悠仁さまの「筑附高」進学、最大の懸念はご学友づくり? お茶の水では“特別扱い”

 2月23日、天皇陛下は62歳のお誕生日を迎えられた。コロナ禍で引き続きご公務がままならない状況で、皇室にはさらなる暗雲が垂れ込めている。

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 悠仁さまの進学先が発表されたのは2月16日。その3日前には、在籍されるお茶の水女子大附属中学の目の前にある筑波大附属高校の入学試験にお姿をお見せになった。宮内庁担当記者が言う。

「これまで悠仁さまは、両大学間で設けられた『提携校進学制度』を利用なさるのではとみられていました。この制度はおもに書類選考や面接などで合否が決まるとされているのですが、一方で入試の日に悠仁さまが試験を受けられたことで、“特権利用という批判をかわすために方針変更された”“すでに合格は決まっており、形だけ受験された”といった、さまざまな臆測が広まりました」

 こうした中で宮内庁は、

「一般入試の合格発表日にあたる16日の夕刻、皇嗣職大夫が臨時で説明を行い、悠仁さまが“制度”によって進学を決められた旨、発表したのです」(同)

 当該制度は2017年、5年間の時限措置として設けられ、当初から“悠仁さまのご進学のための制度では”とも指摘されてきた。

「大夫は“なぜ学力試験を受けられたのか”との質問に“学力考査の結果も制度に加味される”と答えていましたが、肝心の制度そのものについては“学校側に聞いてほしい”と繰り返すばかり。過去の制度利用者も試験を受けたのか、あるいは悠仁さまに合わせて条件が変わったのかなど、諸々の疑問については、まったく判然としませんでした」(同)

■「宮邸でお友達と遊ばれているという話は聞こえてこない」


 ともあれ悠仁さまは、戦後の皇族で初めて学習院以外の高校で学ばれることになるわけだが、

「“前例にとらわれず自主性を重んじる”が秋篠宮家の家風。また紀子妃殿下がことのほか進学にご熱心で、3年後には悠仁さまを東大へ進学させたいと熱望なさっていると伺っています。そんなお考えのもと、屈指の難関校への進学が決まったのですが……」

 とは、さる宮内庁関係者。

「競争が身近にある環境で大事な高校生活を過ごされ、なおかつ3年後には大学進学が控えている。どのような青年時代を過ごされてきたかは将来、どのような天皇となられるかに大きく反映されます。超進学校に通われ、受験勉強に時間が割かれるのだとすれば、この時期に身に付けられるべき帝王学、そして国民統合の象徴たるご自覚の涵養などがおろそかになってしまわないでしょうか。その点、危惧せざるを得ません」

 現に、悠仁さまの日常についても、

「これまで、宮邸に親しいお友達を呼んで一緒に遊ばれているといったお話は、ほとんど聞こえてきません。代わりにお相手しているのは、もっぱら皇嗣職の職員。また、ご趣味でビオトープ(鉢や池などでの人工的な生態系)をお作りになっていますが、それもお一人でなさっている。同年代との交流が極めて少ないのです」

 そう気を揉むのだ。

■陛下の高校時代のあだ名は「じい(爺)」


 そもそも悠仁さまが「皇族の定石」といえる学習院へ進まれなかったのは“自主自律”というお茶の水の校風を秋篠宮さまがお気に召されたからでもあった。が、さる皇室ジャーナリストが言うには、

「かりに学習院に進まれていたら、現在のような状況にはならなかったはずです。例えば、陛下は学習院高等科時代、盆栽に興味を示されたことから校内では『じい(爺)』というあだ名で呼ばれていました。クラスメートとはお立場が違うとはいえ、エスカレーター式の学校で学ばれながら、分け隔てなく生涯にわたる友情を育んでこられたのです」

 当時、学習院中・高の音楽教諭として陛下の授業を受け持った藤原義久さんが回想する。

「学習院は皇室の方々に接する機会に恵まれ、教諭や生徒の中には“皇族方をお見守りする”という意識を持つ人も多いでしょう。ただしそれは、できる限り自然に接しながら、ということだったと思います。陛下もまた、随分と鍛えられたのではないでしょうか」

■「税金で買ったものだから大事にしなさい」


 実際に当時、こんなことがあったという。

「短くなった鉛筆を陛下が捨てようとされた時、周囲が“これも税金で買ったものだから大事にしなさい”と、たしなめたことがありました。少なくとも私たちは玉のように優しく接してきたわけではありません。皇族方は普段からさまざまな配慮を受けることが多い。だからこそ学内では、一般の生徒たちと同じように接しようというのが学習院の美風でした。学内には、生まれた時からすでに皇族であり、その宿命とともに生きていかれる方々への深い共感があったと思います。むろん、そうした方々との交流を笠に着るような者もおりませんでした」

 藤原さん自身も、

「私がよく陛下に申し上げたのは“名字のない家”に生まれたことの意味についてです。これはつまり、すべての名字や家が天皇家に連なっているともいえます。だからこそ、どこに行かれても“ただいま”といえるような家庭的な親しみをお持ちでなければならない。“日本各地に帰る家があるような感覚をお持ちください”というお話はいたしましたね」


■「今でも後輩として接していただいている」


 また、学習院大の音楽部で陛下の2年後輩にあたる竹内尚子さんは、

「学習院では皇族の方がいらっしゃるのが日常風景。私も大学時代に陛下と歩いている時、気付いたら周りを護衛の方に囲まれていたことがありました」

 そう振り返りつつ、

「入学して間もない頃、陛下に“テレビで観る(浩宮)殿下と、こうして目の前でお話しされている方が同じとはどうしても思えません”と、つい口にしてしまったことがあったのですが、陛下は“それでいいですよ”と仰って下さった。皇太子となられてからも、私を学生時代のあだ名でお呼びになるなど、当時のまま、後輩として接していただいています。陛下にとって私たちは、プライベートを見せられる存在だったのでしょう。私たちが少しでも陛下のお力になれたのであれば、幸せなことだと思います」

 これこそ“分け隔てのない友情”であろう。翻って悠仁さまはといえば、

「19年4月に行われたお茶の水附属中の入学式では、悠仁さまが新入生114人を代表してあいさつをなさいました。『それぞれが持っている力を大事に伸ばし、可能性や視野を広げていきたい』などと宣誓されたのです。お茶の水側は、悠仁さまが代表に選ばれた理由について“学業や人格的成長を総合的に判断した”としていましたが、そもそも新入生代表のあいさつ自体、お茶の水中では過去になかった。つまり、学校側が率先して悠仁さまを“特別扱い”したわけです」(前出皇室ジャーナリスト)


■筑附に皇族方受け入れのノウハウは皆無


 もとより皇族方をお迎えした実績のない国立大附属中では、学習院の“お見守りしつつ自然に”といった絶妙の応対など不可能。そして、これから進学なさる「筑附」もまた、受け入れのノウハウは皆無である。

「将来の天皇に求められるのは競争社会で生き抜く力ではないはずです。悠仁さまが、はたして生き馬の目を抜く環境に溶け込んでいかれるかどうか、大いに疑問です。新しい同級生と交流して打ち解けられなければ、上皇さまや陛下がご学友と結ばれてきた“生涯の友情”など望むべくもありません」(同)

 頑なに学習院を忌避なさった秋篠宮ご夫妻。悠仁さまの将来を真に思い、その方針に進言して翻意させられるような気概のある職員は、宮内庁にはいなかったということだ。


■「利用しようとして近づいてくる人も…」


 象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、

「戦後の皇室は、国民の暮らしに近づいていきました。進学先についても、秋篠宮家のICUをはじめ、高円宮家の長女・承子さまが早稲田大、三女の守谷絢子さんは城西国際大と、必ずしも大学まで学習院一辺倒ではなく、さまざまな学校が選ばれるようになりました。世間が個人の自由を重んじる中で、皇族方ご本人の意思が反映されるようになったともいえ、それ自体は自然な流れだと思います」

 としながらもやはり、こう指摘するのだ。

「今回の悠仁さまの『筑附』ご進学については心配しています。まずはご学友。進学校ということで、悠仁さまとの交友より自分の受験に集中し、別の大学へ進学する生徒も多いでしょう。となると、卒業とともに交友関係も切れてしまうことはあり得ます。自身の悩みを相談したり、思いを代弁する役割を果たしてくれるような信頼に足るご学友がいらっしゃらないという事態にもなりかねません」

 さらには、

「悠仁さまを利用しようと近づいてくる人が出てこないとも限りません。もちろん学習院でもリスクはあったと思いますが、積み重ねられてきた経験もあった。ところが他校では、例えば卒業生が起業した際に“悠仁さまと同窓”と、宣伝文句に使われてしまったら対応を一から考える必要がある。あるいは皇族が通われているということで、結果的にその学校にお墨付きを与えてしまう可能性もあります。皇室が学校のブランディングに加担しているかのように映るのは、あまりよろしくありません」

 名門とて不安は尽きない。

「週刊新潮」2022年3月3日号 掲載

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