「秋篠宮家はまったく関係ない」 秋篠宮さまが初めて告白した「小室問題」の全容

江森敬治氏が秋篠宮さまと面談を重ねて『秋篠宮』刊行 秋篠宮さまは苦悩を告白

記事まとめ

  • 江森敬治氏が37回にわたり秋篠宮さまと面談を重ね、今月11日に『秋篠宮』を刊行した
  • 秋篠宮さまは『小室問題』への苦悩を告白しており、前代未聞の書だという
  • また、同書には秋篠宮さまが「一番問題なのは、宮内庁でした」と批判する箇所もある

「秋篠宮家はまったく関係ない」 秋篠宮さまが初めて告白した「小室問題」の全容

 平成の終盤から御代替わりを挟み、令和の今なお皇室を揺るがす「小室問題」。その間、騒動の只中にあったご当主は、ひそかに懊悩を明かされていた――。秋篠宮さまと30年以上の親交があるジャーナリスト・江森敬治氏の近著では、その肉声が克明につづられている。

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 捲土重来を期して臨んだ司法試験で、またも不合格となってしまった小室圭さん。7月には「再々挑戦」を迎えるが、眞子さんと仲睦まじくマンハッタンを歩き回る姿からは、次回の結果も案じられるところだ。

 小室夫妻が入籍したのは昨年の10月下旬。その日、秋篠宮さまは、

〈皇室としては類例を見ない結婚〉

〈ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ち〉

 と、異例の「ご感想」を公表なさっている。そして、こうした事態へと至るまでの間、秋篠宮さまは人知れず、苦しいご心中を吐露されていた。その相手は、元毎日新聞編集委員でジャーナリストの江森敬治氏。今月11日刊行の『秋篠宮』(小学館)では、この5年間で37回にわたり秋篠宮さまと面談を重ねた江森氏によって、新局面が次々展開される「小室問題」に揺れ動かれる秋篠宮さまのご真情が記されている。皇位継承順位1位たる皇嗣が、自らの苦悩をありのまま口にされているのだから、まさしく前代未聞の書である。

■「反対する理由はありません」


 小室さんの名が世間に知れ渡ったのは2017年5月、NHKの「眞子さま同級生とご婚約へ」との報道が発端だった。秋篠宮さまに信頼され、それまでもしばしば宮邸で対面していた江森氏は同年6月、婚約報道後に初めてお住まいを訪ねている。その箇所を、本書から引用すると、

〈私は眞子内親王の婚約内定への祝意を伝えるために「このたびはおめでとうございます」と、注意深く挨拶した。なぜ注意深くしたのかといえば、秋篠宮が眞子内親王の相手男性に対して不満を抱いているかもしれないと思ったからだ。男性へのバッシングが既に始まっていた。しかし、私の予想は外れて、彼(注・秋篠宮さま)はにこやかだった〉

 すでに小室さんの父親の自死などが報じられており、江森氏が単刀直入に「結婚に反対なさったことは?」と尋ねると、

〈彼は、「反対する理由はありません」ときっぱり答えた。その理由として彼は憲法二十四条(注・「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」する)を持ち出した〉

■「いまのお仕事が定職ですよ」


 秋篠宮さまは20年11月のお誕生日会見で、二人の結婚を認めつつ、この条文に言及されているのだが、当初から「容認」の根拠となさっていたわけである。

 さらに、小室さんに対して〈漠然とした違和感〉を抱いていた江森氏が“定職に就いていない”といった報道を念頭に、年収300万円ともいわれるパラリーガルのまま婚約しようとする点を尋ねると、

〈秋篠宮は定職について確認しようとする私を不思議そうに見ながら、「いまのお仕事が定職ですよ」とだけ、さらっと答えた。(中略)相手の男性の職業について、こだわりがないように見えた。彼は、相手男性が「パラリーガルのままでもよいですよ」と続けた〉

〈年収や生活面についても(中略)都心は家賃が高いので近県に賃貸マンションを探し(中略)工夫しながら「二人が身の丈にあった生活をすればよいのではないでしょうか」と率直に語っていた〉


■調査の依頼はなさっていない


 ご存知の通り、いま二人が住むのは世界一物価が高いマンハッタンである。

 長らく秋篠宮家を見続けてきた江森氏が“眞子さんのお相手には、父親のような学者タイプがふさわしいと思っていた、だから少し驚いた”などと感想を述べると、秋篠宮さまは、再び憲法を持ち出され〈当人たちに任せるしかない〉と仰ったというのだ。

 これまでたびたび指摘され、小室問題の“根源”ともされてきた秋篠宮家の「放任教育」「自主性重視」といった家風が存分に体現されているご発言だが、ともあれこの日、一抹の不安を胸に江森氏は宮邸を辞している。

 続けて、ひと月後の17年7月の面談で、江森氏はこう尋ねている。

〈今回は相手の男性の家庭状況など事前に調べたりされましたか?〉

 これに秋篠宮さまは、「うーん」と唸られた後、役所に調査の依頼はなさっていないとし、週刊誌などで報じられている内容は把握できなかったと認められた上で、

〈「個人情報がいろいろとうるさい時代なので、家庭状況などを調査すること自体に問題があります」と小さな声で言った〉

 とはいえ、ことは皇室の内親王のご結婚である。「一般人の感覚」を大切になさりたかったのだとすれば、その“代償”はあまりに大きかったと言わざるを得ない。


■驚愕のお言葉


 17年9月には二人の婚約内定会見が行われ、納采の儀や結婚式の日程も決まった。が、同年暮れに「週刊女性」が小室さんの母親の金銭トラブルを報じると状況は一変。18年2月には宮内庁が“結婚を2年後に延期”と発表するに至る。

 その直後、江森氏は宮邸を訪問。秋篠宮さまから〈延期は眞子内親王から提案された〉と聞かされ、〈(小室さんから)金銭トラブルについて説明したいという申し出があったが、秋篠宮は娘から聞くので結構だと断っていた〉とも記している。そして、延期に安堵していた江森氏は直後、再び驚かされることになる。

〈私はズバッと聞いてみた。(中略)正直なところ、お父さまとしてもホッとされましたか?(中略)彼から意外な答えが返ってきた。「二人はそれでも結婚しますよ」驚きのあまり、思わず私は口を開けてしまった。今回の発表は結婚の再検討ではなく、結婚準備に時間が必要なため、延期を決めただけだという。だから、本人たちの結婚の意志は変わらない。二〇二〇年に二人は結婚すると彼は平然と言った。私の頭は混乱した〉

 あるいはこの時、秋篠宮さまは「トラブルの早期解決」という淡い期待を抱かれていたのかもしれない。今にしてみれば“幻想”でしかなかったのだが……。


■「秋篠宮家は全く関係ない」


 それでも18年4月には、秋篠宮さまに変化がうかがえたという。訪問した江森氏に、

〈突然、「これだけ週刊誌でいろいろと書かれているのだから――」と雄弁に語り始めた。こうなったら小室家側がきちんと説明しなくてはいけない。週刊誌で書かれている金銭トラブルは全て、小室家の話だ。秋篠宮家は、まったく関係ない。だから、きちんと国民に対して説明するように本人に話してある……。彼はこのように語った。(中略)聞けば、秋篠宮は宮邸で小室圭と会って、金銭トラブルの解決、そして国民への説明を求めたという〉

 が、アクションを起こされた秋篠宮さまに、小室さんは不穏な動きを見せる。同年5月、GW明けの宮邸で〈その後、進展は〉と尋ねる江森氏に秋篠宮さまは、

〈「うーん」と少し考えた後、答えづらそうにポツリポツリと話し始めた。(中略)小室圭は海外で勉強を続けたいと希望しているという。私は、「小室氏に将来、海外留学の意向があるのだなあ」と軽く受け止めていた〉


■警備費用も俎上に


 ところが、

〈突然、秋篠宮は、ボソッとつぶやくようにこう言った。「どうするのだろうと思って……」その瞬間、私はカミナリに打たれたような衝撃を覚えた。(中略)小室の海外留学は、将来におけるものではなく、今すぐに実現しようとしているのだ。「一八年夏にも」と秋篠宮は続けた〉

〈海外留学するのなら、婚約内定期間はさらに長引くだろう。秋篠宮は小室親子の警備費用のことも懸念しているようだった。婚約内定が発表されて以降、警察は小室親子の自宅を厳重にガードしていた。もちろん原資は、国民の税金である。彼は小室圭に、警備のありようについても検討するよう伝えたという。しかし、小室の反応は鈍かった〉

〈秋篠宮の要望に何ら対応せず、海外に留学してしまう小室の突飛な行動に驚いた。「レットイットビーですね」私は、思わず口にしていた。(中略)秋篠宮は私の言葉には反応せず、冷めた表情を浮かべていた〉


■放任主義教育の帰結


 21年4月には、小室さんがA4・28枚からなる「小室文書」を公表。が、金銭トラブルでは、双方の認識の間に大きな“乖離”があることが判明した。

 江森氏本人が振り返る。

「小室さんは19年1月にも『金銭トラブルは解決済みだと理解してきた』とする1枚の文書を公表しています。私はその直後、秋篠宮さまとお会いして『眞子さまのお気持ちは変わりませんか』と尋ねたのですが、浮かぬ表情でじっと黙っておられた。そして、昨年春の小室文書についても『なぜこういうものが出てくるのでしょうか。多くの国民が、あれを読んですぐに納得できるはずもありません』という趣旨の発言をされていました。落胆が、はっきりとうかがえたのです」

 一方で、「文書」の作成に大きく関与した眞子さんのお振る舞いには、疑問を呈されることはなかったという。

「複雑性PTSDというご症状もあり、秋篠宮さまとしても踏み込んでお話ができなかったのでしょう。ただ、このトラブルの最中、父娘の間で満足なコミュニケーションがとれていないことは、秋篠宮さまからたびたび伺っていました」(同)

 眞子さんの意思を尊重し、その姿勢を貫かれた秋篠宮さま。反面、“放任主義教育の帰結”とはいえ、皇嗣というお立場で皇室の儀式を経ずに長女を送り出された事実は痛恨の極みだったに違いない。


■消極的だった宮内庁


 ところで同書には、秋篠宮さまが宮内庁を痛烈に批判なさる箇所がある。18年11月、お誕生日に際しての会見で“大嘗祭は身の丈にあった儀式に”“宮内庁長官は聞く耳を持たなかった”などと発言され、物議を醸したことがあった。江森氏が真意を尋ねたところ、

〈一度、きちんと発言すべきだと思っていました〉

 と、宮内庁の「結論ありきの姿勢」に不満を漏らされたという。さらに最近も、

〈一番問題なのは、宮内庁でした。(中略)大嘗祭は国事行為ではなく、皇室の行事です。すなわち、皇室行事を行う宮内庁がきちんと考えなかったことが問題です。『聞く耳を持たなかった』とはそのことを指しています。最初から考えるつもりもなかったのでしょう〉

 そう口にされていたというのだ。江森氏によれば、

「大嘗祭は公費でなく天皇家の私費である内廷費用でまかなうべきだとのお考えは確固としてありましたが、これとは別に眞子さんの結婚問題については、宮内庁へのご不満は聞いたことがありません。秋篠宮さまは“あくまで家の問題であり、自分たちで解決しなければ”と考えておられたのです」

 ただし、

「危機管理という点で宮内庁は違ったアプローチができたのではないでしょうか。いかに秋篠宮さまが“自分たちの問題だから”とお考えだったにせよ、長官をはじめ、もっと積極的に問題解決に介入すべきだったと思います」(同)

 会見以外の場で、秋篠宮さまにかくも赤裸々にご胸中を吐露されてしまった宮内庁。「衝撃の新刊」を、彼らはどのように受け止めるのだろうか。

「週刊新潮」2022年5月19日号 掲載

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