元公安警察官は見た 32年前の「警視庁独身寮爆破事件」が世間に与えた知られざる影響とは

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、1990年に発生した警視庁独身寮爆破事件について聞いた。

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 不審物には絶対触らないで――。駅などの公共施設で、よくこういう警告文を見かける。警察が、不審物を見かけた際の「触るな」「踏むな」「蹴とばすな」の3原則を守るよう呼び掛けているのだ。

 実は、こうした警告を出すきっかけとなった事件がある。1990年11月に起きた警視庁独身寮爆破事件だ。11月1日午後10時50分すぎ、東京・新宿にある独身寮「清和寮」で2度にわたって爆発が起こった。さらに日が変わった2日0時50分頃、世田谷区にある独身寮「誠和寮」でも爆弾が発見されたのだ。

「清和寮の爆弾では、魔法瓶が使用されました」

 と語るのは、勝丸氏。

「夜、宿直の巡査長(48)が寮の周りを巡回していたところ、魔法瓶を発見。誰が置き忘れたんだろうと持ち上げた途端に爆発。巡査長は亡くなりました」

 爆弾は心臓部分を直撃し、巡査長は即死した。


■会社員も巻き込む


「この爆発で寮にいた警察官や調理人が現場に集まった。すぐ近くにあった別の魔法瓶に警官が触れると、こちらも爆発。顔面を火傷するなど重傷を負いました。最初の爆発から5分後のことでした。結局、2度目の爆発で一般の会社員などを含め計6人が負傷したのです」

 清和寮は、JR中央線大久保駅から西に700メートルの住宅地にある。新宿署員や警視庁の公安部員ら約70人が住んでいた。

「爆発した魔法瓶の中には、振動で点火する起爆装置が仕込まれていました。警視庁はすぐにこの爆弾の情報を都内の全ての所轄署に知らせました。すると2時間後、世田谷の『誠和寮』で魔法瓶を発見、爆発物処理班が駆け付けて処理しました」

 11月7日、「革命軍軍報」なる文書が各報道機関に郵送された。そこには、犯行声明が書かれてあった。

《『即位の礼―大嘗祭』爆砕、皇居攻略に向け史上空前の首都厳戒態勢を打ち破り、『天皇の警察』をせん滅》

 現場で見つかった爆発物の部品のうち、起爆させるためのマイクロスイッチは、これまで過激派の革命的労働者協会(革労協)しか使っていないものだった。IC基板の破片も、彼らのものと特徴が一致したため、警視庁公安部は革労協の犯行と断定した。

■無差別テロ


 前年の1月7日、昭和天皇が崩御し、革労協は機関紙などで、「皇居突入」「即位儀式爆砕」を唱え、即位の礼、大嘗祭の妨害を公言していた。警視庁も11月12日の即位の礼を控え、都内で10月27日から2万6000人規模の厳戒態勢を敷いていた。清和寮も警備対象になっていたという。

「それまでの過激派の殺人事件と違い、特定の人物を狙うのではなく、無差別殺人です。これはヨーロッパやアラブ諸国で起きていたテロと同じです。1発目の爆発で人が集まってきたところで、2発目の爆発が起こる。確実に誰かを殺す目的の許し難い手口でした」

 公安部は、革労協に対して延べ16万4000人の捜査員を導入したという。

 当時革労協は、大きく主流派と反主流派に分かれていた。

「主流派は150人くらいで、反主流派は70人ほどでした。みな高齢化してきています。革労協のアジト8カ所をガサ入れし、パソコンや書類を押収しましたが、結局、実行犯を特定することができませんでした。死者も出たので、公安とすれば、何とも後味の悪い事件でしたね」

 2005年11月、公訴時効が成立した。この爆破事件は、大きな教訓になったという。

「セキュリティに関する意識が大きく変わったのです。この事件の後から、駅などで不審な物があったら、絶対触らないでという警告文を張るようになったのです」

デイリー新潮編集部

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