家元切りつけ、天皇陛下のパレードに爆竹… 「花柳幻舟さん」が語っていた“地獄”

家元切りつけ、天皇陛下のパレードに爆竹… 「花柳幻舟さん」が語っていた“地獄”

花柳幻舟さんの著書の一つである『小学校中退、大学卒業』

 2月28日、舞踊家の花柳幻舟さんが、群馬県安中市の橋の下で亡くなっているのが発見された。享年77。誤って転落したと見られている。

 花柳さんが、家元を包丁で切りつける傷害事件を起こしたのは1980年のことだった。さらに10年後には、即位の礼で祝賀パレードに爆竹を投げつけて逮捕――。そんな波欄万丈の人生を送ってきた彼女が、最も苛烈な“地獄”を味わった頃を週刊新潮に語っていた(以下は2012年9月27日号掲載時のもの)。

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 常々「家元制度の根源には天皇制がある」としてきた彼女が、道交法違反の現行犯で逮捕されたのは90年11月12日。祝賀パレードの車列が、青山1丁目の交差点に差しかかった時だった。数十発の爆竹が音を立て、彼女を取り押さえようとする警官と激高した右翼関係者らが入り乱れ、青山通りは騒然となったのである。

 後日、略式裁判で4万円の罰金刑が確定するが、これを拒否。そのため、91年9月には東京拘置所にて20日間の労役に服することに。そして出所後、彼女を待ち受けていたのは予期せぬ“仕打ち”であった。

「右翼から攻撃されると思い、自宅には戻らず、匿ってくれるはずの“同志”を頼りました。そんな仲間が東京に6人、大阪に1人いたのですが、いざ訪ねると居留守を決め込んだり、いったん家に上げてくれても、奥から『どうしてあんな人を家に入れるの』なんて夫婦喧嘩が聞こえてきたり……。いたたまれずに退散したこともありました」

 また、こんな目にも遭っていた。

「その頃、『片腕取ったら1千万円。命だったらいくらでも』と、私の身柄に賞金が懸けられていると知りました。ある夜、お風呂を借りに友人のもとを訪ねることになっていたのですが、家の近くまで行くと何だか様子がおかしい。やたらに車が停まっていて、怪しい人影もちらほら。間一髪で逃れましたが、あとから、その信頼していた友人が私を売っていたのだと分かったのです」


■カツラで西成に


 彼女のよすがとなっていた7人の“同志”。いずれも当時、互いに20年来の付き合いのある間柄だったという。

「年齢も仕事もバラバラ、ジャーナリストや法曹関係、企業勤めと色々いましたが、もとは三里塚闘争などで知り合った仲です。舞踊を観てくれた学生さんたちから頼まれて、私も集会で演説するようになっていましたから。でも、右翼に狙われていると分かれば、みんな冷たいものでしたね」

 絆を断たれた彼女は、人目をはばかりながら放浪の旅へ出た。

「交通機関を利用すると目立つので、東京から西へ歩いていきました。大阪では西成に1カ月ほど滞在し、三角公園で野宿をし、炊き出しにも並んだのです。私は身元が分からないようにレゲエの人みたいなカツラで変装していましたが、周りは気付いてもあれこれ詮索してきません。焚き火にあたる時は、手土産代わりに新しい薪(たきぎ)を持参するのがルールだと教わり、割り箸をたくさん集めてきて喜ばれたこともありました」

 それでも、1年ほど続いたホームレス暮らしより、仲間の“裏切り”がよほどこたえたという。

「だから私は、『仕返しに、彼らより長生きしてやろう』と決めたのです、ちなみに7人のうち2人は、私の父が94年に亡くなった後、ともにガンで亡くなりました。残る5人のうち1人も、現在ガンにかかっているといいます。生前は大人しかった父が、天国で代わりに復讐してくれているのでしょう」

 闘志はなおも衰え知らずなのだ。

「週刊新潮」2012年9月27日号掲載/2019年3月7日再 掲載

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