56年前の「自白」音声テープを供述心理学の第一人者が読み解く【袴田事件と世界一の姉】

56年前の「自白」音声テープを供述心理学の第一人者が読み解く【袴田事件と世界一の姉】

浜田氏の講演で挨拶する袴田ひで子さん(2021年4月17日、撮影・粟野仁雄)

 1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺人放火事件で犯人とされ、死刑囚として半世紀近く囚われた袴田巖さん(86)の「世紀の冤罪」を問う連載「袴田事件と世界一の姉」の第18回。弟の自白の報を聞いた時、姉のひで子さんは何を思ったか。さらに、56年前の巖さんの「自白」を音声テープから供述心理学の第一人者が「嘘」を読み解く。【粟野仁雄/ジャーナリスト】


■自供に安堵する捜査員ら


 勾留限切れ間際の1966年9月6日、ついに巖さんは「自白」した。まず当時の報道を見よう。

《◆喜びにわく本部 続々、ねぎらいの電話

 袴田の自供は、先月十八日の逮捕からちょうど二十日目。最近にない凶悪事件だっただけに、七十人の捜査員が交代で寝泊りしていた横砂公会堂の捜査本部は、事件発生から六十九日目に、はじめて明るいふんい気に包まれていた。逮捕したものの、犯行否認でさらに難航していただけに、捜査員は、この日ばかりは“肩の荷がおりた”といった表情。

 夜になってテレビで袴田の自供を知った警察関係者からは、労をねぎらう電話が鳴り続け、応対に大わらわ。また、清水署員は「迷宮入りにならなくてすみそうだ」とうれしさを隠しきれなかった。
 (中略)

◆社長の通夜の席に 橋本さん宅に新たな涙

「袴田犯行の一部を自供」というニュースがテレビで流れた午後六時三十分ごろ、四人が殺された藤雄さん宅は事件当時のまま閉ざされていたが、約五十メートル離れた隠居部屋では、同日午前五時三十分、脳出血で死んだ藤作社長の通夜が行なわれていた。

 木造二階建ての隠居部屋には、あいつぐ悲報でかけつけた親類、工場関係者二十人がつめかけていたが、テレビをみながら「やっと自供した」と、新たな涙にむせんでいた。
 (中略)

 藤作さんが死んで祖母さよさん(六一)と二人きりになった長女昌子さん(一九)は「祖父が死ぬ前に自供してほしかった。それにしても死んだ人はもう帰ってきません」とうつむいたまま。また寝たきりだったさよさんもいたたまれずに、病床から起き上がり「七人家族が二人きりになってしまって……」と語っていた。

◆「無実信じていたが」 実家の兄姉、悲痛な表情

 袴田の実家では、姉ひで子さん(三三)や兄茂治さん(三八)らが、テレビのニュースで巌の一部自供を知り、興奮したおももちで、弁護士依頼の件などを相談しあっていたが、ひで子さんは「これまでの巌の態度などから無実を信じていましたが、本人がやったといったのなら、そうなのでしょう。これ以上はなにもいえません」と悲痛な表情で語っていた。なお、父庄一さん(六三)は中風で寝たきりで、母ともさん(六三)も、事件後ふさぎがちだといわれる。》(読売新聞9月7日朝刊)


■揺らがなかった「信じた無実」


 紙面からは、ひで子さんが「弟は何か理由があって殺人をやってしまったのか」と思ったかのようにも受け止められる。だが、そうではない。

 当時の心情について、改めて電話で伺った。ひで子さんは「逮捕の後は新聞もニュースも見なかったけど、自白したというのはニュースで見た気がします。すぐに新聞記者が飛んできた。兄がいなかったので私が応対しました。自白していると記者が言うから『それならそうなのでしょう』と言っただけですよ。報道は全く信用していませんでしたから」と話した。

 巖さんが人殺しなどするはずがないという家族の信念は全く不変だった。

「巖が自白しているところを私たちが見たわけでもありません。新聞とかテレビが伝えているだけ。私たちは二俣事件とかを知っていますから、静岡県警はそんなこと(冤罪を作り出すこと)をするところだと思っていましたよ。ただ記者には余計なことは言わないと決め、『それならそうなのでしょう』という意味で言っただけですよ」と振り返った。要するに記事中の「そうなのでしょう」は、「お好きなようにお書きください」との意味で応対しただけのことだった。

「優しい性格の巖が自分を可愛がってくれていた専務を殺すはずなどない」という考えは、微塵も揺らいではいなかった。記事から受ける印象との乖離に改めて考えさせられる。仲の良かった姉と弟とはいえ、十数年離れて暮らしていたので「自分が知らない何かがあったのか」と思っても不思議はない。ひで子さんは冤罪被害者の支援集会などでよく「家族が信じなくてどうするんですか」と口にするが、実際は容易ではないはず。有名な冤罪事件でも家族が見放してしまうケースが多い中、弟を信じ続ける姉ら家族たちの絆には感動すら覚える。


■証拠排除された供述調書が無実を語る


 2015年、つまり巖さん釈放の翌年、警察・検察の取調べの一部を記録した47時間の録音テープの存在が判明し、証拠開示された。弁護団の依頼でこれを分析したのが、供述心理学の第一人者、浜田寿美男・奈良女子大名誉教授だった。

 まず、テープの一部を紹介する(以下、松本久次郎は警部、岩本広夫は警部補、松本義男は巡査部長)。

◆1966年8月18日昼(早朝に任意同行されたこの日の夜 逮捕)
袴田:それじゃ、俺がやったって誰が言うの?
松本(久):うん?
袴田:俺がやったって誰が言うの?
松本(久):という。誰が(不明)。
袴田:あんたがただけじゃないの。
岩本:証拠があるな。
松本(久):今言ったようにな、証拠が言うじゃないか。俺が言わなくっても、証拠が言ってるよ。パジャマが言ってるよ。
袴田:そんなもん、あるもんか。
 (中略)
袴田:まあ、あんたがたね、本当にすごい自信をもって言ってるけどね。
岩本:うん、うん。
袴田:じゃあ犯人、ほかに犯人あがったら、どうする?
岩本:うん、他に犯人あがったら、ないよ、あがりっこない。
袴田:上がるだろう、必ずあがる、必ずあがるだろう、必ずあがる。

◆8月28日夜
松本(久):血液だな、血液がついてたら、うん。
袴田:僕の。
松本(久):うん。
袴田:首を。
松本(久):うん。
袴田:やります。
松本(久):うん。
 (中略)
松本(久):な、男だろ? それ(鑑定書)に書いてあれば、な? お前さんの負け、書いてなけれや俺の負けだ。ええか、じゃ、書いてあるか、ないか、(不明)見せるから。いいか? その時に、やっぱり、袴田、女々しいいこと言うなよ。ここに書いてあれば。
袴田:はい。

◆9月4日深夜(自白2日前)
松本(久):お? あ? おまえさんはリングに上がって、な、あの勝ち名乗りを受けた時の気持ちになりなさい。お? な。お前も男じゃないか。(中略)お前、遠州男児やろ?
 (中略)
袴田:すいません。小便行きたいんですけど。
松本:小便は行きゃええがさ。やるからな。小便行くから。な。その間にイエスかノーか、話してみなさいっていうじゃないか。
(中略)
岩本:警部さん、トイレ行ってきますから。
松本:べ、便器もらってきて。ここでやらせばいいから。
(筆者注:便器はいわゆる「おまる」。警察官は取調室内で排尿させ、録音テープにははっきりと排尿の音が聞こえる)

◆9月6日午前(自白時の録音はなく、自白直後)
岩本:(中略)その甚吉触ったこと思い出してみ。おまえさん、な、甚吉触ったことを思い出す。(不明)な。
(筆者注:「甚吉袋」とは腰からぶら下げる分厚く大きな布製の袋。会社の集金した現金が入っていたが、工場と被害者宅の裏口の線路のそばに落ちていた)
袴田:手拭い。
岩本:うん?
袴田:確かにあった。
岩本:(中略)甚吉の袋をさ、それも話せにゃだめだ。
袴田:奥さんが。
岩本:奥さんが、そう……。お?
 (中略)
袴田:持ってきた覚えない。

◆同日夜
岩本:ああ、そうか、じゃ「甚吉」って言葉、どこで覚えた。
袴田:ええまあ(不明)、甚吉、甚吉って。
袴田:えーっとね、そんな硬いもんじゃなかったですね。こうやってたから。
岩本:違うだろ。大きい袋の中に金が入ってただな。袋が?
 (中略)
岩本:今、全部こう、4人ともうご、動かなくなったんだな。
袴田:ええ。
岩本:うん、それから裏木戸行ってどうした?
袴田:あそこけ破って表へ出たです。
岩本:裏の、裏んとこの木戸をけ破って裏に出てそれからどうした?
袴田:(不明)考えた。考えたです。
岩本:どこで考えた?
袴田:裏でたとこです。
 (中略)
岩本:(不明)次にどうした。
袴田:油に火つけたです。


■事件を犯人として体験していないことが明らか


 浜田氏が「真犯人ならありえない供述」と分析したA4版400ページの鑑定書分析の鑑定書を弁護団が東京高裁に提出したが、大島隆明裁判長は、自分の結論に沿うように「つまみぐいした」かのようだと批判し、証拠採用しなかった。昨年5月に兵庫県伊丹市で行った浜田氏へのインタビューを一部再現する。

――一審の静岡地裁は供述調書45通(警察28 検察17)中、44通を「任意性がない」と証拠排除し、吉村英三検察官の調書1通だけを採用して有罪にしました。排除はまっとうに思えますが。

浜田:地裁は自白調書を全部排除したら有罪判決が書けないので、1通だけ残した。吉村検事は「警察と検察庁は違うのだから警察の調べに対して述べたことにはこだわらなくていいと言った」と公判証言していますが、自白した後の検事取調べの録音テープは全くない。それに検事取調べもまた清水署で相前後して行われており、警察の調べが影響していないはずはないし、実際、自白内容を見れば明らかに相互影響関係がある。白紙から取調べたように言うのは真っ赤な嘘で、偽証だ。

 排除はまっとうに見えるし、司法手続き上も問題はない。しかし排除された自白調書を分析すれば、袴田さんがこの事件を犯人として体験していないことが明らか。私はこれを「無知の暴露」と呼びますが、残念ながらこの自白調書が証拠排除されれば、検討対象にならなかった。

――松本久次郎警部と岩本広夫警部補らが巖さんを自白させた9月6日まで20日間の取調べは、冷房のない部屋で1日平均12時間以上に及ぶ過酷さです。

浜田:この時点での「証拠」は「犯行時に着ていたとされるパジャマに他人の血がわずかについていた」という点だけ。科警研の鑑定では「血痕が微量過ぎて鑑定不可能」というもの。逮捕当時、袴田さんは元気で「それじゃ、俺がやったって誰が言うの? あんたがただけじゃないの」などと言い返した。松本らは「パジャマに血がついている」と、あの手この手で攻める。「リングに上がって、な、あの勝ち名乗りを受けた時の気持ちになりなさい」「な、男だろ、それ(鑑定書)に書いてあれば、な? お前さんの負け、書いてなけりゃ俺の負けだ」などと言い、刑事らは鑑識課員作成の鑑定書を手に「パジャマに他人の血がついていなければ俺の首をやる。逆に他人の血がついていればお前の首を取る」という奇妙な賭け事にした。屈しない袴田さんに「もうな、謝罪しなさい。な、袴田、やってしまった以上、しょうがない」。岩本は「あれだ。(聴取不明)自分の頭の中、整理しといて……」としつこい。袴田さんはほとんど語らない。岩本は「な。袴田や、間違いないな。なぜ迷うの、女々しい」などと畳みかける。

――取調官は袴田さんを騙しているのでしょうか?

浜田:彼らに騙しているつもりはない。しかし、自白後の供述は矛盾だらけなのに、それを変だと思わない。自白では犯行時にパジャマを着ていたはずなのに、裁判が始まると翌年には5点の衣類が「味噌樽から見つかった」とされ、犯行時着衣がこの5点の衣類に変更され、判決でも確定した。当初の取調官はまるでお門違いの「犯行時着衣」を前提に袴田さんを自白に落としたわけで「おかしいな、この男、やってないんじゃないか」と思って当然なのに、確定判決はその疑問に目をつむる。取調官たちは「袴田は無実かもしれない」とは寸分も考えない。

 9月4日、取調18日目の深夜、松本警部補は袴田さんをトイレに行かせず、トイレを部屋に持ちこむ音も聞こえる。9月5日は取調19日目。「袴田泣いてみろ、ほら、すっとするぞ」「申し訳なかったと。俺は聞きたいよ」「わかったか、袴田。わかるな、袴田、わかるか、わかるな、言ってることわかるな……」などと説教が朝から深夜まで延々と続く。


■調書の順番を入れ替える


――なぜか袴田さんが自白に落ちた瞬間の音声が残っていませんね。

浜田:9月6日午前10時10分に自白したことになっている。後に公判で巡査部長(松本義男)が「こぶしを作って顔を上げてぽろぽろと涙を流して、申し訳ありません。私がやりましたと言った」と証言しているが、録音にはその場面がない。すぐに署にいた松本警部が呼ばれて彼が調べて2通の自白調書を取ったというが、その音もない。その日の録音は、2通の自白調書作成後、11時4分から。そこで松本は作成した自白調書の内容を取り上げて、凶器とされたクリ小刀について「(奥さんが)そんなものよこすわけねえもん」などと追及するが、袴田さんは答えない。松本は「刃物を買ってきたなら『買ってきた』でええじゃない」と言う。すでに捜査陣は製造元から沼津市の販売店を割り出し、ここで購入していたのではないかと考えていた。

 こんな場面もある。「な、よくその甚吉触ったこと思い出してみ。お前さん、な。甚吉触ったことを思い出す。な」

 しかし、袴田さんは甚吉袋そのものを知らない。取調官は法廷で、この日、昼食を食べさせたと証言したが、嘘で房に戻さず調べを続けていた。留置場の出入り簿も偽造されていたことも録音から判明する。調書はこの日に6通作られたが、午後から3通作った岩本は順番を入れ替えて裁判所に出していることが録音でわかる。実際は、最初の2通の自白調書の矛盾を追及してクリ小刀の入手方法を訂正し、金の隠し場所の話を調書に取った後、午後3時頃から動機から始まる全体の流れを長文の調書に取っているのだが、それでは不自然。そこで順番を逆にし、まるで真犯人が犯行の全体を語ってから、そのあとで自白の一部を訂正したかのように偽装したこともわかった。基本的に袴田さんは事件のことを知らない。

「無知の暴露」はあちこちにある。現場の出入り口とされた裏木戸なども袴田さんは「蹴破って表へ出たです」などと言うが、蹴ったくらいで開くはずもない頑丈な木戸だ。


■死刑になることを覚悟して自白したのか


――犯行動機が大きく変わっていますね。

浜田:最初の自白は専務夫人と肉体関係があって、夫人から「家を建て替えたいので強盗放火に見せかけて」と頼まれたというもの。しかし、奥さんとの共犯ならなぜ殺すのか。そこで松本警部が「それじゃ、姉さん、おまえ、殺さんでもええじゃないか」と言うと、巌さんは「かあーっとしちゃったんです」とだけ答える。松本もおかしいと感じているが、矛盾をただの記憶違いでしかないようにごまかす。翌日の自白では、夫人との肉体関係がばれて専務と話し合いに行ったとなる。3日目の自白では、夫人との肉体関係を否定し、母親と幼い子供と暮らすアパート代目当ての強盗に入り、専務に見つかって殺したとなった。真犯人なら全面自白後に動機をころころ変える必要もないはず。おかしいと思わないほうが不思議なのに、取調官は袴田さんが無実かもしれないと考えない。袴田さんが無実なら取調官も実際の犯行のことは知らないわけで、要は本当のことを知らない者同士が「この事件はどんな事件だったのだろう」と想像し合っているようなもの。空虚なやり取りから自白調書が作られる。日替わりで変遷する自白調書からそれがはっきりわかる。ところが静岡地裁は、自白4日目に作られた検事調書1通だけ採用したため、問題にすべき自白転落、自白展開の過程を検討する機会を自ら手放してしまった。

――「死刑になるかもしれないのに自白するはずない」との先入観は国民には強いです。

浜田:1960年代には、拷問に耐えられなくての虚偽自白はほとんどない。死刑になりかねない殺人事件で無実の人が虚偽自白してしまう事実が明確になったのが足利事件。菅家利和さんは「取り調べ中、刑罰のことなど全然考えなかった」と語っていた。真犯人は自分がなぜ捕まえられて調べられているかを熟知していて、「この先どうなるのか」と考え、死刑を実感をもって恐れますが、濡れ衣で捕まった人は実感がなく、死刑なんて考えもしない。自白した途端にその場で絞首されるのなら、誰も嘘で自白しないでしょうが、実際にやっていない人には刑罰の実感がない。無実の人はわけもわからずに逮捕されて密室に閉じ込められ、訊かれるのは見当もつかないことばかり。何を言っても聞いてくれず次第に無力感を覚え、やがてそれに耐えられなくなる。「どう答えればこの場を逃れられるか」といいう心境に陥り、虚偽自白して「真犯人を演じる」ようになるのだ。

 分析の詳細は浜田寿美男・著『袴田事件の謎 取調べ録音テープが語る事実』(岩波書店)を参照されたい。


■大学に通うのが日課


 さて6月6日、電話先のひで子さんは「今日はね、美容院に行ってきたんですよ」と朗らか。見られないのが残念。「巖はとても元気ですよ。最近は、学校(大学)に行くのが日課になってしまって、見守り隊の人の車が来るのを楽しみにして待って、静岡大学とか私大とかに行ってくるんですよ。校門の守衛さんなんかとも馴染みになってしまったみたいで『今日は遅かったですね』なんて言われたりしているそうです」と笑った。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

関連記事(外部サイト)