元公安警察官は見た かつて「ブルガリア」も日本で諜報活動を行っていたという意外な過去

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、ブルガリアのスパイ活動について聞いた。

 ***

 ブルガリアは、黒海に面し、北にルーマニア、西にセルビア、南にギリシャ、トルコと隣接している。

 国名を聞いてパッと思い浮かぶのは、ヨーグルトだろう。1970年、日本万国博覧会のブルガリア館に出展されたヨーグルトを試食した明治乳業の幹部が感銘を受け、1971年「明治プレーンヨーグルト」を発売。1973年には、ブルガリア政府より商品名に国名を冠する許可と技術提携を受けて「明治ブルガリアヨーグルト」が誕生した。その影響で、多くの日本人には馴染みがある。

「東京・代々木にあるブルガリア大使館は、外交官や職員など10人もいない小さな所帯です」

 と語るのは、勝丸氏。


■毒コウモリ傘事件


「現在、日本でスパイ活動を行っているのは北朝鮮、ロシア、中国ですが、実はかつてブルガリアもロシアと同じようなことをやっていました」

 東西冷戦時代は東欧の一国として、諜報活動に力を入れていたという。

「ブルガリアは、けっこう荒っぽい事件を起こしています。1978年には、秘密警察がソ連のKGB(ソ連国家保安委員会)の支援を受け、ブルガリアの作家で反体制派のゲオルギー・マルコフを暗殺しています。コウモリ傘の先端に毒を仕込んで殺したため、毒コウモリ傘事件と言われています」

 ロンドンのウォータールー・ブリッジでバスを待っていたマルコフ氏は、突如ふくらはぎに激痛を覚えた。振り返ると、見知らぬ男が傘を拾っていたという。その日の夜、マルコフ氏は高熱を出して倒れ、3日後に死亡したのだ。解剖の結果、ふくらはぎにピンの頭ほどの弾が埋め込まれ、その中に猛毒のリシンが仕込まれていたことがわかった。

「1981年には、ローマ法王暗殺未遂事件が起こしています。ヨハネ・パウロ二世は世界中を飛び回って共産主義の非道を訴えていたため、サンピエトロ広場でイスラム教徒のトルコ人に狙撃され、重傷を負いました」

 暗殺を計画したのは、KGBの指示を受けたブルガリア航空のローマ駐在員で、共産主義政権時代の情報機関のスパイだった。

■ソ連のスパイと同じ行動


 日本でもブルガリア大使館のスパイが摘発されている。1984年夏のことだ。

「スパイ活動を行っていたのは、その3年ほど前に赴任したポピバノフ二等書記官です。彼は科学技術担当で、表向きは日本の科学技術産業を本国に誘致、日本の科学技術庁と本国の科学技術庁をつなげる役目を担っていました」

 ところが実際は、ソ連のスパイのような活動をしていた。

「電子機器をテーマにしたシンポジウムに積極的に参加していました。また、ハイテク企業の幹部たちと頻繁に会っていたのです」

 公安部外事1課は、ポピバノフを1983年からマークし始めた。

「彼は、ハイテク産業の複数の企業の社員と会食を重ねていました。外事1課が確認しただけで、1年間で十数回にも及んでいます」

 どんな情報を入手していたのか。

「電子機器などの製品の生産作業工程を記載した技術者向け社内報です。技術者が見れば、どういう風に製品が出来上がっていくか、その作業工程がわかるようになっています。勿論、社外秘です」

 このままでは、企業の機密情報が漏れてしまうと危機感を抱いた外事1課は、企業の社員に背任行為を持ちかけた容疑で摘発に踏み切った。

「外務省を通じて、ポピバノフにも出頭要請をしたところ、数日後に緊急帰国しました。ブルガリア外交官の摘発はこの1件だけでしたね」

 ヨーグルトの国の意外な過去――。

デイリー新潮編集部

関連記事(外部サイト)