可能性だけで人々を脅し続ける学者など、コロナ時代にはさまざまな「専門家」が登場した。だが実際に人々を救ったのは、現場であり、彼らの創意工夫だった。

 思えば、歌舞伎町の中華料理屋で、瀧本さんは臥雲さんに対して、熱心に具体的なアドバイスもしていた。その言葉がどれくらい役立ったのかはわからない。だけど臥雲さんもきっと、あの夜のことは覚えていると思う。次も不祥事以外で、彼の名前を目にしたい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2021年12月30日・2022年1月6日号 掲載

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