元公安警察官は見た ロシアの美人スパイ「アンナ・チャップマン事件」の真相

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に12年前、アメリカで大問題になったアンナ・チャップマン事件について聞いた。

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 FBIの特別捜査員が、警視庁公安部外事課の捜査員のためにロシアのスパイの手口について講義したことがあった。

「むろんこうした講義は非常に稀なことです。ロシアの美人過ぎるスパイと言われたアンナ・チャップマンら10人のスパイがアメリカに入国。軍事機密を入手し逮捕された事件について話を聞きました」

 と語るのは、勝丸氏。かつて公安外事1課の公館連絡担当班に所属していた同氏は、大使館や総領事館との連絡・調整が主な任務だった。

「駐日アメリカ大使館内にあるFBI東京支局の支局長に、アンナ事件について興味があるので資料があったらもらえないかと打診しました。すると、アメリカから特別捜査官が来日し、事件について講義してくれることになりました」


■色仕掛け


 アンナ・チャップマンらがFBIに逮捕されたのは2010年6月。特別捜査官は、その年の秋に来日した。講義を受けるため、外事課の捜査員が20人ほど集まったという。

「講義を受けたのは、身分を隠して捜査する秘匿捜査員でした。FBIとはいえ彼らは素顔を見せるわけにはいきません。みなサングラスやマスクをしていました」

 特別捜査官は、ロシアスパイの手口について講義。アンナが行っていた諜報活動の中身を具体的に教えてくれたという。

 彼女を含む逮捕された10人は外交官ではなかった。

「10人全員がSVR(ロシア対外情報庁)のスパイでした。彼らの任務は、まずアメリカの民主党でも共和党でもどちらでもいいから、国会議員と親密になることでした。ロシアに不利な法案が出ると、それを潰す工作するよう指示されています。さらに、国防総省の高官に接近し、軍事情報を入手することも命じられていました」

 特にアンナの任務は、アメリカの核弾頭開発計画の情報を入手することだった。

「彼女はアメリカ人になりすまし、マンハッタンの不動産会社の敏腕社長を演じながら、諜報活動を行っていました。色仕掛けで、国防総省の高官やそのシンクタンクの職員に接近しています」

■フラッシュ・コンタクト


 アンナがカフェで諜報活動を行っているところを、FBIは現認している。

「彼女はカフェでコーヒーを飲みながら、パソコンに通信機器を差し込んで仲間に情報を送っていたそうです」

 特別捜査官の講義で最も注目を集めたのは、スパイの手法をとらえた動画だった。

「動画は、アンナの仲間が情報提供者とすれ違う瞬間に機密資料を受け取る、この業界でフラッシュ・コンタクトと呼ばれる瞬間を撮影したものでした。FBIが秘匿尾行して、鞄や胸に仕込んだ超小型カメラを使ったそうですが、決定的瞬間を見事にとらえていました。それを見た公安捜査員から驚きの声があがったほどです。フラッシュ・コンタクトは古典的な手法です。ロシアは未だにこんなことをやっているのか。さらにFBIはその決定的瞬間をよく撮影したものです。ロシアスパイとFBIの両方に驚きました」

 アンナら10人のスパイが逮捕されたのは2010年6月27日。

「ところがその1カ月後、ロシアが逮捕したアメリカのスパイ4人を釈放することを条件にアンナら10人全員が釈放されました」

 ロシアが解放した4人のスパイの中には、大物が2人いたという。

「1人は、CIAにロシアの軍事機密情報を流したため、2004年にスパイ活動防止法で懲役15年の判決が出て服役中の元ロシア科学アカデミーの軍事政策課長でした。もう1人は、在ロシアのイギリス外交官に軍事機密情報を流した容疑で2006年に逮捕された元GRU(軍参謀本部情報総局)の大佐でした」

 アンナら10人のスパイが帰国すると、当時、首相だったプーチンは大歓迎した。

「プーチンは、外交特権がないのに、よく頑張ってくれたと最大限の賛辞を贈っています。もっとも、アメリカやロシアのメディアはアンナのことばかり報じていました」

 アメリカのメディアでは、「アンナのグラマーショットをチェックせよ」などという見出しが躍り、彼女もFacebookで自身の写真や動画を公開。アクセスが急増したという。

「当時のオバマ大統領は、逮捕した10人のスパイをよく調べずにすぐに釈放したとして、批判されていました。実は彼女以外の9人の中に、かなりの大物スパイがいたそうです。それを守るためにロシア側がスパイの交換を言い出したようです。事件でアンナに注目が集まったのは、ロシア当局が大物スパイに世間の関心が向かないようにするため彼女の情報を大量に流したためです」

 結局、アンナはロシアで英雄扱いされ、テレビ司会者として活躍。2013年5月、モスクワの中堅銀行「ファンド・サービス・バンク」の取締役に就任した。

デイリー新潮編集部

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