「摂食障害」に陥った31歳女性を一瞬で回復させた「意外なひと言」

「摂食障害」に陥った31歳女性を一瞬で回復させた「意外なひと言」

摂食障害から回復した姫野さん。今ではマクドナルドのセットも食べられます! 写真:佐藤伸吾

 2018年に東洋経済オンラインで最も記事が読まれ、新書『発達障害グレーゾーン』が現在5刷の気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」待望の第4回です。今回のテーマは「摂食障害」。自身の摂食障害経験を振り返ります。

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■就活がうまくいかず10kg痩せる


 だいたいの人は1日3度食事を摂る。生きるために食べて栄養を吸収し、エネルギーに変えて活動する。しかし、食べたくない、食べたいけど食べられない、食べたくないのに異常な量を食べてしまうという心の障害「摂食障害」に悩む人がいる。

 一時期私は摂食障害について専門医を取材したり、セミナーを受けたりしていた。私自身、摂食障害を患う当事者であったからだ。主治医からは「大きく括ると食への依存なので、依存症の一種」と言われ、自立支援医療制度を受けるためにもらった診断書には「食行動への異常」の欄に丸がつけられていた。

 思い返してみると私は幼い頃、食べることが大好きだった。保育園に入る前は、親が仕事中、親戚の家に預けられていた。親戚の子どもたちは食が細かったり偏食の子が多く、そんななか好き嫌いなく食べる私は褒められた。祖父母も食欲旺盛な私にどんどん食べ物を勧めた。

 小学4年生あたりから自分の体重が他の女子より重いのではないかと気になり始めた。しかし、当時は身長も高い方だったので(その後すぐに身長の伸びが止まったので、大人になった今は小さい方)その分の重さだと信じていた。
 
 しかし、中高になるとさすがに細い女子に憧れ始めた。ティーン雑誌で読モの体重が公開されているページでは38kgの子もいた。当時の私は勉強や人間関係、そして家族関係のストレスから食に走っていた。朝食を食べ、昼は特大サイズのお弁当を食べ、学校が終わるとコンビニで菓子パンを買って食べ、夕飯を食べた後はデザートに何かしらのお菓子を食べていた。

 しかも、父親から「また食いよるんか」と大食いを笑われるので、親の前で食べないよう、隠れておにぎりを貪っていたこともあった。当時、陸上部でほぼ毎日激しい運動をし、片道7kmの道のりを自転車通学もしていたが、身長154cmで体重は54kgもあった。UNIQLOにデニムを買いに行って試着するも入らず、次から次により大きいサイズを持ってきてようやく入って涙目になってしまったこともある。

 食べなければ痩せる。でも、私には制御できなかった。泣きながらお菓子を口に詰め込んでいた。

「思春期は誰でも太る時期。二十歳を過ぎれば自然と痩せるよ」

 母はそう言ったが、二十歳が近づいても痩せる気配は一向になかった。

 そんな私が1ヶ月で10kg近く体重が落ちたのは21歳のとき。リーマンショックの影響で就活がうまくいかず、内定がなかなか出ない。かつ、自分のやりたい仕事もわからない。面接では自分を否定された気になり、その企業で働く自分の姿も想像がつかない。

 いきなり食欲がなくなった。1日、「ひもQ」というグミか「たべっ子どうぶつ」というビスケット、そして大量の発泡酒で過ごすことが多くなった。みるみる体重が落ち、44kgになった。

 驚いた反面、痩せたことがとてもうれしかった。昔からずっと憧れていた体型を手に入れられた。痩せた体にフリフリのバンギャルファッションに身を包んだ姿を全身鏡に写してガラケーで写真を撮って「今日のコーデ」という名目でブログにアップし、恍惚とした気分でそれを眺めた。

 短期間で体重が落ちてしまい、就活用のスーツはブカブカになって買い直しに。その後ようやくとある企業から内定が出て、私の拒食は落ち着いたように思えた。食事もそれなりに摂るようになり、体重も45〜47kgあたりをウロウロするくらいまで増えた。健康的な体重にはなれたが、残念な気持ちもあった。


■痩せていないのに愛されている女が憎い


 それから10年後、私はモラハラ男R氏が原因でまた摂食障害をぶり返してしまった。胃が食べ物を受け付けなくなり、45kgあった体重は一番軽いときで40kgにまで落ちた。そして、毎朝体重計に乗って体重をチェックしないと不安感に襲われるようになった。100gでも増えていると痩せなければと思ってしまう。

「痩せていないと愛されない。でもR氏の彼女は決してガリガリなわけじゃない。痩せていないのに愛されている女が憎い」。そんな思いが駆け巡る。

 食欲は一切わかない。栄養不足で口角炎や口内炎がなかなか治らない。病院では食欲を出す漢方薬とビタミン剤を処方されたが、効いているのかどうか分からない。

 区で安く健康診断を受けられる制度で6年ぶりに健康診断を受けたら「痩せすぎ」と医師に指導された。身長は少し伸びて156cm、体重は42kgだった。しかし、血液検査や尿検査などでは異常はなく、健康そのものだった。

「あんたの腕、この魚の骨みたいじゃん!」

 ほとんど食べず酒しか飲まない私に、食べかけのホッケの塩焼きを指さして友人が言った。そこから「姫野を太らせるぞ!」と、友人たちがしきりに食事に誘い始めたが、私は出されたものを食べないので太らず、友人たちばかり肥えていった。ときには、友人たちから無理やり口に食べ物を押し込まれたこともあった。

 そんな私がある日突然食べられるようになった。きっかけは医療関係の職についている男性のHさんに摂食障害を告白した際に言われた一言だった。

「僕が桂さんの食事を介助します」

 この魔法の言葉により、私は約1年ぶりにまともに食事を摂れるようになった。食べ物に味があることを知り「おいしい!」と思えた。手の込んだ料理や常備菜作りも自らするようになった。久しぶりに冷蔵庫内は食べ物で溢れかえった。

「あなたには心の病気を治す力がある」

 Hさんにそう言ったものの彼は謙遜し「そんなものはない」と言われた。ただ、彼が今まで付き合ってきた女性は全員メンタルを病んでいる女性ばかりだったらしいので、メンヘラ女性への耐性があり、扱いに慣れているのだろう。

 この後、彼と恋愛に発展するのだが、彼から実際にスプーンでガパオを食べさせてもらった。さすがプロ。食べさせ方がうまい。スプーンに取る量も食べさせ方もタイミングもバッチリ。こぼすこともない。

 このエピソードを、私より少し年上の女性作家や女性ライター、女性編集者やその周りの女性たちで定期的に集まって飲んでいる「デンデラ女子会」(雨宮処凛さんの著書『非正規・単身・アラフォー女性』〈光文社新書〉に出てくる女だけのババアシェアハウスを作ろうという話題や、姥捨て山に捨てられた老婆たちが実は女だけで生き抜いていたという映画『デンデラ』になぞらえて命名された会)で話すと「キャーッ!」と歓声が上がった。それほどロマンチックな展開だ。

 体重は相変わらず増えないが、体重が増えることの恐怖心がなくなり、あんなに毎日乗っていた体重計に気が向いたときしか乗らなくなった。


■健康的な依存と不健康な依存


 以前、摂食障害のベテラン専門医を取材したことがある。その医師も若い頃は「今日は頑張って食べようか」と患者に声をかけては失敗していたという。摂食障害の人に「食べよう」は禁句に近いのだ。だから、Hさんによる「介助します」という一言は、寄り添って手伝うという意味として、しなしなに萎んでしまっている心へ、たっぷりと水分を与えてくれたのだ。

 そう言えば先日観た、精神科の女性専用の閉鎖病棟の模様を描いた映画『クワイエットルームにようこそ』では、多くの摂食障害患者が登場していた。彼女たちは食べ吐きを繰り返したり、全く食べなかったり、食べないせいで栄養剤を点滴されている間中「カロリー! カロリー!」とぶつぶつ言いながら歩き回ってカロリーを消費していた。

 また、1000ピースのジグソーパズルを他の患者と協力して完成させられた日、摂食障害の「サエ」は入院して以来初めて食事を完食した。あのシーン、はっきり言ってあれだけで食べられるようになるのだろうかと疑問が残ったが、よく考えると私だって「介助します」の一言で食べられるようになった。要するに、孤独に寄り添ってくれる人の存在が大きいのだ。

 摂食障害が治った。そう言いたいが、摂食障害は依存症の一種なので完治は難しく、一生付き合っていかねばならない。また、彼のおかげで摂食障害が治ったと思い込んでしまうことも彼に依存することに繋がるので危険である。できるだけ、物事を客観的に捉え、「事実」に着眼して自分の気持ちを整理していきたい。

 依存には健康的な依存と不健康な依存がある。それらは紙一重で、一歩間違うと、どちらかが憂鬱な世界へ引きずり込まれてしまう。そのスレスレを味わうことのスリルも、もしかすると私が依存体質から抜けられない要因の一つなのかもしれない。

 医師の熊谷晋一郎氏は「自立とは依存先を増やすこと」と講演やインタビューでたびたび語っている。私も「Hさんのおかげで摂食障害が治った」と思い込んでしまうと依存先が一つになってしまう。きっと、摂食障害が良くなったのは彼のおかげだけではない。共依存について自分で勉強したり、きちんと通院したり、デンデラ女子会で発散したり、友人と遊んだりしたおかげだ。その中でも、Hさんの存在が大きかった、というだけだ。

 依存先が少ないと孤独という病に侵される。孤独を避けられるよう「私は感情がある人間だ」と言い聞かせて今後も人と触れ合っていきたい。

姫野桂さん連載『「普通の女子」になれなかった私へ』バックナンバーはこちら https://www.dailyshincho.jp/spe/himeno/

姫野桂(ひめの けい)
宮崎県宮崎市出身。1987年生まれ。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをして編集業務を学ぶ。現在は週刊誌やWebで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)。ツイッター:@himeno_kei

2019年4月26日 掲載

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