なぜ日本だけ30年も賃金が上がらない? ビッグマック、賃金ともに韓国以下に
2022年03月14日 10時56分 デイリー新潮

「ビッグマック」も「賃金」も韓国より安い
ねじり鉢巻きで賃上げを叫んでみても、今や韓国に抜かれた「安い賃金」は大して変わりそうもない。だが、それは商品の値上げを許さず、激安を追い求め続けてきた日本人自らが招いた必然の帰結ともいえるのだ。因果は巡る……。「安いニッポン」の真因に迫る。
***
スーパーの食肉売り場で女性客たちが、鶏ムネ肉の1.4キロジャンボパックを手にして盛り上がっている。
「こんなに入って602円って安すぎじゃない?」
「100グラム43円だもんね。普通のスーパーでは100グラム約80円だからほぼ半額!」
「すごーい!」
日本のどこでも見かける庶民の日常会話――ではなく、実はこれは先日、全国ネットでゴールデンタイムに放送された、ある情報バラエティ番組の一コマ。この後も通販番組のような激安食材の紹介が延々と続く。
今、テレビではこんな「激安ネタ」を毎日のように公共の電波で垂れ流している。例えば、1月20日に放送された「ウラ撮れちゃいました」(テレビ朝日系)の番組内容は、スーパーの折り込みチラシも真っ青の売り文句が並ぶ。
〈“税抜き10円”商品だらけのスーパーに“1円唐揚げ”、“100円焼肉”、激安“超デカ盛り弁当”など…サービスのウラ側にあるお店の思いにも迫る!〉(番組公式ホームページ)
■テレビマンが激安企画を連発する理由
なぜここまで視聴者に「激安」の押し売りをするのかというと、このテーマがテレビマンたちにとっても「コスパがいい」からだ。
「これまで、動物と子どもを流しておけば数字(視聴率)が取れるというセオリーがあったが、最近はここに“激安”が加わっている。特に安くてボリューム満点の飲食店を流しておけばまず大コケしない」(キー局ディレクター)
このトレンドを代表しているのが、日本テレビ系で全国ネット放送されている「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」である。庶民的な価格ながら過剰なサービスをする個性豊かな飲食店を毎回紹介している同番組の視聴率は好調で、さる2月8日放送回でも、重さ2キロの“デカ盛り”野菜ラーメンを安く提供する店を取り上げて13.7%の視聴率をマークした。
この「激安で数字を稼ぐ」というトレンドは「報道番組」にまで波及している。「Nスタ」(TBS系)では2月17日に、埼玉の激安スーパー「マルサン」の青果売り場と、乳製品やパンなどを扱う日配品売り場間の売り上げ競争に密着。「青果軍」「日配軍」と呼び「赤字上等」等のテロップをつけるなど大ハシャギで安売り対決をあおっていた。
■「安さ=正義」が刷り込まれるように
一見すると、これらの番組は庶民の生活に寄り添っているように感じるだろう。しかし、実は「安いニッポン」を悪化させて、庶民をさらなる苦境に追いやる罪深い番組ともいえるのだ。
一昨年、ワイドショーやニュースが「SNSでトイレットペーパーが不足するというデマが流れています」と報じたところ、そのデマの存在すら知らなかった消費者が、スーパーやドラッグストアに大挙して押し寄せ、買い占め騒動が起きた。このように、今なおテレビは大衆の消費行動に強い影響を及ぼすことがわかっている。
つまり、今のように朝から晩まで「激安」に大喜びして、称賛するような番組が大量に流されると、消費者の頭の中に「安さ=正義」という価値観が強烈に刷り込まれる。そして、少しでも割高と感じる商品やサービスを提供するメーカーや店に激しい憎悪を募らせて、徹底的に糾弾する「値上げヘイト」が横行してしまう。この結果、日本最大の課題「デフレ脱却」はさらに遠のき、庶民はより貧しくなっていくという構図の出来上がりだ。
■要は「ケチ」
「値上げヘイト」の盛り上がりは既に日本のあちこちで見えてきている。例えば、マクドナルド(以下、マック)は2019年にメニューの約3割で10円の値上げをしているのだが、一部の消費者からネット掲示板やSNSで叩かれている。
〈いつからマックは高級路線になったんや・・・〉
〈昔250円ぐらいだったダブチーが今だと340円もするんだな チーズバーガーも140円やし ぼったくりすぎだろ〉
「十分安いじゃないか」と思うむきもあろうが、叩く側のロジックのひとつとして「昔はもっと安かった」というものがある。
1971年、日本に上陸したマックのハンバーガーは当初、着々と値上げをして210円にまでなったが、バブル崩壊後に低価格路線へと舵を切り、2000年にはなんと「65円」まで値下げして若者などから絶大な支持を受けた。
が、この「激安」アピールが「負の遺産」としてマックを苦しめ続ける。02年2月に80円に値上げをしたところ「高すぎる」と客が離れて売上高が激減し、半年後に「59円」にまで下げた。そんな「激安バーガー」時代のイメージを引きずる消費者からすれば、100円であっても「割高」なのだ。
■値上げを「不誠実」と感じる国民性
そこに加えて、日本では、「値上げは企業努力で回避するのが当たり前」という風潮がある。先日、スナック菓子「うまい棒」が10円から12円に値上げ発表されたことを受けて、発売から42年間も10円という価格を維持していたことが美談として語られたことからもわかるように、日本人にとって「安売り」をしない企業は「不誠実」なのだ。
もちろん、庶民が食品や生活必需品に「安さ」を求めるというのは、万国共通の現象だ。が、日本はちょっと度が過ぎてしまっている感が否めない。
イギリスのエコノミスト誌が公表している世界各国のビッグマックの価格を比較した「ビッグマック指数」というものがある。その今年2月の最新データ(今年1月時点の1ドル115.23円で換算)を見ると、アメリカのビッグマックは5.81ドル、イギリスは4.82ドル、中国は3.83ドル、韓国は3.82ドルとなっているのに対して日本は3.38ドル。一部消費者から「ぼったくり」と叩かれる日本のマックは、実は外国人にとって、「激安グルメ」なのだ。
■本質的には「ケチ」なことが原因
この「内外格差」は外食以外も同様だ。例えば、ディズニーランドも昨年10月1日に、ワンデーパスポートを8200〜8700円から、7900〜9400円に変更したことを受けて、「値上げヘイト」のターゲットになっている。「あんなに混雑していて高すぎる」「もう行きません」などとネットで叩かれているのだ。
ただ、マック同様、実は日本のディズニーランドは世界で最安値。フロリダや上海、パリなどは需要に応じて価格が変動する「ダイナミック・プライシング」という制度を導入しているので一律ではないが、閑散期でも1万円を上回ることが多いのだ。実際、中国やアジアの訪日観光客の中には、「世界一コスパのいいディズニーランド」を目当てにしている人たちもいる。
そこで気になるのは、なぜ「日本だけが安いのか」ということだろう。
エコノミストや経済評論家の説明では、「日本が円安政策をとってきた弊害」「デフレが悪い」となることが多いが、実は本質的なところでは、我々日本人が他国の人々よりも異常なほど「値上げ」を嫌い、「安さ」を執拗に追い求めているということが大きい。要は「ケチ」なのだ。
■赤字覚悟の「出血受注」
「物価」を研究している東京大学・渡辺努教授の『物価とは何か』(講談社選書メチエ)によれば、米国、英国、カナダ、ドイツの消費者と、日本の消費者に対して「いつもの店である商品の値段が10%上がっていた場合にどうするか」と尋ねたところ、日本以外の国の消費者は値上がりをしていても、やむなしと受け止め、高くなった商品を買うという答えが多かった。原料の価格が上がったり人件費などが上がればしょうがない、と値上がりを受け入れるのだ。しかし、日本人の消費者の回答だけはそれらと対照的で、「その店で買うのをやめて他店でその商品を買う」「その店でその商品を買う量を減らす」が多く支持された。この結果を受けて、同書では、「値上げを断固拒絶するのは日本の消費者だけ」と結論付けている。
では、なぜ日本人だけが「値上げ」に不寛容なのか。この答えは単純明快で、それらの国の人々よりも「貧しい」からだ。
経済協力開発機構(OECD)のデータでも米国や英国が1990年から実質賃金を40%超の割合で上げているところ、日本はわずか4%しか上がっていない。また、2020年の主要国の平均賃金(年収)を見てみると、1ドル110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35カ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。
韓国もかつては日本より低賃金だったが、1990年から30年で1.9倍と順調に賃上げし、ついに日本を15年に抜いて、現在は日本より平均年収が38万円ほど高い。まさしく「後から来たのに追い越され」である。
■中小企業が低賃金なことが問題
では、この世界の常識に逆らう、「異次元の低賃金」はなぜ引き起こされてしまったのか。それは賃金を支払う側、つまりは企業がさまざまな言い訳を並べて賃上げしないせいである――そう聞くと、「大企業が内部留保を溜め込んでいるからだ」「政府が財政出動をして企業を支援していないからだ」という話になりがちだが、実はそれらはあまり関係ない。「中小企業白書2021」によれば、日本企業の中で大企業の割合はわずか0.3%(1.1万社)に過ぎない。99.7%(357万社)を占めて国内の従業者の約7割(3220万人)を雇っているのは中小企業である。
つまり、大企業が内部留保を吐き出して賃金に還元したところで、それはたかだか3割の話ということだ。圧倒的大多数が働く中小企業の賃金を上げないと、日本全体の賃金は絶対に上がらない。裏を返せば、日本が30年ほど賃金が上がっていないのは、中小企業の賃金がこの30年上がっていないからなのだ。
また、国が惜しみなくカネをバラまけば賃金が上がるという単純な話でもない。日本では中小企業に対する「ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金」をはじめとした手厚い産業支援がなされてきた。受け取れる額は条件によってさまざまだが、1千万円以上となるケースも少なくない。しかし、厳然たる事実として、賃金はほとんど上がっていない。
■「出血受注」が常態化
では、大企業や政府支援の不足のせいでなければ、なぜ日本は「低賃金」なのかといえば、産業構造による悪影響が大きい。それは一言で言ってしまうと、「安売り競争を強いられる零細企業で働く人が圧倒的に多い」ということである。
日本企業の99.7%を占める中小企業のうち小規模事業者(製造業は従業員20人以下、卸売業・小売業・サービス業は従業員5人以下)が全体の約85%を占める。つまり、日本企業の9割近くは、家族経営や社員が2〜3人といういわゆる「零細企業」であり、それぞれの産業内でその小さな会社が厳しい生存競争を繰り広げている、というのが日本経済の実態なのだ。
では、そうした環境で中小零細企業が、競合する企業と競り勝って仕事を受注するにはどうすればいいのかというと、「ダンピング」しかない。とにかく仕事を受けるために、赤字覚悟で価格を下げるという、いわゆる「出血受注」をしていくのだ。
もちろん、「下町ロケット」に登場するような唯一無二の技術を持つ町工場ならばそんな必要はないが、そういった企業はほんの一握り。一般の中小零細は「よそより安く請け負います」「もっと勉強します」と赤字覚悟で仕事を取りにいくしかない。
なにせこれまで見てきたように、日本は先進国のなかでもトップレベルの「値上げ」を嫌う民族である。建設業や製造業などはなおさらだ。下請け、孫請け、ひ孫請けという多重請負構造で下部にいくほど買い叩かれるので、「出血受注」が常態化している。
■削るところは人件費しかないという実態
この問題の根深さは、「出血受注」という言葉自体が雄弁に語っている。これは朝鮮戦争特需で、とにかく仕事を請けたい企業が始めたものであり、当時、国会でも取り上げられるほど注目を集めた。この時に、日本人の頭に、「商売とは赤字覚悟で値下げすること」という常識が強烈に刷り込まれ、やがて高度経済成長期になると、スーパーなどの安売りで使われる「出血サービス」という言葉とともにその常識が定着していく。つまり、よくいわれる日本の奇跡的な戦後復興は「赤字覚悟の安売りカルチャー」が原動力になった側面もあるのだ。
ただ、この「出血受注」は中小零細企業で働く3220万人という従業者にとっては、かなり深刻だ。
中小零細が受注のために「血」を流すとしたら、具体的にそれは何か。原材料費や輸送費を圧縮するといっても、会社の規模的に限界がある。となると、削れる固定費はあそこしかない。そう、人件費だ。日本人の賃金が30年以上もまったく上がっていないのは、デフレや経済の停滞もさることながら、日本企業の約9割を占める中小零細企業が、赤字覚悟の「出血受注」を強いられている、という産業構造によるところも大きいのだ。
■アニメ業界の低賃金問題
さて、ここまでの“負の連鎖”をたどっていけば、「激安大国ニッポン」の実像が朧げながら見えてきたのではないか。
「激安グルメ」を愛し、「激安スーパー」を称賛して、「もっと安く!」「もっとお得に!」と値下げに踏み切るよう企業を鼓舞しているが、それがまわりまわって、自分たちの賃金までも「激安」にしてしまっている。給料が上がらないので、消費者は「もっと安いものを」と激安への依存を強める。企業側は「出血受注」を続けていつまでたっても賃上げできないので、労働者(=消費者)はどんどん貧しくなっていく。今の日本人は「安さの無間地獄」ともいえる悪循環の真っ只中にいるのだ。
もちろん、これはあくまで日本人にとっての話なので、外国人からすれば全く別の見え方になる。わかりやすいのがアニメだ。日本のアニメは世界的に高い評価を受けているが、その品質を支えるアニメーターが今、続々と中国のアニメ会社へ転職している。一般社団法人日本アニメーター・演出協会の19年の調査では、アニメーション制作者の平均年収は440万円で正社員は14%に過ぎず、新人アニメーターが従事する「動画職」にいたっては平均年収125万円。一方、「日本経済新聞」(21年6月25日)によれば今、中国では「2年以上の3Dアニメ制作経験者」は日本円で月収34万〜68万円で募集されている。中国のアニメ会社からすれば、優秀な技術者を、低賃金で買い叩ける日本は「激安天国」なのだ。
■「安さの無間地獄」
今、デフレ脱却を掲げる岸田政権がさまざまな施策を表明しているが、これまで述べたような産業構造にまで手を付けるようなものではないため、残念ながら「安いニッポン」はまだ続く。ただ、何よりも問題なのは、ほとんどの日本人がこの「地獄」にいることにそれほど危機感を抱いておらず、「こんな住みやすい国はない」などと喜んでいることだろう。「地獄も住み家」のことわざ通りだ。
今日もどこかのテレビ局が「激安ネタ」を放送している。国民がそれに飛びつくことで、自分たちの賃金をさらに安くしていく。そして叫ぶ。「生活できないからもっと安くせよ」――。
そんな「安さの無間地獄」で感じる我々の幸福は、夢かうつつか幻か。令和の世の悩みは深い。
窪田順生(くぼたまさき)
ノンフィクション・ライター。1974年生まれ。雑誌や新聞の記者を経てフリーランスに。事件をはじめ現代世相を幅広く取材。新潟少女監禁事件をルポし、第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『14階段』や、『死体の経済学』『「愛国」という名の亡国論』等の著書がある。
「週刊新潮」2022年3月10日号 掲載
記事にコメントを書いてみませんか?