「老人ホームは現代の姥捨て山」 利用者が気を付けるべき施設の「キラーワード」は? プロが明かす

「老人ホームは現代の姥捨て山」 利用者が気を付けるべき施設の「キラーワード」は? プロが明かす

そこは本当に終の棲家か

■「老人ホームは現代の姥捨て山」 プロが教える施設の選び方と「転ホーム」のススメ(前編)


 人生100年時代、自宅で生涯を全(まっと)うできるとは限らず、「終(つい)の棲家(すみか)」として老人ホームの存在感は増すばかりだ。だが、この考え方自体に過ちが潜んでいるという……。入居世代である「親」、そしてその「子ども」がともに知っておくべき現実と「転ホーム術」とは。【小嶋勝利/老人ホームコンサルタント】

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「自分の子どもに迷惑はかけたくない。いずれ私も老人ホームに入ることを覚悟しなければ、いや入らなければ……」

 人生100年時代を迎え、まさに人生を終える「寿命」と、自立的に生活できる「健康寿命」の間に、10年から20年の“タイムラグ”が生じる人も少なくありません。その期間の一部を、老人ホームに入って過ごすことで、我が子にかかる負担を減らしたいと考える。当然の「親心」といえるかもしれません。

 しかしこの考え方にこそ、現代における「老人ホーム観」の決定的な過ちが潜んでいると私は考えます。


■「自分ファースト」でなく「子どもファースト」に


 子どもに迷惑をかけないために……。

 これは偽らざる親心であるといえるでしょう。しかし同時に、老人ホームに実際に入居する高齢者の視点に立てば、「自分ファースト」ではなく「子どもファースト」で自らの人生の最後を過ごすことを意味します。つまり、そこに「親の意思」が存在していない。

 考えてみれば不思議なことです。繰り返しになりますが、老人ホームに入居するのは親であって、子どもではありません。本来、入居者である親がどうやって快適に過ごせるかが、老人ホーム選びの最大の基準であるべきでしょう。

 にもかかわらず、現状はそうはなっておらず、子どもの都合で決められてしまっている。老人ホームに入居「している」のではなく、「させられている」のが実態なのです。


■親を“厄介払い”するシステムに


 表現はきつくなりますが、あえて申し上げます。もちろん、自分のこと以上に親を思い、必死に、そして真剣に、「親にふさわしいすみか」について考え、時間と手間暇をかけて老人ホームを探している子どももいます。しかし残念ながら少数派というか、極めて少ない。そうした一部の例外を除いて、介護が必要になるなど、子どもが自分では手に負えなくなった親を“厄介払い”する施設になっている。それが現代の老人ホームの現実なのです。

 私はこの現実が良いものだとは思えません。これでは、老人ホームは姥(うば)捨て山とほとんど変わりがないことになってしまうからです。老人ホームを選んでいるのは子どもであり、入居者当人である親は選べていない。これが今の老人ホーム選びの根本的な問題なのです。

 したがって、本稿はこれから老人ホームへの入居を考えている70歳代、80歳代の「親世代」とともに、その「子ども世代」にも読んでもらいたいと思います。あなたが親世代だとしたら、お子さんにも、いやお子さんにこそ、是非この記事を勧めてほしいのです。


■老人ホームの内側を熟知するプロ


〈こう説くのは、公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」業務アドバイザーで、老人ホームコンサルタントの小嶋勝利氏だ。

 介護付き有料老人ホームで介護職、施設開発企画業務、施設長を経験した小嶋氏は、老人ホームの「内側」を熟知するプロのひとりである。

 2006年、その経験を生かして有料老人ホームコンサルティング会社を設立し、現在に至るまで講演活動等を通じ、「老人ホーム問題」に警鐘を鳴らし続けている。

 小嶋氏の話の特徴は、老人ホームの内側を知りつつ、決してホーム側に甘くないこと。同時に、すでにお分かりの通り、われわれ「利用者側」にも耳が痛い問題提起をすること。すなわち、現実を踏まえた上で「ありのまま」の問題点を浮き彫りにするところにある。〉


■「最後まで面倒を見ます」


 私が施設で働いていた現役当時から、親を入居させるか否か迷っている家族に対して使われてきた“キラーフレーズ”があります。

「親御さんがどうなったとしても、私どもが最後まで面倒を見ます。途中で放り出したりしません。ですからお任せください。うちに決めてください」

 老人ホーム側からこう言われた家族は、まず間違いなく安心して、「よろしくお願いします」と頭を下げます。

 しかしこのフレーズには、ふたつの側面から大きな問題があるといえます。

 まず家族、多くの場合は子どもですが、彼らがこの言葉にグラッときて、ホッとするのはなぜか。有り体に言うと、まかり間違っても親が自宅に帰ってくることがあっては困るからです。認知症等になり、介護を要する状態となった親を、これ以上、自分でケアすることはできない。したがって、「最後まで面倒を見ます」と言われると、本音では「助かった」と思う。そして、口説かれるがままにその老人ホームに親を入れる。

 親の世話をすることや介護から解放されたいという気持ちは理解できますが、「最後まで面倒を見てくれるから預ける」という発想は、やはり究極的に言えば姥捨て山と大差ありません。その後、親の状況がどう変化するか分からないのに、その老人ホームに入れっぱなしにすることを決めてしまっているわけですから。


■老人ホーム側の本音


 一方、老人ホーム側にも問題があります。

「最後まで面倒を見ます」

 一見、誠意に基づいた「心」からの言葉のように思えますが、ホームの本音はこうです。

「入居者がいなければ介護保険報酬(介護報酬)を受け取れない。せっかく一度受け入れた入居者を、おいそれと簡単に手放すわけにはいかない。だから何としてでも最後までいてもらう」

 厳しい解説になりますが、これがキラーフレーズの“意味”なのです。

 子どもと老人ホーム、両者の本音に決定的に欠けているのは、入居者本人がいかに快適に過ごせるかという観点です。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。


■かつては超富裕層の隠居先だった


 ここで老人ホームの歴史を振り返っておきます。2000年以前は、一般的に老人ホームといえば、一部の超富裕層が自ら望んで入る施設を意味していました。

 財閥系の大手有名企業などが社会貢献の一環で経営していた超高級老人ホームで、コンシェルジュがいて、温泉に浸かれて、入居者はどこかのお大尽や一流企業の役員ばかり。そこから運転手付きのハイヤーで仕事に通うといったような、言ってしまえばお金持ちの隠居先、あるいは別荘のようなイメージです。子どもに「入居させられる」という事態はまず考えられませんでした。

 その他には、俗に「養老院」とも呼ばれていた特別養護老人ホーム(特養)がありましたが、これこそ「手に負えなくなった人」を入れる施設であり、例えるならば重度のアルコール依存症患者を隔離する精神科病院に近い扱いで、実際、養老院の入居にあたっては自治体の首長による措置、つまり行政処分が必要でした。


■子どもの「経済的下心」


 しかし2000年に介護保険制度がスタートします。施設が入居者を介護すれば、介護を必要とする度合いに応じて介護保険報酬が得られるようになったのです。結果、それまでの老人ホームの“主流”であった超富裕層を相手にしなくても、介護保険報酬で老人ホームの経営が成り立つようになった。

 こうして、今みなさんが思い浮かべるいわゆる老人ホームが広がっていき、富裕層ではない「普通の人」が施設側の“ターゲット”になっていったのです。

 このような歴史的背景を持つ老人ホームが、一度つかんだ入居者を“逃がさない”のは、ある意味で仕方のないことだともいえます。

 では、親を「入居させる」子どもたちにはどんな事情があるのか。

 まず、冒頭で説明した親心から、元気なうちに自分で老人ホームを選び、自ら入ろうとする親もいるにはいます。しかし、それを認めようとしない子どもが実は多い。率直に申し上げて、そこには「経済的下心」が隠れていることが少なくありません。

 これまた一部の富裕層は別として、中流以下の家庭では、「入会金」とでも呼ぶべき入居一時金が数千万円かかることも珍しくない老人ホームに親が早く入ることを、子どもたちは良しとしません。自分たちの遺産相続分が減ってしまうという感覚を持つからです。


■「安かろう、悪かろう」が常識


 現代においては、老人ホームへの入居を検討する親を持つのは、子どもといっても50代であることがザラです。彼らは役職定年や早期退職、子会社への出向が迫り、同時にまだ自らの子どもが中高生であることも多い。

 そうした「50代の子ども世代」にとって、親の老後を心配している余裕はなく、自分の老後の不安のほうが大きかったりします。ですから、その状況で親が数千万円も使うことに忌避感を覚え、親の老人ホームへの「早期自主入居」を許そうとしないのです。

 早期自主入居とは違い、子どもが選んだ老人ホームに親を入居させる場合も、同様の金銭的事情から「高いホーム」ではなく、できるだけ「安いホーム」を子どもたちは選ぼうとする傾向があります。マンパワーがものを言う老人ホームでは、運営費の50%以上を介護看護職員の人件費が占める施設が多い。したがって、「安かろう、悪かろう」が老人ホーム業界の常識なのですが……。


■老親を「所有物」と勘違い


 しかし、この点で子どもを責めることはできないでしょう。自分の老後と子育てに不安が残るなか、親に金をかけている場合ではないというのは、超高齢社会に突入している日本の、紛う方なき現実なのですから。これは「子どもたちの問題」ではなく、明らかに「社会政策の問題」です。

 金銭的事情に加えて説明すると、年老いた親の面倒を見ているのは自分だという自負から、潜在的に老親の「監督権」は子どもにあると思いがちです。つまり、老親を子どもの「所有物」であるかのように勘違いする。そのため、老人ホームを選ぶのは当然子どもであるべきだと思い込む。将来、自分自身が老親となった時に子どもに「所有」されたとしたらどんな思いを持つのかということには、なかなか想像が及ばないようです。子どもがいれば、若くして死なない限り誰もが必ず老親になるのですが……。


■現代の姥捨て山


 いずれにしても、金銭的事情から親自身による早期自主入居という選択肢はほとんど消えます。そして認知症の症状が出始めるなどして、もうこれ以上、親の面倒を見るのは無理となった段階で、焦り、切羽詰まって、追い込まれた形で子どもたちが老人ホームにすがる。その状況で「最後まで面倒を見ます」と言われれば、子どもが「助かった」と思うのは無理からぬところもあるのです。

 その際に入居者(=親)と老人ホームのミスマッチ、つまり親が望んでいるサービスと、施設が提供するサービスに齟齬が生じても、実は子どもはさほど気にしません。それはなぜか。

 残酷な言い方になりますが、老人ホームに入るのは子どもではないからです。自分が入るわけではないので、親が多少不満を言っても、「それくらいのことは我慢してよ」となる。私の体験上、子どもが気にするのはとどのつまり、「で、おいくらですか?」ということに尽きます。

 これまで見てきたようなさまざまな事情から、老人ホームは、事実上の現代の姥捨て山と化してしまっているケースが多い。姥捨て山、それは一度その老人ホームに入居したら、いや入居させたら、死ぬまでそこに居続けさせる「入居老人ホーム=終の棲家」という発想です。


■キーワードは「転ホーム」


 しかし、私はこの終の棲家の考え方は間違っていると思います。誰が、一度その老人ホームに入ったら二度と出てはいけないと決めたのでしょうか。

 そこで勧めているのが、「転ホーム」です。入居した老人ホームが入居者に合っていなければ、合っているところに転居する。あるいは、施設に入った親を、状況によっては再び自宅に呼び戻してもいいはずです。

 しかし終の棲家発想にとらわれている人は、一般的に聞きなれない転ホームなどということがそう簡単にできるのか、と疑問に感じることでしょう。包み隠さずに結論を言えば、簡単とは言い切れません。けれども、「転ホーム術」がないことはない。それを知り、学べば、転ホームは可能なのです。

 例えば金銭面。入居時点で、先ほど述べたように場合によっては数千万円もの入居一時金をとられることもありますが、最近は入居一時金そのものをとらない老人ホームが増えています。

 経済的にごく一般的な家庭の場合、高額な入居一時金を払ってしまうと、他のホームに移ることは現実的に不可能になってしまう。ですから最初の入居時点で、入居一時金がない老人ホームを選ぶことが大切になってきます。入居一時金を払う必要がなければ、金銭面での問題で残るのは転ホームのための引っ越し費用のみです。数千万円の入居一時金と、数万円から数十万円の引っ越し費用では、その負担の軽重は一目瞭然です。

 現代の姥捨て山と化している老人ホームの概念を変え得る、転ホームという新たな発想――。後編(老人ホーム選びで「口コミ」が役に立たない理由 「24時間看護師常駐」は意味がない?)ではより詳しく、転ホームについて、そして老人ホームの具体的な選び方を紹介していきます。例えば「24時間看護師常駐」を謳(うた)う老人ホームは果たして……。そんなお話をしたいと思います。

後編を読む(老人ホーム選びで「口コミ」が役に立たない理由 「24時間看護師常駐」は意味がない?)

小嶋勝利(こじまかつとし)
老人ホームコンサルタント。1965年生まれ。不動産開発会社勤務を経て、介護付き有料老人ホームで介護職、施設開発企画業務、施設長を経験。2006年に有料老人ホームコンサルティング会社を設立。現在、公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」の業務アドバイザーを務める。『間違いだらけの老人ホーム選び』等、著書多数。

「週刊新潮」2022年7月28日号 掲載

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