鳩山由紀夫元首相「ウクライナの努力が足りない」橋下徹氏「一般市民は逃げよ」に欠けている視点

鳩山由紀夫元首相「ウクライナの努力が足りない」橋下徹氏「一般市民は逃げよ」に欠けている視点

"侵略された側も責任"主張も

■「侵略された側にも責任」という人たち


 ウクライナへのロシアの侵攻は許されない暴挙である、というのは西側諸国のみならず、国連においても大勢を占めている見方なのだが、一部にはウクライナにも責任がある、という主張をする人も存在している。

 鳩山由紀夫元首相は、ゼレンスキー大統領について「なぜ彼はロシアの侵攻を止める外交努力をしなかったのか。」とツイート(3月23日)。まるで「外交努力」が足りないから侵略されたのだと言わんばかりの発言である。鈴木宗男参議院議員も、似たような主張をメディア等で展開している。ウクライナにも責任あり、という主張である。

 また、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏も、ウクライナを侵略の被害者だとは捉えていないようだ。ゼレンスキー大統領について「所詮紛争の一方当事者」だと断じたうえで、日本の国会で演説させるなど「とんでもないよー!」とツイッターで発信をしていた(3月17日)。鳥越氏にとっては、ロシアもウクライナもどっちもどっち、ということなのだろうか。こうしたスタンスは、鈴木宗男氏に近いといえるかもしれない。

 この種の「喧嘩両成敗」的な意見は、かなり少数派であり、人々の共感を得るには至っていない。侵略を受けて「自衛」のために戦っているウクライナと、一方的に侵略をしているロシアとを同列に論じることには無理があるというのは常識的な認識だろう。

■異彩を放つ橋下徹


 この問題について、彼ら以上に積極的にメディアに登場し、独自のスタンスを貫いたコメントを発信し続けた結果、多くの批判を浴びているのが橋下徹元大阪市長だ。

 橋下氏は、侵攻後早い段階から、一般市民に被害が及ぶことを強く懸念し、被害を小さくするためには早期の妥結、あるいはウクライナの譲歩やむなし、ということを主張してきた。

 一方で橋下氏への批判として代表的なものとしては、

「譲歩するというのは、実質的にウクライナという国をなくすのと同じ。プーチンを利すると次にまた同じことをやる」

「下手な妥結、譲歩をすると、結局ロシアがウクライナに留まり、市民を虐殺する可能性がある」

「ウクライナ国民が戦う意思を示しているのに、勝手に外野で批判するな」

 といった意見が挙げられる。

 こうした批判を浴びながらも、橋下氏の「一般市民」第一という主張は変わっていない。

 3月27日には、次のようなツイートを発信している。

「反ロシア派は粛清されるかもしれないが一般市民は助かる可能性がある。ウクライナ政府は正確な情報を市民に伝える責任がある。沖縄戦時、捕虜や投降すれば辱めを受けるとして自死した沖縄県民のような悲劇を繰り返してはならない。ロシア内で避難できるのか否かウクライナ発以外の情報での確認が必要」

■降伏推奨のテリー伊藤氏


 要するに「反ロシア派」ではない「一般市民」は場合によってはロシアに避難することも検討すべきだ、ということである。こうした主張もまた、過去のロシアの蛮行などを知る人たちからは「甘い」という批判を受けているようだ。

 目下、橋下氏と似たスタンスだと受け止められているのが、テリー伊藤氏である。出演したラジオ番組では、ウクライナ人に対して早期降伏を呼び掛けるような発言をして、物議を醸した。ウクライナはこの戦争に負けると断定したうえで、勝ち目の無い戦いを継続してしまうと、プーチンによって「無駄死に」させられる、というのがテリー氏の主張である(3月14日放送・ニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー」)。


■「一般市民」と「戦闘員」の違いは


 おそらく彼らは、市民の生命を大切にしたいと考えているのだろう。ただ、そのために提案する方法や、それぞれの個人的な思いなどが、かなり専門家や一般の常識とは異なるために、批判を浴びやすくなっているようだ。

 橋下氏の主張に戻せば、彼が大切に思う「一般市民」と「戦闘員」との区別をどうするのか、という点は一つの論点となりそうだ。

 日本人の多くは、有事の際に戦うのは自衛隊であり、その他の国民は一般市民だと考えている。この線引きはとてもわかりやすい。

「いざという時は一般市民である私も国のために戦う」という考え方は、日本国内では時代錯誤的に受け止められることが珍しくない。橋下氏のように「一般市民は逃げろ」という主張も、こうした認識がベースにあるのかもしれない。

 しかし、それは世界的に見た場合には、必ずしも常識ではない。子供や高齢者はさておいて、性別や普段の職業を問わず、いざという時には何らかの形で祖国防衛に尽力する、という考えは浸透している。だからこそウクライナの多くの市民たちは、「国を守るために私も戦う」という立場を表明しているのだ。

 公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学教授は著書『日本人はなぜ自虐的になったのか』の中で、日本人とスイス国民の国防意識を比較しながら解説をしている。日本との違いがよくわかる該当箇所を抜粋して引用してみよう。

 ***

 もちろん戦争は絶対に避けるべきです。誰もこれには異論がないでしょう。しかし、「戦争はみな悪なのか。どんな戦争もいけないのか」はよく考えなければいけません。

 戦争には大きくわけて侵略戦争と防衛戦争があります。しかし、私の経験では、「戦争反対」と言っている人々は、この区別があることすら意識していないようなのです。

 戦争や戦力を絶対悪のように見なす考えが正しいとすると自分たちの生命と財産を侵略者から守る防衛戦争も悪であり、それをしてはならないことになります。また、敵対する国が戦争を仕掛けてこないよう抑止するための戦力を持ってもいけないことになります。日本では、メディアも国民もこれが正しく当たり前のことだと思っています。世界から見るとこれはきわめて異常です。

 永世中立国としてよく知られる、そして私が住んだことのあるスイスを例に取りましょう。スイス人の銃所持率はアメリカに勝るとも劣りません。なぜそんなに高いのかというと、いつでも銃を取って自衛戦争に参加できるようにするためです。

 観光地などで、休日に元軍人たちがパレードを行ったり、演説をして気炎を上げたりしているのをよく見かけます。「スイスは永世中立国なのになぜあなたたちがこのように、目立つところでパレードをしたり集会を開いたりするのか」と聞くと「いつでも戦争に参加できるように仲間同士コミュニケーションを取ったり士気を保つためだ。そして何より、こうしていることを外国人に見てもらうためだ」と言います。つまり、いつでも国を守るために立ち上がる心の準備をしておくことと、その気構えを外国人に知ってもらうために、彼らは休日も集まっているのです。

 また、スイスではよく列車の中で軍服を着た兵士の集団を見かけます。民間人が乗る列車ではなく、軍用車両で移動すればいいのにと思うのですが、スイスとしては軍服を着た兵士が常に国中を移動していることを外国人に見せたいのです。

 また、スイスのパンはまずいといわれます(フランスやドイツなどと比べての話でしょう。私はまずいとは思いませんでした)。その理由は新しい穀物は備蓄に回し、古くなったものをパンにするからです。自衛戦争ともなれば、スイスのような小国で食糧不足は致命的ですから、備蓄しなければなりません。これも自衛のための措置です。

 さらには、アルプスの山奥で重機を使って軍事施設を造っているのを見かけることがたまにあります。この平和な時代、いまさらそのような施設を造ってどうするのかと思いますが、スイス人は「常に侵略戦争を想定して、防衛上重要な拠点だと思えば造り続ける。また、それを外国人に見せることは侵略の抑止になる」と言います。

 感心するのは、「今は平和で、戦争の可能性なんかないのだから、こんな労力と犠牲を払うのはやめよう」などと彼らがみじんも思わないことです。

 スイス人が戦争を抑止するために払う努力と犠牲には頭が下がります。彼らは陸続きの小国ゆえに日本人以上に戦争を嫌い、平和を愛し、その尊さを知っています。しかし、その考え方、することは日本人と真逆です。彼らは「戦争を防ぐために戦争の準備を怠ってはならない」と考え、そのように行動します。

 日本人は、平和を祈り、戦争を嫌悪しますが、自衛力の強化には熱心ではありません。むしろ、戦力を持たないことによって、平和が保てると信じています。「戦争はしたくないので、戦争には備えない」という考えかたです。


■戦争から逃げた国はどうなったか


 これがいかに非現実的か、そして危険かは、かつて戦場となったヨーロッパや現在の中東の国々を見ればわかります。これらの国々は戦争をしたくてしたのではありません。十分な抑止力がなかったために戦争に巻き込まれてしまったのです。

 たとえばノルウェーとべルギーは第2次世界大戦で中立でしたがドイツの侵攻を受けました。とくにべルギーはフランスへの進撃ルートにあったので戦場となってしまったのです。第1次世界大戦のときもそうでした。

 オランダは、第1次大戦のとき総動員体制を取り続けたのでドイツの侵攻を免れました。第2次世界大戦ではロッテルダムが壊滅するまで抵抗しました。このため、再び抵抗されることを恐れたドイツは、ポーランドやチェコでしたような圧制は行いませんでした。

 近年でいえばクウェートがイラクの侵略を招いてしまったのは十分な国防力を持たなかったからです。

 歴史を振り返ると、戦争準備を怠った国ほど戦争に巻き込まれ、ひどい目に遭っています。どうぞインターネットなどで確かめてみてください。

 そうしたことを知っている世界の多くの国の人々は、平和を祈り、戦争を嫌っていますが、自衛戦争もいけない、それも悪であるなどとは思っていません。自衛力を強化することをタブー視するどころか、敵国が付け入ることがないよう、戦争の抑止になるよう、できるだけ強力な軍事力を手に入れたいと思っています。それが「普通の国」なのです。

 では、スイスを含めたこれらの国々と日本とはどこが違っているのでしょう。なぜ、日本は歴史に学ばないのでしょうか。それは、「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」があるか、ないかの違いなのではないでしょうか。


■自衛しない日本をアメリカは守ってくれない


 日本はロシア、北朝鮮、中国に囲まれています。どの国も核兵器を持ち、ミサイルは日本の重要都市を容易に標的にできます。彼らが一発でも核ミサイルを撃てば、数千万人以上の犠牲者が出て日本は壊滅します。そのあとで、仮にアメリカが反撃したとしても、日本人にとっては「あとの祭り」です。

 ロシアとは北方領土問題、中国とは尖閣諸島の問題を抱えています。北朝鮮ではないものの、韓国とは竹島の問題を抱えています。紛争の種に事欠きません。安全ではないどころかきわめて危険な状態にあります。平和が保たれてきたのは歴史上稀な強運のおかげです。

 日本にはアメリカ軍が駐留していますが、彼らが日本の自衛隊とともに戦うためには議会の承認が必要です。アメリカの議会ですので、日本のではなく、アメリカの国益を第一に考えます。大統領もこの点では同じです。つまり、どんな場合でも日本を助けるということではないのです。

 核戦争となれば、なおさらそうです。果たして、ニューヨークやシカゴやロサンゼルスを犠牲にする覚悟で、日本を守るために核兵器を使う決断を議会および大統領はするでしょうか。アメリカの立場に立って考えてみればわかることです。

 私の複数のアメリカの友人は彼らの本音をこう言います。

「アメリカの軍事力は、アメリカ国民の血税で作られ、維持されている。アメリカ国民の一部も動員されている。アメリカとその国民を守るのが目的だ。核兵器も大陸間弾道弾もそのために持っている。同盟国は大切だが、アメリカが多大の犠牲を払ってまで同盟国とその国民のために使うとなぜ日本人は思うのか。核兵器を使わないまでも、日本を守るためにどうしてアメリカ兵が血を流さなければならないのか。しかも、日本人は自分の国を守るために自ら戦おうとしないというではないか」

 たしかに、私がアメリカ人だったら、日本人に同じことを言うでしょう。

 日本人はもはや「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」を胸にかき抱き、外国の情報機関にコントロールされているマスメディアの報道を鵜呑みにし、「戦争はどんな戦争も悪である」と信じ、ひたすら言葉だけで平和を唱えているわけにはいきません。戦争を抑止し、回避するために、そろそろ必要とされる歴史リテラシーと軍事リテラシーを身に付け、日本を「普通の国」にすべきだと思います。

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 戦前の「一億玉砕」のようなスローガンが幅を利かせるのを願う日本人は少ないだろう。が、一方で「侵略されたら早く降伏しよう」という国民が多ければ多いほど、侵略する側にとっては好都合なのも忘れてはならない。

デイリー新潮編集部

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