「硫黄島の戦い」終結から77年 米軍従軍カメラマンが撮影した「日本兵」を探すオランダ人女性

 第二次世界大戦末期、日米双方で3万人近くの戦死者を出した「硫黄島の戦い」の終結から、今年3月26日で77年になる。戦場の様子は米軍が記録した写真資料からも窺い知ることができるが、その役を担った従軍カメラマンの孫にあたる女性が、硫黄島の戦いを生き延びた日本人とその家族を探している。【取材・瀬川牧子/ジャーナリスト】

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 その女性の名は、マリアン・イングレビー(Marianne Ingleby)さん(42)。現在オランダのアムステルダムに暮らす彼女は、英国人の父と米国人の母を持つ。つまり、硫黄島の戦地へ赴いたのは母方の祖父ということになる。米国のテレビ放送局CNBCやメトロ新聞でジャーナリストとして働いたキャリアの持ち主だが、カメラマンだった祖父の血を受け継いでいるためか、現在は写真家・アーティストとして活動している。

 そして現在取り組んでいるのが、祖父の写真と自分の写真を掛け合わせたプロジェクト「ディタッチメント作戦(Operation Detachment)」。硫黄島戦の米国側の作戦名に由来している。祖父が遺した写真に写る人物を探し求めているのも、これに関係してのことだ。今回、マリアンさんに話を聞くことができた。

■写真が語る“現実の核心”


――お祖父さんの遺産の存在を知ったのはいつのことなのでしょうか。

 2012年に私の長男が生まれた後のことです。母が私に大きなコダック製のボックスカメラの入った箱を渡してきました。蓋をあけると、祖父のブルース・エルクス(Bruce Elkus)が軍の訓練に参加している間に祖母と交わした100通近い“ラブレター”、そして祖父が軍の公式写真家として記録した1000枚近い写真、それと軍の機密文書が収められていました。写真は「硫黄島の戦い」を含めた第二次世界大戦と、戦後の日本を写したものでした。母は私に「それで何ができるか考えてみてね」と言うんです。まるで大きな石を渡されたような気持ちでした。重い遺産が箱の中に入っていたのです。

――それまでお祖父さんが戦争について語ってくれたことは?

 悲しいことですが、2001年に亡くなった祖父が戦争体験について話してくれたことは一度もありませんでした。母によると、祖父は戦争に駆り出される以前は、人生の目的を見出せないでいたそうです。そんな祖父を戦争が変えたのです。祖父は常に日本文化に深い敬意を抱いていました。また、占領中に真珠養殖の「ケンジ・オクナ」という友人を得ました。彼は何年にもわたってニューヨークを頻繁に訪れ、「ケイコ」という娘がいたそうです。

 祖母に宛てた手紙を読み進めて行くと、彼が軍の大義に強い共感を抱いていたことが分かりました。祖父の語られざる生き様を知りたくて、遺産について少しずつ調べ始めたのです。

 はじめは自分が何を見ているのか全く分かりませんでした。白黒の画像は、まるで別世界のものであるかのような印象を与えます。戦争、死体、切断、宗教儀式などの被写体や風景が何を意味するのか……理解に至るまでの過程は長かったです。祖父の写真を読み解くうちに、「私が抱いていた戦争のイメージは編集されたものではないか?」と気がつきました。箱の中に入っていた写真は、戦争の“現実の核心”を語っていたのです。

――“現実の核心”とは、例えばどんなものでしょうか?

 写真家のジョー・ローゼンタールが撮影した「硫黄島の星条旗」は硫黄島のイメージとして定着しています。1995年2月23日、日本軍が必死に守った硫黄島の摺鉢山(すりばちやま)の頂に、海兵隊が星条旗を立てた瞬間を撮影した写真です。私も「硫黄島」と聞くと、この写真を思い出していました。

 しかし、それは戦争の現実を語ってはおらず、非常に洗練されたイメージなのです。現実の戦争は実に様々な顔と、白黒では決め付けられないグレーな側面を持っています。私の世代は歴史の教科書で「硫黄島の星条旗」の映像を学びますが、祖父の写真記録を辿れば、より真実味を帯びた戦争についての認識を得ることができるのです。残酷な苦しみだけではない兵士たちの日々の生活、そして米国人と日本人の間には沢山の交流もあったのです。祖父の写真を通して、戦争がどのように存在していたかを知ることができます。米国の海兵隊大学の歴史学者らも、祖父の歴史的記録がユニークで、これまで見たことのないような様々な史実を現していると評しています。

 祖父は、硫黄島での戦闘の最後尾を担った陸軍第147歩兵連隊の通信部所属の写真家として従軍していました。海兵隊が去った後、硫黄島に掘られた広大な洞窟にはまだ多くの日本人が隠れており、島を手に入れるためには彼らの激しい抵抗を打ち負かす必要があったのです。また、戦いが集結した後に残った死体の処理も行いました。硫黄島が歴史上最も血生臭い戦場となったわけですが、死体を放置しておけば伝染病が蔓延することが分かっていたので、後始末は不可欠だったのです。祖父は戦いが始まった1945年2月から硫黄島を後にする6月までこれらの作業に従事しました。さらに、アメリカが日本を占領している間の記録も残しています。

 写真からは、祖父が硫黄島でたくさんの墓を掘っていたこと、戦いが終わった後の兵士たちがビールで祝杯をあげていた場面に立ち会い、参加していたことをも分かりました。終戦から60年以上が経ち、写真という祖父の目を通して、彼が実際に見たり体験したりしたものを知ることになりました。


■写真に記録されていた「米兵からタバコをもらう日本兵」


――お祖父さんが撮影された写真には、タバコを吸う日本兵が米兵と仲良くしている意外な様子が見て取れます。

 私は、被写体の“ボディーランゲージ”を注意深く研究しました。ご指摘の写真(画像1)は、数週間の激戦を経験した敵同士が、突然降伏して出会うという驚くべき瞬間のものです。国立公文書館に収められた祖父の写真(画像2)の中には、洞窟から出てくる2人の日本兵の姿もあります。アメリカ軍は日系二世の通訳を使い、日本人を降伏させようとチラシを投げました。何人かは降伏しましたが、約2万1000人の兵士のうち捕虜になったのはわずか216人でした。降伏し洞窟から出てきた日本兵の目には、死を予感させる恐怖が浮かんでいます。しかし、別の写真(画像3)には、包帯を巻いた日本兵が米兵からタバコを受け取り、別の米兵が彼らの話をメモしている様子が分かります。死への恐怖が少しは取り除かれていたに違いありません。他の米兵は距離を保ち、日本人をじっと見ています。

 アメリカ人は日本人を「猿」と見なし、日本人はアメリカ人を「悪魔」と見なすように言われたのです。武器を持たずに初めて顔を合わせた時の彼らの不信感を想像できますか? おそらくこの兵士たちは、敵を間近に見たことすらなかったのではないでしょうか。両者の“ボディーランゲージ”からは、お互いへの強い不信を感じさせつつ、敵はあくまで人間であることを認識していることが分かります。写真がこの瞬間を切り取った魔法なのです。

 日本人捕虜の身振り手振りや表情からは、恥ずかしさと生きていることへの安堵感が入り混じった感情が読み取れます。「これからどうしたらいいんだろう? 降伏しておいて、どうして帰ってこられるのか」といったような。私たちは、この男性らの勇気、降伏前に自害せよというプロパガンダといかに戦ったかを見なければなりません。この状況では生き続けることが勇気なのです。彼らは自分たちの物語を語るためのヒントを私たちに提供してくれているのです。私は彼らにこう尋ねたいと思います。「その場にいて、敵に出会うとはどういうことだったのか――」。だから、私は硫黄島帰還兵の生存者や硫黄島で捕虜になった男たちの物語を知りたいと思い、(この記事を読んだ読者に)見つける手助けをしてほしいのです。

 私は5年以上前から、一人でも多くの硫黄島帰還兵を取材したいと思い探しています。祖父の写真に写っている捕虜は誰なのか、ご家族の方でも話を聞きたいと思っています。たとえ写真に写っていなくても、硫黄島帰還兵の方を取材したいと思っています。ご存命の方も高齢でしょうから、まもなく「硫黄島の戦い」を語るにはフィクションしか残らなくなるでしょう。アメリカ側だけでなく、日本側からの物語を再構築し、全体像を知りたいと思っているのです。

――すでに取材された方はいるのですか。

 1年前に、硫黄島で戦死した日本兵のお孫さんに接触しました。遺骨は、他の多くの日本兵と同じように、今も島に残っています。その遺骨を発掘し、持ち帰るための代表団への参加を申し込んだのですが、コロナ・パンデミックのために全てキャンセルになってしまいました。また同じ時期には、帰還兵の西進次郎さんにZoomでインタビューできたのは、非常に光栄なことでした。西さんはとても賢明な方で、寛容の精神、勇気、優しさに感動しました。

――これからの自分の使命は何だと思いますか?

 展示会、本の出版、オンラインのウェブ・ドキュメンタリーなど、さまざまな形で記録をまとめ、このユニークな写真資料と収集した元軍人が話す音声を組み合わせる――。これが私の仕事です。

 現在暮らすオランダでは、素晴らしい制作会社の協力を得て、オランダの公共ラジオ向けに2本立てのラジオ・ドキュメンタリーを制作することができました。私が米国メリーランド州にある国立公文書記録管理局に赴き、祖父の他の写真がアーカイブにあるのか、それと比較してどうなのかを見に行くという内容です。また、米国の硫黄島帰還兵の同窓会にも参加し、戦時中の話を聞くことができましたし、祖父の写真記録に対するコメントもいただきました。5名の米軍帰還兵のポートレート写真も撮らせていただきました。昨年は展覧会もオランダで開催されました。

 私のプロジェクトはまだまだ続きます。

マリアン・イングレビー(Marianne Ingleby)
1980年、英国ケンブリッジ生まれ。米軍の上等兵ブルース・エルクス(Bruce Elkus)の孫。オランダのユートレ人大学で米国学を学び、修士を修めた。アムステルダムの写真アカデミー学校を卒業。オランダの『メトロ・デイリー』新聞や通信社CNBC欧州のテレビジャーナリストとして働く。2021年、オランダ国内のベストフォトグラファー賞にノミネート。アムステルダム在住。祖父の写真をモチーフにした作品集『ディタッチメント作戦 Operation Detachment』に現在取り組んでいる。

瀬川牧子/ジャーナリスト

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