「安倍元首相銃撃」に続き「昭恵夫人がSP車で事故」… 要人の鉄道移動を考える

「安倍元首相銃撃」に続き「昭恵夫人がSP車で事故」… 要人の鉄道移動を考える

首相を退任するにあたり、官邸で最後の記者会見をする安倍晋三氏(撮影:小川裕夫)

 参院選中の7月8日、安倍晋三元首相が大和西大寺駅前で街頭演説中に銃撃されて死去するというニュースが日本全国に衝撃を与えた。奈良県警の責任のみならず、警察庁長官の進退問題にも発展する重大なミスだが、警察の失態はそれだけで終わらなかった。

 7月25日、夫人・安倍昭恵さんが乗車していた車が後続の警護車両に追突される事件が発生。昭恵さんに怪我はなかったようだが、銃撃事件の記憶が新しいタイミングだっただけに、警察の不備や怠慢に対して非難が飛び交った。

 安倍元首相の銃撃事件により、首相や閣僚の身辺警護をどうするのか? といった問題が注目されている。これは決して新しい問題ではない。要人が移動する際にセキュリティをどう確保するのか? といった問題については、以前から議論されてきた。しかし、近年は自作で銃器を製造できるようになった。それに対応して、要人警護も変えなければならない。

 街頭演説のような不特定多数の群衆が集まる場が危険と隣り合わせであることは言うまでもないが、要人の移動も危険を伴う。特に、不特定多数の人が利用する鉄道での移動は、事件・事故に遭うリスクは高い。


■首相に専用列車はない


 要人が鉄道を利用することは、戦前期まで決して珍しいことではなかった。一方、列車は発車時刻が決まっているうえに、駅で乗降車するから襲撃犯は待ち伏せをしやすい。実際、原敬と濱口雄幸といった現職首相が、東京駅で白昼堂々と暗殺されるという事件も起きている。それでも当時の政治家は、不特定多数の人と乗り合わせる鉄道を利用するしか手段がなかった。

 最後の元老として政界に隠然たる影響力を有した西園寺公望は、晩年を静岡県の興津で過ごした。西園寺は興津駅から東海道本線に乗ってたびたび上京している。

 3度も内閣を組織した近衛文麿は、全国各地に別邸を構えている。そのうちのひとつである軽井沢の別邸と東京との行き来は、上野駅から列車を使っている。

 西園寺も近衛も長距離移動だから鉄道を利用するのは理解できるが、米内光政にいたっては首相退任後に自動車を使わずに市電で移動していた。車内で一般市民から声をかけられることもあったという。

 戦後、自動車が普及すると要人の移動は自動車使用が主流になっていく。自動車移動は時間に縛られにくくスケジュールを組みやすいというメリットもあったが、それ以上にセキュリティの問題から自動車の導入が促された。

 7月25日のような自動車事故は、実は年に数回のペースで起きている。実際、安倍首相(当時)がニコニコ超会議を視察する際に接触事故が起きたこともある。こうした前例もあるので自動車が絶対に安全とは言い切れないが、それでも身辺警護の面から見て鉄道より安全性を確保しやすい。

 しかし、自動車は中長距離の移動に向かない。新幹線をはじめとする鉄道で移動する方が所要時間も短く済み、要人の身体的・精神的な負担は少ない。

 現職の首相といえども、新幹線一編成を丸ごと貸し切ることはできない。天皇皇后両陛下にはお召し列車と呼ばれる専用列車があるが、首相に専用列車はない。首相・元首相などの要人はグリーン車を利用するのが一般的だが、それでも一般乗客との混乗は避けられない。

 新幹線の乗車時、首相の座席前後2列は秘書やSPなどが座って警護にあたる。それでも同じ車両に一般乗客が乗り合わせる。約3メートルの距離に、要人が座っていることになる。

 鉄道150年の歴史において、要人が車内で襲撃された記録は一度もない。それでも鉄道車内で一般人を対象にした生命を脅かす事件はたびたび起きている。近年の事件だけを抜き出しても、2018年に東海道新幹線車内で死者1名を出す殺傷事件が起き、政府や鉄道事業者が安全・治安を強化する対策に乗り出すことになった。

 政府が治安対策に乗り出した後も、鉄道車内での凶行は止まっていない。昨年8月には小田急線車内で、10月には京王線車内で無差別の凶行が起きている。幸いなことに、小田急・京王の両事件で死者は出なかったが、鉄道車内の安全が脅かされた事件だった。

 要人を警護するSPやそばにいる秘書にとって、安全とはわかっていても車中で気は抜けない。不測の事態に備えるのが、本来ならSPの仕事だからだ。

 それでも、諸外国と比べて日本の鉄道の治安がいいことは間違いない。日本の鉄道が治安面から安全である理由をひとつに求めることは難しいが、その要因のひとつとしては鉄道警察隊の存在があげられる。


■鉄道警察隊の役割


 鉄道警察隊は、1923年に一部の鉄道職員に警察権が付与されたことに端を発する。1950年には、国鉄用地内での痴漢・すり・置き引き・立入禁止箇所への無断忍び込み・機器の盗難に対応する職員のための鉄道公安職員法が制定された。同法により、映画やテレビドラマでもお馴染みの通称・鉄道公安官が主要駅に配置された。

 鉄道公安職員は国鉄に籍を置きながらも、小型の武器を所持することが認められていた。通常時は警棒だが、VIPの警護や現金輸送といった特別なケースでは拳銃を所持することも許されていた。そうした点にも国鉄に強い公共性が含まれていたことが窺える。

 分割民営化されてJRが発足すると、民間企業の職員に拳銃所持を認められるはずもなく、鉄道の治安を守る役目は各都道府県警の鉄道警察隊に引き継がれる。

 鉄道公安職員を源流とする鉄道警察隊は、あくまでも列車内や駅構内といった鉄道関連施設の治安維持が主目的。彼らの任務は駅構内での雑踏警備、列車内警乗と呼ばれる類のもので、要人警護を担当することはない。

 とはいえ、雑踏警備を疎かにすることはできない。雑踏警備は多くの人が集まる場所での人員整理や交通誘導・案内などをすることで未然に事件・事故を防止する役割を担っているからだ。雑踏警備を怠れば、要人を警護することもままならなくなる。実際、大和西大寺駅前の街頭演説では容疑者の接近を制止できず、その間隙を突かれた。

 街頭演説において、雑踏警備を担うのは基本的に政治家本人の事務所や後援会、所属する政党のスタッフたちになる。首相・元首相・現職閣僚といった大物政治家が演説する際には、警察から人員が派遣される。大和西大寺駅で安倍元首相が演説した際にも、雑踏警備を担当するために警察官が派遣されていた。

 一方、首相や元首相、閣僚などの要人警護は警視庁警備部警護課の職員が担当する。いわゆるSPと呼ばれる警察職員だが、SPは移動中だろうと演説中だろうと要人に張りつき、ひたすら不審者に目を光らせる。

 筆者は15年にわたって政治の現場を取材してきた。15年の間に、首相・元首相の街頭演説に100回以上は足を運び、現場を仕切るSPと何度も対峙してきた。セキュリティに関することなので、つまびらかに語ることはできないが、それらの経験に照らして現職の岸田文雄首相と安倍元首相に張り付くSPの数を比べると、明らかに安倍元首相の方が少ないと断言できる。しかし、それは現職と元職による違いにほかならない。ほかの元首相と比べれば、安倍元首相の警護が軽微とは感じないレベルといえた。

 今回の件を受け、岸田文雄首相は要人警護の見直しに言及した。今後、どのように議論が進むのかは現段階で不明だが、すぐにSPを養成することはできない。とりあえず、大きな選挙は3年ないといわれる。その間、SPの養成が急務となるだろう。

 要人を守るためには、不特定多数の群衆が集まる街頭演説は当然ながら、多くの人と乗り合わせる鉄道の利用をも控えるといった防止措置を講じることになるかもしれない。それは新幹線の利用も例外ではないだろう。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

関連記事(外部サイト)