ヤクザの辞め方は2パターンある カタギになった、それぞれの辛すぎる人生とは?

暴力団から離脱した人を待つ辛すぎる人生 自室の電気も点けない極貧生活も

記事まとめ

  • 暴力団の辞め方は2種類あり、自らの意思で辞めるか、辞めるしかなかったかだという
  • 辞めた後の現実は厳しく、村八分的な差別を受けて自殺した元暴力団員もいる
  • 生活保護の申請を躊躇し、夜も自室の電気を点けない極貧生活を続ける元暴力団員もいる

ヤクザの辞め方は2パターンある カタギになった、それぞれの辛すぎる人生とは?

ヤクザの辞め方は2パターンある カタギになった、それぞれの辛すぎる人生とは?

元暴力団員のその後は――

 法改正や諸条例の整備によって、昨今の暴力団が、まさに公共の敵とばかりに、社会的締め出しを受けていることはよく知られている話。生活苦で暴力団から離脱する者も年々増加中だ。そして、暴力団員を辞めてカタギになった人たちのその後の人生とは、いかがなものか?

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 その前に、暴力団員の辞め方について整理したい。2019年には、暴力団から離脱しようとした人が、組員たちから組織的な強要や暴行といった離脱妨害を受けたとして事件化した。

 ひと昔前なら、「断指」や「多額な金銭の支払い」が離脱の条件(ペナルティー)にされることもめずらしくなかった。

 高齢の組長クラスの中には「引退」という辞め方もあるが、これは後進に道を譲る勇退の意味合いもあるので、ここで言うところの離脱行為には含まない。

 なんにせよ、暴力団を辞めることは簡単ではない。ゆえに、現実的な離脱方法としては、俗に「飛ぶ」と呼ばれる、急に音信不通になって姿を隠してしまうケースも多い。

 しかし時として、自らは組員で居続けたいのに、除籍や破門や絶縁という処罰によって、仕方なく組を辞めざるをえない者もいる。

 その原因はさまざまだが、要約的に言えば、組の約束事に違反すると処罰を受けて、組から追い払われてしまう。また、自分が服役中に所属していた暴力団が当局の摘発や資金ショート等で消滅してしまい、帰る処を失って半ば自動的にカタギになってしまった元暴力団員もいる。


■自らの意思で辞めたケース


 このように、暴力団からの離脱には大きく区分けして2種類あり、自らの意思で暴力団を辞めた前者もいれば、自らの意思とは逆に組からの処罰や組の消滅等によって辞めるしかなかった後者もいる。

 この二者の違いは、暴力団を辞めた後のそれぞれの人生にも、いくらかの相違を生じさせるのだろうか?

 所謂、自分の意思で辞めた者は、それなりのペナルティーを清算しようとも、自作自演の行方不明状態で組から飛んだにせよ、この者が暴力団から離脱した時点では、人生を再出発するうえでかなりのマイナス要因を抱えていることは言うまでもない。

 まず、殆どの者が、それまで住んでいた町では暮らせずに、他所に移住する羽目になっている。逃亡行為ともいえる「飛んだ連中」なら尚更だ。

 自分のことを誰も知らない町に行って再起を図ると言えば、ややドラマティックな雰囲気も漂うが、現実はもっと厳しい。

 暴力団員としての生活に疲れたAさんは、暴力団員の離脱に関する公的な相談窓口である全国暴力追放運動推進センター(通称・都道府県暴追センター)に相談するが、「辞める理由をいちいち質問された」ことにやり難さを感じたそうである。


■暴追センターは「捕虜の尋問」


 辞める理由を細かく話すことは、組の内部事情を細かくバラすことと同じであり、ハッキリ言って、言い難い話のオンパレードなので、やり難くてしょうがなかったそうである。Aさんは、昔、戦争映画で観た「捕虜が何でもしゃべらされる屈辱的なシーン」を思い出して嫌になったそうである。

 次に、離脱後に最も重要になる「仕事の紹介」については、Aさんが考えていたよりもはるかに限定的で、それは各都道府県によって多少の差はあるが、暴追センターがそれぞれ案内できる再就職先企業は、大体20社前後が平均的だった。

 業種で言えば、その範囲はもっと狭まる。暴力団を取り締まる規制は充実しているが、暴力団からの離脱サポートはまだ不充分だという印象になってしまうのが今の日本社会の現実なのである。

 結局、Aさんは暴追センターに頼らずに、更生を目指して、音信不通の手口を用いて所属していた暴力団から飛んだ。

 Aさんは、離脱を意識した時点から貯め込んだ資金で、暴力団員時代に知り得た職業知識を活かして、新たに移住した見知らぬ町で飲食店を開業した。


■村八分の辛さ


 その町の人々からすれば、自分たちと縁もゆかりもない人間が開いた新店に客として入るほどの好奇心もなく、むしろ正体不明の薄気味悪い新店として近寄ることもなく、「店主は元暴力団員なんじゃないか? 関わらないほうがいい」という態度だった。

 今の日本社会で人生の再起を図ることは、いろいろな意味で決して簡単ではない。そもそもAさんは、暴力団員時代に犯罪行為を重ねて資金を貯めたタイプだが、その道もまた決して簡単ではなかった。

 物事の善悪はともかく、この資金は間違いなく命がけで作った資金だった。そして、暴力団から離脱する際も、決して楽ではなかった。言ってみれば、命がけで離脱したような状況だった。そして、やっとの思いで自分の店を出店した。これもまた言ってみれば、命がけで出店したようなものだった。

 ここまでの長い期間、Aさんは気持ちが休まる日がなかっただろう。そしてAさんのことを待ち受けていたのは、日本の地方社会に根強く残る村八分的な差別だった。

 Aさんのことを正体不明な怪しい人物と見なして警戒する町の人々の気持ちも分からなくもないが、Aさんにとってカタギとしての再出発が村八分のマトというのは、かなり心苦しい状況だっただろう。

 そしてAさんは、半年もしないうちに店を閉業するほかなかった。出店に積極的で暴力団員時代から連れ添ってくれた妻とは、この時点で離婚することになった。

 この一連の出来事によって精神のバランスを崩したAさんは、鬱病を患ってしまい、その翌年に自殺した。

 ある町では、言葉が通じない外国人労働者より元暴力団員のほうが、社会的に嫌われる傾向が強い。そんな状況下に置かれたAさんのことを、更生の意志が弱い人物だとは決して思えない。


■“強制カタギ”のケース


 自らの意思とは逆に、処罰や組の消滅等によってカタギになるしかなかった者の大きな問題点は、「そもそも辞めるつもりがなかったので、離脱後のカタギとしての人生設計がまったくない」ことである。

 だから、この手の人たちの中には、別名を使用したり、他所に行って別の暴力団に再所属して暴力団員に復帰するケースも多い。

 10代の頃から渡世入りして60歳も過ぎれば、暴力団員としての生き方しか知らず、どんなに苦しくても、もう暴力団で行くしかないと考えてしまうのも分からなくもない。


■暴力団離脱難民


 しかし、別の暴力団に復帰できる縁もなく、言わば、急に一般社会に放り出されてしまった元暴力団員たちがいるのも事実で、安居楽業とは程遠い人生を辿るしかない者たちも多い。

 彼らの辛さは、繰り返すが「カタギとしての人生設計がなかった」という一語にすべてが集約されてしまう。

 組への会費滞納と覚醒剤事件での逮捕が重なって懲役刑となった暴力団幹部のBさんは、服役とほぼ同時に、所属していた組から一方的に破門処分にされて、カタギにされ、約5年間の刑務所暮らしを終えて、六十歳を過ぎて、社会復帰することになった。

 約5年間の刑務所時代に、カタギとしての人生設計をいろいろと模索したそうだが、そもそもカタギでやっていくつもりがなかったBさんとしては、いろいろ考えても、これといったプランは浮かばず、また、一般社会から遮断された塀の中での暮らしでは、それこそまともな社会復帰プランも立てられず、出所後は、完全なる暴力団離脱難民として、無職の日々を過ごしていた。


■暴追センターの“盲点”


 やがて生活に困ったBさんは暴追センターを頼ろうとしたが、実は暴追センターは「現役の組員で離脱を希望する者が対象(暴力団員専用)」であって、組からの処罰や組の消滅等によって「既に離脱した者は対象外(暴力団離脱難民には非対応)」だった。

 Bさんの場合は、逮捕勾留中に所属していた暴力団から一方的に破門処分にされて、半ば強制的にカタギにされてしまい、そのまま約5年間の懲役送りになったので、他の暴力団に再所属するチャンスもなかった。

 また、出所したばかりのBさんは、感覚的にはカタギになりたてのホヤホヤだ。だが、既にカタギにされてしまっているので、暴追センターに相談できる枠からも結果的に外されてしまい、Bさんはどうにもならない状況に陥った。

 2022年2月、警察庁は金融庁に対して、以前から方々で議論され続けていた、離脱後も5年間は組員とみなす「元暴5年条項」の中の銀行口座開設の部分を緩和する指示を出し、暴力団員の更生と社会復帰を促す狙いを示した。

 だが、そこには暴追センター経由で再就職した者に限るという条件が存在しているため、暴追センターを利用できないBさんのような暴力団離脱難民には何の影響もなければ、何のサポートにもならない。


■信じられない極貧生活


 Bさんを少なからず支援している知人から生活保護の申請を提案されたが、「元暴力団員の自分が保護申請をしたら、反社扱いにされて、何かの罪になって逮捕されてしまうんじゃないか?」とBさんは迷っている。

 本来なら誰でも生活保護を受ける権利はあるはずだが、実務的には、当局からの通達により保護申請が却下されてしまう場合も多く、Bさんが迷ってしまうのも頷けるところである。

 元暴力団員に対しては、たとえ日本国憲法が許しても、さまざまな書類上や社内規定によって、暴力団関係者として扱われることも多く、それが実務に反映して、もう既に暴力団から離脱している人であっても、反社会的勢力に対する規制の中に閉じ込められてしまうケースが多い。

 そのせいで、いらぬ苦労を被っている元暴力団員たちに対して、「自業自得だ」とサディスティックに言い捨てる人々もいるが、もっと現実を直視してみると、未熟な社会システムがBさんのような暴力団離脱難民を生み出している。そしてBさんは、冷暖房はおろか、夜でも自室の電気を点けずに暮らすという節約を超えた極貧生活を続けている。


■“ムチ”だけで“アメ”はなし


 暴力団から離脱しても、まともな生活どころか生き地獄のような生活しか営めないことが容易く予想された場合、現役の暴力団員たちはいったい何を思うのだろうか?

 日本政府は、安価な労働力を狙ってか、日本への外国人入国者に対してさまざまな優遇処置を施して、言わばおいしいアメを彼らに見せつけているが、暴力団を離脱したい人に対しては、辞めにくい印象を持たせるばかりで、アメを一切チラつかせることもしない。

 ひょっとしたら日本政府は、暴力団を残したいのだろうか? もしくは、他に何か別の狙いでもあるのだろうか?

藤原良(ふじわら・りょう)
週刊誌や月刊誌等で、マンガ原作やアウトロー記事を多数執筆。万物斉同の精神で取材や執筆にあたり、主にアウトロー分野のライターとして定評がある。2020年に『山口組対山口組』(太田出版)を上梓。

デイリー新潮編集部

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