悠仁さま、“疑惑の作文”を再提出 入選取り消しなら「高校合格が揺らぎかねない」

悠仁さまが無断引用を指摘された作文を再提出 二重の違反を犯しているとの指摘も

記事まとめ

  • 悠仁さまの作文が『第12回子どもノンフィクション文学賞』で佳作に選ばれた
  • この作文に対し、無断引用が指摘されており、悠仁さまは修正して再提出した
  • しかし、『応募したあとの訂正は受けつけません』と明記されており、二重の違反らしい

悠仁さま、“疑惑の作文”を再提出 入選取り消しなら「高校合格が揺らぎかねない」

 将来のお世継ぎである秋篠宮家の悠仁さまが、今月9日、高校の入学式を迎えられた。進学に際して一般受験生とは異なる制度を用いられたことから「皇室特権」との指摘もなされてきたのだが、宮内庁の不手際で、またしても“好ましからざる状況”の生じる懸念が……。

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 長引くコロナ禍にあって、天皇陛下や皇族方のお出ましは依然、制約を余儀なくされている。オンライン上でのご公務こそ増えているものの、国民の前にお姿を現して直に触れ合われる機会は、めっきり減ってしまった。

 そんな中、皇室の将来につながる節目の慶事が執り行われた。9日には、悠仁さまが筑波大附属高校へと入学され、新生活の抱負を述べられたのである。

「戦後、皇族が学習院以外の高校へ進まれるのは初めてです。紺色のスーツにストライプのネクタイをお召しになった悠仁さまは、朝8時頃にお一人で登校され、校内で記者会の取材に応じられました。筑附高は私服通学で、“新しい制服はいかがですか”と尋ねた記者には笑顔で“スーツなんですけど”と、身振りを交えて応じられ、“行事など学校生活も楽しみにしたい”とも述べておられました」(宮内庁担当記者)

■春休み中は作文の“見直し作業”も


 晴れの入学式に先立ち、高校からはすでに各教科の課題が出されているといい、先の記者は、

「春休み中は、お住まいの宮邸の庭で栽培されている春野菜のお世話をなさりながら、こうした課題に取り組んでこられました」

 そう話すのだが、もう一つ、大事な作業が進行していた。

「2月に行われた一般入試では、悠仁さまも他の受験生と一緒に試験に臨まれました。その直後、悠仁さまが中2の夏休みの課題で応募されて佳作に入選された作文に、他の著作物からの無断引用が発覚しました。実は春休み中は、この作文の“見直し作業”にも追われていたのです」(同)

 件の作文とは、2017年に紀子妃と旅行された際の思い出をつづられた「小笠原諸島を訪ねて」。昨年春には北九州市立文学館主催の「第12回子どもノンフィクション文学賞」で、大賞に次ぐ佳作に選ばれている。

■〈応募したあとの訂正は受けつけません〉


「秋篠宮家をお支えする皇嗣職のトップである加地隆治・皇嗣職大夫は、悠仁さまが修正された作文を北九州市に送付した旨、入学式前日の8日の会見で明かしました」

 とは、先の記者。

「これまで指摘されてきたのは、ガイドブックや研究機関のサイトからの無断引用でしたが、大夫によれば新たに注釈をつけたり文末に参考文献として加えたりといった修正はしたものの、本文は手を加えていないとのことでした」

 かねて記者会から修正作業の進捗状況を問われていた加地大夫は、

「修正版は“(文学館の)ホームページに掲載されることになると聞いている”として、具体的に何カ所を追記したのかは明かしませんでした。記者が“なぜ言えないのか”と問うても、“掲載をお待ちください”と言うばかり。まるで、あとは主催者側の判断に任せるといった“丸投げ”のようにも映りました」(同)

 が、そもそもこの賞の「応募の注意」には、

〈他人の文章を勝手に使ってはいけません。使う場合は(中略)どこから用いたかも必ず書いてください〉

 そう明記されており、さらには、

〈応募したあとの訂正は受けつけません〉

 ともある。すなわち今回、悠仁さまの作文をめぐる動きは、二重の違反を犯したことになるのだ。

■“皇室特権”との批判を招く可能性


“不具合”が発覚した当時、主催者である北九州市立文学館は本誌(「週刊新潮」)の取材に、

「特に問題はないと考えております」

 と、実に苦しい返答をしていたのだが、宮内庁から責任を押し付けられた格好となった今回、あらためて聞くと、

「結論としては“元のまま”から“受賞取り消し”までいろいろ考えられますが、まだ何も決まっていません」

 としながら、

「修正された作文が届いたばかりで、市としては選考委員の方とも相談して対応を進めています。宮内庁からは『応募取り下げ』などのお申し出はありません。ただ、応募概要にも明記している通り、作品の訂正にはどんな場合でも応じていません。その点も含めて協議していくつもりです」

 本来、2度にわたってルールに抵触すれば「即アウト」となるところだが、そこは一般の中学生とは大いに異なる。あるいはここにも「特例」が、といった疑念を禁じ得ないのだが、

「こうしたケースは前例がないのですが、皇族の方だからと特別に扱うことはありません。個別の案件として判断し、何らかの形で結果は公表いたします」(同)

 そう明言するのだ。さる皇室ジャーナリストが言う。

「皇嗣職大夫の言い方だと、まるで主催者側に“忖度(そんたく)しなさい”と、賞の取り消しをしないよう無言の要請をしているかに受け取れます。作文は応募の時点で明らかにルールに反し、その上で禁止されている“訂正”までしているわけです。これで何の処分もなく、佳作に入選のままとなれば、再び“皇室特権”との批判を招きかねません」


■「合格自体が揺らぎかねない」


 さらには、

「悠仁さまの将来にも、決してよろしくないでしょう。宮内庁がすべきは訂正版を送ることではなく“今回はルールに反しましたので応募を取り下げましょう”と、あえて悠仁さまに諫言することです。それを避けてしまえば、悠仁さまが失敗を受け止めて糧とされ、成長なさる機会を奪ってしまうことにもなります」

 とはいえ、受賞が取り消しとなれば、別の問題が生じてくるという。

「そもそも悠仁さまが提携校進学制度を活用なさる際、作文が入選したという実績が書類選考での判断材料の一つとなったのは間違いない。とすると、もし入選が取り消された場合、選考の結果が変わる可能性が出てしまう。つまり、合格自体が揺らぎかねないのです」(同)


■日程調整の不備


 悠仁さまの筑附高進学にあたっては、秋篠宮さまより紀子妃のご意向が強く働いたとされる。が、都内屈指の進学校を経て3年後の東大入学を念頭に置かれているという紀子妃の強いご意思は、時として軋轢をも生みかねない。さる宮内庁関係者が言う。

「3月24日、西村泰彦長官が定例会見で“私のミス”と、異例の発言をしました。というのも、その1週間前に行われた愛子さまの成年会見が、ちょうど悠仁さまの中学卒業式と重なってしまった。“会見を調整する段階で、卒業式のことが頭に思い浮かばなかった”“いろいろ報道を踏まえても、別の日がよかったと個人的には思う”など、日程調整が不十分だったことをトップ自ら認めたのです」

 卒業式はずらせないものの、成年会見は同じ日である必要はなく、変更は可能だったはず。

 実際に同日に催されると、

「卒業式は午前中、成年会見は午後と“完全重複”はなかったものの、同じタイミングで報じられたことで大きな差がついてしまった。愛子さまの会見が素晴らしかったこともあり、各社もっぱら愛子さまを大きく、悠仁さまのご卒業は比較的、小さな扱いとなってしまいました」


■連携が不十分


 その要因として、天皇家のお世話をする侍従職と皇嗣職との連携が不十分だったことが挙げられるといい、

「庁内には、長官の発言を額面通り受け取る者はいません。警視総監や内閣危機管理監などを歴任した人が“うっかりミス”などするはずがないのです。ただし、結果的には、悠仁さまの門出をきっかけに世間の風向きを変えようとしていた秋篠宮家の出鼻をくじく格好となってしまった。とりわけ、この日を待ち望んでいた紀子さまは憤まんやるかたないご様子だったと伺っています」(同)

 そうした紀子妃のご心中を察するかのように、組織のトップたる長官が「不始末」を一身に背負い込む形で収めたというのだ。当の西村長官に尋ねると、

「何もお答えすることはありません」

 と言うのみ。皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授が言う。

「この一件は、天皇家と秋篠宮家とのコミュニケーション不全の象徴ともいえます。日程を決める上では、やはり天皇家のご予定が優先されるべきだと思いますが、卒業式についてはずっと前から決まっていたはずなので、同じ日を避けたければ事前に秋篠宮家の側から天皇家に調整をお願いするのが筋でしょう」

 ただし、

「秋篠宮家には、あるいは男子不在の皇室の危機を救ったことへの自信やプライドのようなものがおありで、それが天皇家へのお願いをためらわせたのかもしれません。本来ならば、いずれもおめでたい話として国民に受け入れられたはず。それが、この二つの行事が比較されてうんぬんといった事態になったのは日程の重複だけではありません。眞子さんと小室圭さんの問題をはじめ、秋篠宮家にネガティブなイメージが付きまとってしまっていることが、そもそもの問題ではないでしょうか」(同)

「週刊新潮」2022年4月21日号 掲載

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