専門家の本音は「コロナ万歳」だった? SNSの「いいね」に嬉しそうな人々(古市憲寿)

 人が立場から自由になることは難しい。どれほど客観的かつ冷静であることを装った意見にも、立場というものは透けてしまう。

 わかりやすい例は、この2年間の新型コロナウイルスに対する態度だ。たとえば感染拡大当初から、コロナとの共存を訴えてきた知識人には大学に所属していない人が多かった。東浩紀さん、三浦瑠麗さん、與那覇潤さんといった具合だ。

 一方で大学から給与をもらう教員からは、例外はあるものの、総じて「緊急事態宣言を出せ、社会を止めろ」という意見が聞こえてきた。彼らは理屈を並べて、いかにコロナが危険かを説いた。だが心の底に「緊急事態宣言を出してもらえば講義がリモートになる。その方が楽でいい」という気持ちはなかったか。

 もちろん大学教員だけではない。多くのサラリーマンにとって、「給料はそのまま。出社せずに家で仕事ができる」という勤務形態は魅力的だ。通勤ラッシュにも遭わず、部屋着のまま、嫌な上司の視線も気にせず仕事ができる。

 日本の就業者のうち8割以上がサラリーマン(役員ではない雇用者)だ。自営業者は1割にも満たない。

 そして高齢者も多く、65歳以上人口は3600万人を超える。高齢者は、コロナの流行で直ちに年金が減るわけではない。感染した場合のリスクも統計上高い。

 このようにサラリーマンと高齢者が多い日本社会では、どうしても「社会を止めろ」という声が大きくなりやすい。自分の懐が大して痛まず、失うものが少ない人にとって、「社会を止めろ」というのは短期的には合理的な意見だからだ。

 立場から自由になれないのは感染症の専門家も同じである。全ての専門家がそうだとは言わないが、慣れないメディア出演で、明らかに興奮状態にあった医師は一人や二人ではない。SNS上でも、コロナ前とは桁違いのフォロワー増加や「いいね」の数に、嬉しそうな専門家が目立った。

 もちろん彼らも馬鹿ではないから、一応は冷静に振る舞う。うそでも人前では「コロナ万歳」などとは言わない。だが本音や、無意識のレベルではどうだったか。世間からの注目は、魔物である。ちなみにこっそりと「コロナ様々(さまさま)です」と本音を伝えてくれた専門家もいる。

 短期的な合理性と長期的な合理性は違う。いつまでも社会を止めておくことはできない。無限に借金はできない。コロナ予算は2020年度だけで77兆円に達した。「いくらでもお金を刷ればいい」「国債は返さなくてもいい」と言う人がいるが、それならなぜ世界中の国家がそうしないのか。

 イギリスやスウェーデンのように、コロナ前と同じ風景が戻った社会がある一方で、中国ではゼロコロナ政策にほころびが見え始めている。既感染者が少なく、自国製ワクチンの効果が限定的であり、極度に人口が密集した都市部では、難しい舵取りを迫られている。もうコロナに対する「答え」は見えているように思うのだが、これもまた立場に制約された意見なのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2022年4月28日号 掲載

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