「果て」と「果て」風(ふう)(古市憲寿)

「果て」と「果て」風(ふう)(古市憲寿)

イラスト・k.nakamura

「端」に少し興味がある。

 たとえばポルトガルでは、ユーラシア大陸最西端のロカ岬にきちんと訪問してきたし、ノルウェーのノールカップというヨーロッパ本土最北端「風(ふう)」の場所にも行ったことがある。

 今、「風」と書いた。なぜなら本当の最北端は別にあるから。すぐ隣の岬のほうがやや北まで突き出しているし、ハイキングで行けるキナロデンという場所が本当は大陸最北だ。ただしノールカップが最も観光地化されているため、うっかりすると最北端と勘違いしてしまう。

 実は日本の「端」も、ここだと断言するのが難しい。

 たとえば稚内の宗谷岬。つい先日行ってきたのだが、「日本最北端の地」という碑が建てられていた。だが近くにある案内板では「現在、私たちが自由に往来できる日本の領土としては最も北」とすかさずフォロー。宗谷岬を日本の「最北端」と断言してしまうと、北方領土の返還を求める日本にとっては都合が悪いのだ。

 さらに宗谷岬の沖合には、素人では行きにくい弁天島という無人島がある。どちらにせよ宗谷岬を「最北端」と断言はしにくい(「稚内駅は日本最北端の鉄道駅」とかなら堂々と自慢できると思うけど)。「端」を巡る議論には、領土問題まで絡んできてしまうのだ。

「世界の果て」という表現がある。しかし実際には丸い地球で「果て」を探すのは難しい。ロカ岬もそのまま西へ進めばアメリカにたどり着いてしまうし、宗谷岬も少し北へ進めばすぐそこにサハリンがある。

 エッセイストの能町みね子さんは『逃北(とうほく)』という本で、稚内を訪れた時のことを書いているが、対岸に見えるサハリンに魅了されたらしい。能町さん曰く「最北に来ると、さらに北へのいざないがあらゆるところにある」。それはあらゆる「果て」に言えると思う。

 そこで個人的に大事なのは、「果て」っぽさだ。たとえば最北端「風」に過ぎないノールカップには、中々「果て」っぽさがあった。森林限界を越えているため、高木は見当たらず、荒涼たる風景が広がる。水平線の向こうには空しか見えない。

 北緯がイタリアのミラノと同じ宗谷岬は、植生的な「果て」らしさはないが、絶妙な寂れ具合だった。冬に訪れたため、ほとんどの飲食店や土産物店は休業中。通行止めの場所も多く、一人だったら「こんな場所まで来てしまった」と感慨にふけっていただろう。

 他の日本の「果て」にも行こうと思って調べてみたが、これが中々難しいようだ。最南端の沖ノ鳥島、最東端の南鳥島に民間人が行くのは困難。気軽(でもないけど)に行けるのは最西端の与那国島の西崎(いりざき)くらい。

「果て」への旅は中々に険しいが、簡単に行けてしまう場所に「世界の果て」感はゼロである。稚内の宗谷岬も、冬は路線バスの本数も少なく、アクセスが悪い。さらに稚内空港は、強風の日が多く飛行機の就航率も高くない。この不便さが「果て」としては丁度いい。日本最北の水族館、ノシャップ寒流水族館にも行ってきたがここも非常に「果て」っぽかった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

「週刊新潮」2019年4月4日号 掲載

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