腕を失った復員兵、夜のバーを渡り歩く花売りの少女… 70年前、復興に沸く銀座の貴重写真

腕を失った復員兵、夜のバーを渡り歩く花売りの少女… 70年前、復興に沸く銀座の貴重写真

70年前の銀座

■日本人と米兵で賑わった、復興に沸く銀座


 1952年、東京・銀座。いまからちょうど70年前のこの街は、新たな戦争の勃発により賑わっていた。1950年に始まった朝鮮戦争帰りの米兵が押し寄せたのだ。ある者はセーラー服の米兵にひざまずき、せっせと靴を磨く。またある者は、彼らが母国の家族に無事を知らせるための似顔絵を描いた。

 現在94歳のカメラマンが記録したのは、戦争に沸き、戦争に疲弊した銀座の明暗である。その貴重なショットをご紹介しよう。

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 ロシアのウクライナ侵攻による物価高は、確実に日本経済を圧迫している。一方、同じく他国の戦争でも、70年前の朝鮮戦争は、東京の街に特需を生み出していた。復興に沸く銀座は、新たな時代に胸躍らせる日本人と、米兵で賑わった。

 PX(米軍用の売店)として接収されていた服部時計店(現・和光本館)から新橋方面を写した写真には、松阪屋の文字も見える。

「当時写真学校に通っていた私は、異父兄である作家・檀一雄から、ニコンSという最高級のカメラと、坂口安吾氏が檀に贈った135ミリのレンズをもらいました」

 そう振り返るのは、一連の写真の撮影者である、カメラマンの高岩震氏(94)。

「この時代、写真はまだ気軽に撮れるものではなかった。そのため米兵たちの間では、絵描きに路上で似顔絵を描いてもらい、母国で待つ家族に送って自分の安否を知らせることがはやっていたのです。また、その待ち時間を利用して、靴磨きの商売人も多くいました」

 大物右翼・赤尾敏を知ってか知らずか、そのポスターの上に腰掛ける米兵も。

 路面電車にエスカレーターと、著しい復興を遂げた銀座の繁栄に、この時代の急速な経済発展が見て取れるのだ。


■物乞いの老人、バーを渡り歩く花売りの少女


 光が強まれば当然その分、影も濃くなる。急激な経済発展の裏には、それに取り残される人々が必ずいる。

 復員兵たちがアコーディオンを弾き援助を呼びかけるのは、デパートのウインドー前だろうか。中には腕を失った者も。かつて、このような光景は繁華街のあちこちで見られたという。

「空襲で脚を失くしただろう物乞いの老人が道端で倒れ、花売りの少女は“おじちゃん、お花買って”と夜のバーをウロウロと渡り歩く……。平和できらびやかな、いまの銀座ではとても考えられない風景が見られる、そんな時代でした」(高岩氏)

 一方、年月は経とうとも、変わらぬものもあるようだ。銀座4丁目の交差点で撮られた夜景には、三愛ドリームセンターが建てられる前の三愛ビルがたたずむ。銀座のネオンに引かれた多くの人々が、夜を楽しんでいるようだ。また、“腹が減っては仕事ができぬ”とばかりにまかない飯を路地裏でかき込む店員の姿からは、慌ただしさが感じられる。

 今年2月に始まったウクライナ侵攻は、膠着状態となって久しい。70年前の銀座の姿は、戦争が生み出す光と影を浮き彫りにしている。

撮影・高岩 震

「週刊新潮」2022年8月11・18日号 掲載

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