スイーツ芸人も絶賛!“映える”と大人気のフルーツパーラー「果実園」 背中にボルト2本を埋め込んだ77歳社長の経営哲学

スイーツ芸人も絶賛!“映える”と大人気のフルーツパーラー「果実園」 背中にボルト2本を埋め込んだ77歳社長の経営哲学

桃をまるごと約4個使った一番人気の「桃パフェ」(公式Instagramより)

 若い世代を中心に“インスタ映え”すると人気のフルーツパーラーを運営する『果実園』。芸能界屈指の“スイーツラヴァ―”として知られる、人気の女性お笑いトリオ「ぼる塾」の田辺智加が今春、「2022年に絶対流行るスイーツ」として、同店のフルーツパフェを紹介したことで注目度がさらに上昇。しかし、そんなお洒落で流行りのパーラー経営者の“波乱に満ちた”素顔はほとんど知られていない。

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 現在、東京や神奈川など首都圏を中心に、直営・フランチャイズを合わせ13店舗を展開する「果実園」は1991年に目黒で開業。旬のフルーツをふんだんに取り入れた煌びやかなパフェやフルーツサンドは当時から話題を集めた。

 同園の創業者こそ、御年77歳になる長嶺卓社長である。

「いまも朝5時に起きて、6時頃には大田区の中央卸市場に行って、トラック7〜8台分のフルーツを私自身ですべて選んでいます。果実園を開く前から果物店で働いていたので、フルーツの仕入れはもう50年以上やっている計算になります。そのため仲卸会社などとの信頼関係も深まり、いまでは市場のほうで“果実園がいま欲しい果物はコレ”と分かってくれるまでになりました。良いフルーツが自然と集まる環境が整っていることが当社の強みです」

 と話すのは、当の長嶺氏だ。市場でみずから仕入れを行ったあとは店舗を回って、旬のフルーツの扱いやケース内の陳列などを確認して回る毎日を送っているという。

「フルーツはその日その日で産地が変わり、また天気次第で味も変わってきます。だから美味しいフルーツをいち早くお客様に提供するために急遽、メニューを変えなければならないこともある。ウチの商品の“主役”はどこまでいってもフルーツ。昔はフルーツといえば、高級品で“高嶺の花”といったイメージがありましたが、その垣根を少しでも取り払い、お客様にとってもっと身近なものにしたかった。当社のモットーは<リッチでヘルシーでリーズナブル>な商品の提供です」(長嶺氏)


■朝4時から夜9時まで働く日々


 その原点は開業直後に目にした、忘れられない光景にあるという。

「果実園を始めて間もない頃、銀座の有名なフルーツパーラー店で知人と待ち合わせたことがありました。すると近くの席にいた母娘がフルーツパフェをひとつだけ注文して、お母さんはフォークも手に取らず、娘さんに食べさせていた。おそらく大学の入学式か何かで地方から出てきた親子だったと思います。2人で分け合うほどの分量もない小さなパフェにもかかわらず、値段は3000円近くしたため、もうひとつ注文する余裕がなかったのかもしれません」(長嶺氏)

 その時、“こんな高いパフェを出していたらダメだ。出すならもっと安くて満足感のあるものにしないと――”と強く思ったという。

 果実園のいまの一番人気のメニューは桃をまるごと3.5〜4個使った「桃パフェ」。完食するとお腹がいっぱいになる女性客も少なくないボリュームだ。

「開業して数年間は私自身、朝4時から夜9時まで働き通しの毎日でした。でも不思議なことに、全然苦じゃなかった。当時は厨房に入って自分でパフェもつくっていたので、味付けやフルーツのカット法などに試行錯誤しました。ですから果実園のパフェは他店のモノマネでなく、すべてオリジナルです」(長嶺氏)


■背骨に胸骨、肋骨4本を折る


 傘寿に手が届こうかという年齢ながら、いまも第一線で働く長嶺氏は3年前、背中にボルトを2本埋め込む大手術を受けた。

「社員の研修センターと保養所を兼ねた施設をつくるため、千葉県勝浦市の山中に4000坪近くの土地を買ったのです。土地の整備のため、木の伐採をみずからやっていたところ、近くに立っていた杉の木が倒れてきて下敷きになってしまった。けれど、その瞬間は痛みもなく、徐々に意識が薄れていくなか“人間、死ぬ時はこんなものか。ラクだな”と思ったのを覚えています」(長嶺氏)

 ドクターヘリで県内の病院に救急搬送され、背骨と胸骨に加え、肋骨も4本折れていたことが判明。結局、3か月間、入院することになるが、医師からは「退院しても車椅子の生活になる」と宣告されたという。

「車椅子が手放せなくなれば、“もう市場に行けないな”と思い、一念発起。夜中に病室でスクワットのトレーニングを始めることにしたのです。といっても、最初はベッドに両手を付きながら30回程度が限界でした。でも毎日続けていると、退院間近には300回までできるようになりました(笑)」(長嶺氏)


■“おひとりさま”は健康の秘訣


 退院後もしばらくは歩行に杖は欠かせなかったが、いまでは杖もほとんど不要なほど回復したという。10代の頃からボクシングや空手の練習に励んでいたことが“貯金”となり、「この時に蓄えた体力が救ってくれた」と考えているそうだ。

 昨年10月、長嶺氏は長年連れ添った妻を亡くしている。因果関係は不明だが、2回目となる新型コロナワクチンを接種した後、体調を崩したという。以来、お手伝いさんやヘルパーを呼ぶこともなく、“おひとりさま”生活を送っている。

「食事や掃除など、妻が生きていた頃は彼女に任せきりだった家事も、いまは自分でこなす毎日です。独り身の生活は楽しくはないけど、自分で考えなければならないことが増えるので、物忘れをしなくなりました。“おひとりさま”は健康の秘訣と考えるようにしています」(長嶺氏)

 体が動くうちは「ずっと仕事を続けていたい」と話す長嶺氏だが、最愛の妻と死別した際も、日々の仕事と生活に追われ、心にポッカリと穴が空く余裕もなかったと語る。

「本音は死ぬまで仕事をしていたいですが、それが無理なことも承知しています。だから後進に道を譲ることを考えて、その準備もしているところ。ただし、私が一線から退いても“流行は追わない”や“お客様に失望や貧しさは与えない”といった果実園イズムは継承されますので、ご安心ください」

デイリー新潮編集部

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