元公安警察官は見た 吉田茂邸の“お手伝いさん”をスパイに仕立て上げた諜報機関の手口

 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を17年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、吉田茂邸に陸軍中野学校からスパイにされた“お手伝いさん”について聞いた。

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 1938(昭和12)年3月、陸軍参謀本部(後に陸軍省)直轄の諜報機関が創設された。

「当初は千代田区の九段にありましたが、1939年に中野区に移転したことを機に、陸軍中野学校と名付けられました」

 と解説するのは、勝丸氏。

「中野学校では、今では考えられない研修を行っていました。服役中の詐欺師やスリを講師として呼んでいました。言葉巧みに相手を騙したり、相手のポケットからこっそり資料を抜き取る際の手口などを教わったりしたようです」


■伊賀や甲賀の忍者が講師


 伊賀や甲賀の忍者の継承者を招いて、忍術について学んでいたというから驚く。

「さらにフレンチ料理のマナー、社交ダンスも教えていました。海外で諜報活動を行うとき、現地に溶け込むために、語学を始めとしてあらゆることを身につけさせたのです」

 中野学校の諜報員は、インドやビルマ(現・ミャンマー)など海外での活動がメインとなっていた。

「ただ稀に、日本国内で活動することもありました」
 
 太平洋戦争中、中野学校は親英米派で戦争に反対だった吉田茂元駐英大使をマークしていたという。

 1943年4月、神奈川県伊勢原市に住んでいた高橋正子さん(仮名)は、近所のAさんから「吉田茂がお手伝いの女性を探している」という話を持ちかけられた。正子さんは伊勢原市の農家の長女で、地元の高等女学校では短距離走の選手。健康的で活発な19歳の女性だった。

 東京に住んでいた正子さんの叔父も、たまたま彼の囲碁仲間で吉田と親しい元新聞記者からお手伝いを探しているのを聞かされていた。それもあって、正子さんはすぐに永田町の吉田邸に行くことになった。

 吉田邸で働き始めて5日目、Aさんの紹介でBという男性が吉田邸におはぎを持って現れた。戦時中おはぎは大変なご馳走だったため、みんなから歓迎されたという。

 正子さんは初めての休日、赤羽にある叔父の家に出かけるため吉田邸を出ると、なぜかBさんが待っていたという。Bさんは、「戦時中で切符が買えないかもしれないから、叔父さんの家まで車で送ってあげよう」と言い、彼女は不思議に思いながらも、車に乗った。

 叔父の家に到着すると、Aさんの他にCという男性も来ていたという。

「中野学校は、正子さんの行動をすべて把握していました」

■吉田茂から信頼された


 A、B、Cの3人の男性は、そこで初めて陸軍中野学校の諜報部員だと名乗り、彼女にこう言い出した。

「吉田さんは親英米派で戦争を早く止めたいと言っている。これはお国にとっても重要なことだから、本当にそういう気持ちがあるのか確かめたい。逐一、彼の言動を知りたい」

 正子さんは、最初は断ったが、お国のため、陸軍省の命令と言われ、その場で引き受けたという。

 勝丸氏が続ける。

「吉田邸には、近衛文麿元首相、岩淵辰雄貴族院議員、鳩山一郎元文部大臣など、権力者が良く来ていたが、その度に正子さんはBさんに報告を入れたそうです。吉田邸には、憲兵隊から送り込まれた書生や使用人もいたが、吉田に気づかれ、クビになっています。ところが彼女は信頼されていたようです。彼女は純朴な女性だったので、まさかスパイとは思わなかったのでしょうね」

 正子さんは、近衛、鳩山、幣原喜重郎元外務大臣などの家へ手紙を持って使いに出されたという。

「その際も、公衆電話を使って陸軍に連絡。吉田の手紙は?で封印されていたものの、中野学校の開封の専門家がやってきて、手紙の内容を写し取っていました」

 正子さんは、吉田が近衛宛ての戦争終結案を書いた手紙も陸軍に伝えた。

「1945年4月15日、吉田は『近衛上奏分』(近衛が昭和天皇に出した戦争終結の文)の作成に協力したことを理由に憲兵隊に逮捕されます。それを知った正子さんは申し訳ないという思いで夜も眠れなかったそうです。結婚することを理由に実家に帰っています」

 それにしても、正子さんはよく最後まで中野学校のスパイだとバレなかったものだ。

「彼女は腹が据わっていたのでしょう。聡明な女性だったようです。スパイの素質があったかもしれません」

 その後、彼女は結婚し、神奈川県秦野市で夫と息子、義妹と暮らしたという。

 吉田茂は40日間拘束された後不起訴、釈放となった。戦時中に投獄されたことで、GHQから反軍部とみなされ、逆に信用されたという。

「陸軍中野学校の卒業生は2500人と言われています。彼らは決して中野学校卒とは絶対に言いませんが、公安部が研修する際は、講師になった人もいました」

デイリー新潮編集部

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