もし17万人のロシア軍が北海道に侵攻したら…音威子府村で第2師団は全滅、第2のノモンハン事件という現実

もし17万人のロシア軍が北海道に侵攻したら…音威子府村で第2師団は全滅、第2のノモンハン事件という現実

自衛隊はロシアに勝てるのか?

 もしロシアが日本に攻めてきたら、いったいどうなるんだろう──こんな不安を感じながら、ウクライナ侵攻のニュースを見ている日本人は少なくないようだ。

 ***

 時事通信は3月11日、「北方領土でミサイル演習」との記事を配信した。

《インタファクス通信によると、ロシア軍東部軍管区は10日、クリール諸島(北方領土と千島列島)で地対空ミサイル「S300V4」の発射演習を行ったと発表した》

 Twitterには不安の声が投稿された。

《今度は日本? 攻める気か? プーチン火遊び止めよ!!》

《ミサイル演習、北海道の人たちも怖がってると思うのでやめてほしいです》

《やっぱりか……不安しかないよ……》

 当然ながらこれまで防衛省は、ロシアやソ連による本土攻撃をシミュレーションし、迎撃作戦を立案してきた。

 東西冷戦下の緊張は今よりも厳しく、また日本国内では革新勢力が政治的に強い影響力を持っていたため、当時の防衛庁はそうした「防衛計画」を全て極秘扱いにしなければならなかった。

 だが、マスコミの地道な取材で、次第に計画の詳細が報じられた。例えば、読売新聞は1988年2月29日の朝刊に、「“北海道侵攻”は独力撃破 防衛庁検討の極秘資料 陸自近代化を強調」の記事を掲載した。


■防衛省のシナリオ


 この記事によると、当時の防衛庁は「ソ連=ロシア侵攻」を次のように予測していたという。

《「北海道有事」の場合、予想される侵攻地点として、〈1〉稚内正面〈2〉日本海側の天塩(てしお)正面〈3〉オホーツク海側の浜頓別(はまとんべつ)、枝幸(えさし)正面――の三地点を「上陸適地」として具体的に挙げ、これに対する迎撃拠点は「音威子府」(おといねっぷ)周辺としている。》

 軍事ジャーナリストが匿名を条件に、自衛隊の「対ロシア作戦」について取材に応じてくれた。

「防衛省はこれまで、ソ連やロシアが日本に侵攻する可能性を、様々なシナリオで検討してきました。例えば、1994年に作成された計画があります。91年にソ連が崩壊し、ボリス・エリツィン(1931〜2007)が新政府の大統領だった時代です。この時、当時の防衛庁は、ソ連崩壊を元にシナリオを立案したのです」

 そのシナリオは、ソ連の崩壊によりロシア国民の不満が増加。政府は“新天地”を求め北海道に侵攻するというものだった。

「当時の弱体化したロシアだと、NATO(北大西洋条約機構)軍に勝てるはずもありません。シナリオでは、東欧諸国で“反ロシア”のデモ行動が激化。ロシアの首脳部は西側への侵攻を諦め、『アメリカから距離の遠い』日本の北海道を狙うというシナリオを立案したのです。北海道を占領して、ロシア国民が戦勝を歓迎。大統領の支持率が上がり、かつての東側諸国への睨みもきかせられるという見立てです。今の状況と照らし合わせても、なかなか興味深いシナリオだと思います」(同・軍事ジャーナリスト)


■補給が不得意なロシア


 もちろん、他にも様々なシナリオが立案された。

「ロシアの特殊任務部隊であるスペツナズが青函トンネルを占拠する、というシナリオを検討したこともあります。また、青森県三沢市の航空自衛隊三沢基地が急襲されたら、というシナリオもありました。しかし、北海道が対ロシアの主戦場になるという予測は、常に変わりませんでした」(同・軍事ジャーナリスト)

 先に見た読売新聞の記事の通り、ロシアの上陸先は、

《〈1〉稚内正面〈2〉日本海側の天塩正面〈3〉オホーツク海側の浜頓別、枝幸正面》

という予想は今も変わっていないという。

「ロシアは極東に『自動車化狙撃師団』を配置しています。戦車、自走砲、歩兵戦闘車、装甲兵員輸送車などで構成された師団で、今回のウクライナ侵攻に動員されたという報道もありました」(同・軍事ジャーナリスト)

 この「自動車化狙撃師団」が北海道侵攻の主力となる。更に、ウラジオストクからロシア版の“海兵隊”を輸送する可能性があると予想した。

「ただ、今回のウクライナ侵攻でも報じられたように、ロシア軍は補給が得意ではありません。少なくとも90年代の防衛庁は、そのことを分かっていました。本来は『北海道を完全に占領するには17個師団が必要』だと計算した上で、ロシアにそれだけの大軍を送り込む力はないと分析したのです。ちなみに1個師団は、国によって人員は違いますが、だいたい1万人という数字になります」(同・軍事ジャーナリスト)


■大敗した自衛隊


 17個師団となれば、約17万人になる。これだけの大軍を揚陸させる力はロシアにはない。だが、2万人とか3万人なら可能だろう──。防衛省は、こうした前提で計画を立案したようだ。

「北海道の旭川市には、陸上自衛隊第2師団が配置されています。ここは今も昔も、“捨て石”となることが決まっている師団です。3カ所から揚陸したロシア軍を、第2師団が音威子府村で迎撃するという計画は、全く変わっていません」(同・軍事ジャーナリスト)

 捨て石というが、まさに第2師団は敗北が決定していると言っても過言ではない。朝日新聞の北海道版が2005年の12月に「(北の部隊 北海道の戦後60年・第7部:1)冷戦期の演習」との記事を掲載したが、以下の記述がある。

《「名寄の精鋭部隊を中心に1カ月持ちこたえて同盟国アメリカの重武装部隊の応援を待つのが基本姿勢だった」。OBで北部方面総監部防衛課長や2師団長などを歴任した宇野章二さん(67)=札幌市=は言う。》

 先に紹介した音威子府から名寄までは約50キロ、鉄道で約1時間の距離になる。

《もしソ連軍の大戦車部隊が侵攻してきたとき、どれだけ対抗できるのか。語り草になっている演習が84年10月、北海道大演習場で開かれた。》

《自衛隊側が1340人、戦車など106両。ソ連軍を想定した攻撃側は実際の戦力に照らして2120人、260両で臨んだ。結果は攻撃開始からわずか17分半、自衛隊側の防衛ラインはもろくも崩壊した。旧日本軍がソ連の戦車部隊に大敗を喫した39年のノモンハン事件を思い起こさせる結果だった。》


■第7師団の実力


 前出の軍事ジャーナリストは、かつて第2師団の関係者に取材をしたことがあるという。

「自分たちが壊滅状態になるという前提は、第2師団の誰もが共有していました。実際、壊滅後についても指示が出ていました。第2師団が配置されている旭川市は、春先ならギョウジャニンニクが自生します。第2師団の自衛隊員は誰もが、『自分たちが壊滅してもゲリラ兵となり、春なら自生しているギョウジャニンニクを囓り、1日でも生き延び、1人でも多くのロシア兵を殺す』ことが重要だと理解していました」(同・軍事ジャーナリスト)

 第2師団が“捨て石”ならば、本格的反撃の役割を担っていたのが千歳市に配置されている陸上自衛隊第7師団だ。

 音威子府駅からJRを使えば、千歳駅までは約4時間半となる。

「そもそも自衛隊の第7師団の歴史は、北海道をロシアから防衛する任務を担っていた屯田兵を母体とし、明治29(1896)年に編成された旧日本軍の第7師団を前身とします。第7師団は特に冷戦下、『陸上自衛隊で唯一の機甲師団』として知られていました。重戦力によってロシア軍に打撃を与えることを期待されています。第2師団が捨て石となって時間を稼ぐ間、第7師団が本格的反攻を担い、アメリカ軍の到着を待つというのが基本的な作戦プランというわけです」(同・軍事ジャーナリスト)


■自衛隊の意外な弱点


 今回のウクライナ侵攻で、「ロシア軍は意外に弱いのではないか」という指摘もある。自衛隊は今ならロシア軍に勝利できるのではないかと期待する声もありそうだが、油断は禁物だという。

「自衛隊は弾薬が絶対的に足りません。“専守防衛”の名の下、弾薬の備蓄も厳しく制限されているので、勝てる戦いも勝てないのです。第2師団や第7師団の関係者はウクライナ侵攻を注視しているでしょうが、自分たちが日本の各種法令でがんじがらめに縛られていることも改めて実感していると思います。とはいえ、それに異を唱えれば、現在でも反発する日本人が多いこともこれまでの歴史が証明しています」(同・軍事ジャーナリスト)

デイリー新潮編集部

関連記事(外部サイト)