プーチン大統領の暴挙で消える「北方領土返還」「漁にも出られない…」元島民たちの怒りと嘆き

プーチン大統領の暴挙で消える「北方領土返還」「漁にも出られない…」元島民たちの怒りと嘆き

露侵攻で北方領土元島民嘆き

プーチン大統領の暴挙で消える「北方領土返還」「漁にも出られない…」元島民たちの怒りと嘆き

ロシアが実効支配している歯舞群島が見える納沙布岬(撮影・粟野仁雄)

「元島民たちが戦後77年間、努力してきた返還運動もすべて水の泡になったような気持ちです」と愕然とするのは、根室市で漁業や水産加工工場を営む飯作鶴幸(はんさく・つるゆき)さん(79)だ。第二次大戦末期、ソ連軍の突然の侵攻で北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)から追い出された元島民たちの多くは、根室市に住む。島は返還されないまま、彼らの平均年齢は86歳になった。(粟野仁雄/ジャーナリスト)


■銃撃や拿捕の危険が増す


 飯作さんは2歳の時に色丹島から引き揚げた。

「引き揚げの記憶は薄いが、いきなりウクライナを武力で攻めたやり方は、あの時のソ連と同じで許せない。ロシア人は、個人的にはお人好しでいいけど、どうして国家となるとああなるのか。今回はロシア全体の判断ではなく、クレムリン(ロシアの大統領府)だけがやったんだろうから、ロシア国民から反戦運動などが高まってほしい」と話す。

「国境のマチ」の基幹産業の漁業にも大きな懸念を抱く。

「岸田総理が国際舞台で格好よく振る舞っている経済制裁も、そのしっぺ返しが根室に来る。今年のサケマス漁、サンマ漁などの操業条件の交渉も、昨年日ロ間で妥結はしているが、まだ許可を受けていない。公海でもロシア200海里内なら無害航行ができなくなる恐れもある。漁場に行くには、ロシアが実効支配する海域を通らなくてはならない。拿捕や銃撃があるかもしれず、危なくて出漁できなくなるのでは」と危惧する。

 冷戦時代、根室の漁民たちが「越境した」として、ソ連国境警備隊から銃撃され死亡する悲劇が相次ぎ、日ソ交渉で「安全操業」を確立させてきた。それでも拿捕は相次ぎ、漁民は何か月も帰国できず、色丹島やサハリンの収容所などに抑留され、多額の罰金を科せられた上、船は没収された。ソ連崩壊後の2006年8月にも、納沙布岬沖の貝殻島付近で操業していた日本漁船がロシア国境警備艇に銃撃され船員が死亡した。

 飯作さんが「岸田総理は玉虫色のことを言うのではなく、いっそのこと漁には一切出るなと決めてくれるほうがいい」と加えたのは「漁民の身の安全」が念頭にあるからだ。プーチン大統領のウクライナ侵攻は、戦後すぐや昭和30年代、40年代に逆行しかねない怖さを根室の漁民たちに想起させている。3月2日には、根室半島の日本領空でロシアのヘリコプターが領空侵犯し、自衛隊機が千歳基地からスクランブル発進させた。早くも緊張が高まっている。


■墓参や交流事業も絶望的


 歯舞諸島の多楽島から引き揚げた千島歯舞居住者連盟の河田弘登志(ひろとし)副理事長(87)は、「先月、宮谷内(みやうち)さんが亡くなったんですよ。私よりずっと若いのに」と嘆いた。

 同連盟の根室支部長で国後島出身の宮谷内亮一さん(享年79)は、根室市職員を経て返還運動の先頭に立ってきた。四島との交流事業が新型コロナの感染拡大防止のために中止になる中、昨年10月に納沙布岬で慰霊祭を催し「元島民が一人でも生きているうちに返還の道筋を示してほしい」と国に訴えた。今年2月にもオンラインで語り部をする予定だったが、心不全により突然、他界した。

 2月22日、連盟は旧島民に対して今年の「自由訪問、北方墓参及び四島交流訪問」の案内を出したばかりだ。毎年、5月から夏の終わりまで、エトピリカ号という船で四島に渡り、墓参や自由訪問、現地のロシア人との交流などをする交流事業は、コロナ禍のさ中、船が密になるため2年連続で中止されていた。

 河田さんは「元島民に募集をかけて、私も申し込みましたがロシアのウクライナ侵攻の影響で難しくなったのでは。ことしダメになれば3年間、行かれないことになる」と嘆く。

 2016年12月、山口県で行われた安倍vsプーチン会談は従来の外務省主導ではなく、経産省を軸に官邸主導で進められ、会談で安倍首相は「返還」という言葉すら使わなかった。当時「経済交流優先で領土返還が棚上げになっている」と不信感を吐露していた河田さんは「あの時、担当した役人たちはみんな交代してしまったが、絶対に返還運動をやめるわけにはいかない。国は本当にやってくれるのだろうか」と話した。


■「不安でいっぱい」


 居住者連盟の脇紀美夫理事長(81)は、羅臼町長も務めた。町からは故郷の国後島がはっきりと見える。脇さんは、「国際問題なので私の立場で何か言えるわけではないが、こういう時だからこそ、四島返還を強く訴えていきたい。どんな状況になってもこれは譲れない。地元では安全操業がどうなるのかなど不安でいっぱいです。連盟の役員会もコロナ禍でリモート会議ばかりでもどかしい」と話す。

「プーチンは完全に狂っている」とは漁業、得能(とくのう)宏さん(88)。色丹島からの引き揚げ前、2年間程、日ソ混住の時期を生きた。ソ連兵が教室にいた小学生時代の思い出などの体験はアニメ映画「ジョバンニの島」の題材になり、講演もしてきた。

「何十年の返還運動で返ってくるかなと思う時期もあったが、最近は全然ダメ。当面は領土返還よりも経済面が心配だ。悪いことばかり続く。プーチンはもう狂っとるとしか言いようがない。自己抑制はできないのではないか」と訝った。


■プーチン氏に見透かされていた安倍首相


 冷戦時代、ソ連のブレジネフ書記長に「存在しない」とされた北方領土問題。ソ連末期のゴルバチョフ政権、崩壊後のエリツィン政権など、日ソ、日ロの雪解けのたびに「領土が返ってくるかもしれない」という淡い期待を抱いてきた旧島民たち。しかし四島はブーメランのように近づいてきては去ってしまうの繰り返しだった。

 2016年12月の会談の直前は、マスコミも「今にも返還されるのでは」との憶測を流布した。その裏で政府は「ロシア側を刺激する」との名目で元島民に対し、返還運動の集会などでも「島を返せ」と書かれたゼッケンや鉢巻をさせないことまで強いていた。

 会談では複数の旧島民がプーチン氏に手紙を出し、それを大統領が読むという美談仕立ての演出があり、その模様が「NHKスペシャル」で放送された。彼らの手紙には、「いつでも墓参りしたい」「島で朝を迎えたい」などの文言はあっても、「島を返してほしい」とは一言も書かれていなかった。この不自然なパフォーマンスは、会談の成果の上がらなさを誤魔化すために、官邸サイドとNHKが旧島民女性を利用して仕組んだものだろう。安倍政権は旧島民にそこまでさせてプーチン大統領に媚びていた。何の進展もないまま月日が経ち、旧島民たちは「プーチンの正体」を見ることになった。


■二島返還もかなわず


 領土問題や根室経済に詳しい元根釧漁船保険組合参事の足立(あしだて)義明さん(84)は、「岸田総理は、北方領土に関心もなく返還どころではないでしょう。200海里に入れなかったら、根室の漁業は崩壊します。根室市は今ふるさと納税で持っているようなものだが、カニやウニなどの返礼品もなくなってしまう。20年ほど前に鈴木宗男さんが打ち出した二島返還論を私も支持したが『四島返還が国是だ』と国賊扱いされ、右翼も押し掛けた。二島だけでも返してもらっていれば全然違ったはず」と振り返る。陸地面積としては国後島や択捉島には及ばないが、色丹島と歯舞諸島の周辺は「世界三大漁場」の1つとされ、カニやウニなど高価な海産物の宝庫だ。

 2018年11月、安倍首相はシンガポールでのプーチン大統領との会談で、1956年の「日ソ共同宣言」に依拠し、従来の四島返還から、色丹島と歯舞群島の二島の返還を目指す方針に転じた。プーチン大統領との「個人的信頼関係」を誇示していた安倍氏は、四島での日ロの共同経済活動からの返還を模索したが、日本によるインフラ整備など「ロシア側のおいしい所取り」に終わるだけで、返還されるとはとても思えなかった。

 ウクライナ侵攻で岸田首相は「ロシアとの関係をこれまで通りにしてゆくことはできない」と断じた。もはや二島返還も完全に潰れたといえよう。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮編集部

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