「熊谷6人殺害事件」から7年 妻子を喪った遺族が語る「生きる道を教えてほしい」

「熊谷6人殺害事件」から7年 妻子を喪った遺族が語る「生きる道を教えてほしい」

家族の骨壷が安置されている寺を訪れ、手を合わせる加藤裕希さん

 愛する家族の命を一瞬にして奪われた遺族。事件で妻子を喪った男性はこの7年を、癒えることのない痛みと、やり場のない怒りを抱えながら、必死の思いで生き抜いてきた。凶行に手を染めた犯人はもちろん、警察や司法とも戦い続ける遺族が心境を明かした。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】

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 普段は穏やかなその男性の声が、怒りに打ち震えていた。

「思いつかなかっただけで6人亡くなっちゃったんですよ。思いつかなかっただけですよ。何なんですか? ねえ? どう思ってんの? 本当に? ふざけんなって感じですよ」

 なんの忖度もない、心の底から溢れ出てくるストレートな感情。それが我が子に思いを馳せた途端、慟哭に変わった。

「6人があまりにもかわいそうすぎますよ。こんな程度の捜査で。ふざけんなって言いたいですよ。まだ娘はこれからの人生だったんです。どれだけ楽しみにしていたと思ってんですか……」

 すすり泣く声の主は、埼玉県熊谷市在住の会社員、加藤裕希さん(49)。2015年9月14日から16日にかけて、同市の民家3軒で計6人が刺殺された熊谷6人殺害事件の遺族である。加藤さんの家は最後の16日に狙われ、妻の美和子さん(当時41)と長女の美咲さん(当時10)=同=、次女の春花さん(7)=同=を一気に喪い、家族で1人だけ取り残された。

 あの日から今日で7年。事件現場となった自宅は子供たちが遊んだゲームなど当時の面影が残されたままで、加藤さんは今もそこに暮らしている。

 犯人は、ペルー国籍のナカダ・ルデナ・ジョナタン・バイロン(30)=当時=。発生から3年後の18年9月、加藤さんは県警を所管する埼玉県を相手取り、約6400万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。地域住民に対する県警の注意喚起が不十分で、それが事件を続発させたという主張が賠償請求の理由だ。

 しかし、さいたま地裁は今年4月15日に言い渡した判決で、「埼玉県警による情報提供の方法及び内容に関して、権限不行使による国賠法上の違法があると認めることはできない」として原告の請求を棄却した。原告側は控訴し、現在、控訴審に向けた準備が進められている。


■「非なら非で認めてください」


 冒頭の発言は、事件発生から2ヶ月半が経過した15年11月下旬、加藤さんが県警本部捜査一課長らを相手に、捜査上の不備を訴えている場面だ。国賠訴訟の原点ともなるやり取りである。その場で加藤さんは、ICレコーダーを衣服の中に忍ばせていた。すでに埼玉県警の対応に不信感を募らせていたためだ。その録音データからは、やり場のない遺族の怒り、悲しみ、そして無念の思いがリアルに響いてくる。

「6人の命をなんだと思ってんですか? 遺族からすれば今後の対策なんて聞きたくない。それよりもあの時に何をしてあげればよかったのか、警察官として考えるべきじゃないですか?」

 この問いかけに捜査一課長は「本当におっしゃる通りです」としか、返す言葉がなかった。すかさず加藤さんが畳みかける。

「非なら非で認めてください。ちゃんとやったから問題ないなんて、そんなことで片付けられたらこの6人は報われないです。そういう気持ちで(仕事を)やっているんだったら警察官やめてもらったほうがいいです。これから埼玉県民を守っていけないと思います」

 加藤さんと捜査一課長の間で議論になっているのは、地域住民に対する埼玉県警の情報提供、そして、注意喚起のあり方だ。

 事の発端は9月13日に遡る。ナカダは市内の民家敷地内に侵入し、熊谷署に任意同行された。ところが聴取の途中、パスポートなどの所持品を置いたまま、屋外喫煙所から走って逃げた。その後、付近の民家2軒で「外国人が侵入した」との通報があり、熊谷署は捜査員20人態勢で、警察犬も出動させて捜索。しかし、ナカダを発見できず、翌14日に1件目の50代夫婦殺害事件が起きた。

 その時点ではナカダが殺人犯だとは特定できていなかったが、13日からの一連の不審な行動、逃走中の状況を踏まえると、ナカダが容疑者で、事件が続発する可能性はあったはずだ。

 ところが、埼玉県警は報道機関への広報や教育委員会を通じた小中学校への情報提供を行うに留まり、防災無線を使うなどの注意喚起まではしなかった。それによって住民たちの防犯意識が高まらず、2件目の80代女性刺殺、そして加藤さんの一家3人殺害につながったというのが加藤さんの主張だ。事件続発を阻止するために埼玉県警は徹底的に手を尽くしていなかったと猛烈に批判しているのである。


■「そこまで思いつかなかった」


 これに対し、捜査一課長はこう弁解した。

「(ナカダが)熊谷署から出て行く時に、玄関先から急に走り出してしまった。その時点でなんらかの犯罪を犯していたわけではないので、当然、公開(捜査)というふうにはならなかった」

 続けて、1件目の夫婦殺害事件が起きた段階で、事件とナカダを結びつける証拠がなかったため、「そこまで重大な事件に発展するとは予測がつかなかった」と主張した。

 熊谷署から逃げた時には罪を犯しておらず、14日に夫婦殺害事件が起きた直後は、ナカダを検挙するに十分な証拠は固まっていなかった。よってナカダを「危険人物」として住民たちに知らせるのは不安を煽るだけで、時期尚早だと言っているのである。

 しかし加藤さんはこう語気を強める。

「私の家の2軒隣まで警察犬が来て、なんでこういう外国人が来ていると言ってくれなかったんですか?」

「そこまで思いつかなかったです」

 この「思いつかなかった」という捜査一課長の言葉が加藤さんの逆鱗に触れた。

「思いつかなかったで、6人亡くなっちゃったんですよ! その辺は判断ミスとして受け取ってもらえないのか?」

 捜査一課長がこう切り返す。

「ミスがあったのかと問われれば、場面、場面において違法なことがあったとか、不当なことがあったとかまでは考えておりません」

「そういう答えは聞きたくないです。判断のミスですよね? 周りの方に注意喚起をしなかった判断ミスですよね?」

 繰り返し問い詰める加藤さんは、県警側の判断の問題点を指摘するが、捜査一課長は一向に認めない。議論は平行線をたどり、加藤さんはこう締め括った。

「私は県警の判断ミスだと一生背負って生きていくと思います。申し訳ないですけど、埼玉県警の人は何も信用できないです」

 そう言われても県警としては、加藤さんからの捜査協力が必要だった。捜査一課長からその旨を伝えられると、加藤さんはやぶさかではないといった態度を示し、沈痛な思いを口にした。

「別に捜査への協力を拒否しているわけではありません。今は本当に気持ちが重たいんです。家族のことを思うと、1日を生きていくのが辛くて。私自身も死んでしまいたいと思うぐらいですよ。生きていても、もう意味がないんじゃないかと」


■3人の後を追いかけたい――


 4人で暮らしたあの日々はもう戻ってこない。

 妻の美和子さんは手先が器用で、気配りができる女性だった。子供たちのために作る唐揚げやハンバーグの味が忘れられない。夫婦喧嘩をしたことはほとんどなかった。姉の美咲さんは控え目な性格だが、体育や音楽が好きだった。妹の春花さんは社交的で、知らない子でも話し掛ける。2人はたまにゲームの取り合いで喧嘩をした。そんな思い出を口にするだけでも胸が痛む。

 できれば3人の後を追いかけたい――。

 捜査一課長から「それは困る」と制せられ、「わかっていますよ」と答えても、そうしたい衝動に駆られた。

 取り調べを受けている犯人のナカダは、「覚えていない」「やっていない」と供述しているという。その様子を聞かされた加藤さんは、涙ながらに怒りをぶちまけた。

「このまま否認して、すみませんでしたと言われても、それじゃ困るんです。真実を知らないまま判決が下されても意味がない。申し訳ないですけど、そんなんじゃ裁判に出ませんから。何がなんでも白状させてください。もしそれができないんだったらあいつを釈放させてください。俺が殺しに行きますから。俺はそれぐらいの気持ちでいます。自分のことなんてどうでもいいと思っていますから」

 家族3人の命を一瞬にして奪われた遺族の、これが偽らざる心情だ。なぜヤツだけが生きているのか。なぜこの世に生きることが許されているのか。理不尽極まりない現実に、それでも1人で悲しみを背負い続ける加藤さんは、憎しみで打ちひしがれていた。

「被害者の遺族がこれだけ辛い思いをしているのに、犯人は否認して何も喋らない。とんだふざけた野郎だ。やはり自らの手で殺してやりたいです」

 最後は捜査一課長から「自分のことを大事にしてください」と心配する言葉を掛けられ、この日のやり取りは終わった。

 その後も県警側との話し合いは続いた。加藤さんが謝罪を求めるも、誠意ある対応を受けられず、両者の歩み寄りは見られなかった。


■「心から笑えないんです」


 拭えない警察不信――。

 先に行われた刑事訴訟でも、司法には裏切られるような思いだった。裁判員裁判となった一審のさいたま地裁は18年3月、ナカダに死刑判決を言い渡した。しかし二審の東京高裁は、ナカダの心神耗弱を認めてこれを破棄し、無期懲役に「減刑」する判決を下した。さらに検察は19年末、上告を断念し、無期懲役が確定した。

 検察も被害者を見捨てるのか。

 人を信用できなくなった。心が折れそうになりながらも加藤さんは、事件発生からの7年間をなんとか生き抜いてきた。1日を生きるだけで、精一杯だった。

 今年の命日を前にして、加藤さんが現在の心境を語る。

「7年経ったからとかそういうことじゃなく、とにかく家族と喋りたいんですよ。ただそれだけが願いっていうか。生きる道を教えてほしい。何を思っているのか聞いてみたいですね」

 続く言葉に、加藤さんの思いが凝縮されていた。

「心から笑えないんです。いつまで経っても」

 国賠訴訟の行方は、失われた加藤さんの笑顔を取り戻すことができるだろうか。

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。5月上旬までウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部

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