あだ名は「でんでん」 新歓コンパで池に落とされ…新天皇の微笑ましい学生時代

新天皇陛下の学生時代を学友が語る 音楽部の先輩からは“でんでん”と呼ばれる

記事まとめ

  • 新天皇陛下の学生時代、音楽部で2年後輩だった竹内尚子さんが当時の陛下を語った
  • 先輩から池に突き落とされるという『ビールコンパ』では、陛下も突き落とされたという
  • 先輩の中には、殿下だからということで“でんでん”と呼んでいる人もいたそう

あだ名は「でんでん」 新歓コンパで池に落とされ…新天皇の微笑ましい学生時代

あだ名は「でんでん」 新歓コンパで池に落とされ…新天皇の微笑ましい学生時代

右から2人目が乃万氏

■ご学友が語る「新天皇」知られざる素顔(1/2)


 人生で真の友と呼べるのは、大方、学生の頃の友であろう。打算なき青春時代を共にした仲間――。5月1日、宿命の日を迎えた皇太子殿下にもそんな“ご学友”がいる。コンパでの池突き落としも、婚約スクープの瞬間も目の当たりにした彼らが、「新天皇」の素顔を語った。(※即位前の取材に基づくため、記事中では以前の敬称を採用)

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 東京・目白の学習院大学の学生食堂。かつてその前には小さな池があったという。

「今思い出してもすごく濁って汚い池でしたね」

 と話すのは竹内尚子さん。皇太子殿下の音楽部での2年後輩に当たる。

「音楽部では、入部すると男子学生はビールを一気飲みして一人一人好きな女の子の名前を叫ぶ。そして先輩に池に突き落とされるという『ビールコンパ』があるんです。先輩から聞いた話では、殿下も1年生の時にこれに当たった。さすがになさらないだろうと思っていたら、ご本人は何と“やる”とおっしゃったそうです。先輩も殿下を池に落としてよいものか迷って、傍にいた侍従の方とアイコンタクトした。そうしたら“どうぞどうぞ”と言うものですから思いっきり突き飛ばした、と。気を遣ったのか、殿下が好きな人の名を叫ぶ前に落としてしまったそうですけどね」

 それから40年の時を経てこの5月1日、殿下は天皇に即位された。

 常に周囲に気を配り、大切にされる実直さ。公務ひとつひとつに丁寧に取り組まれる誠実さ。そしてご家族に向けられる優しさ……。殿下と言えばこうした像が思い浮かぶが、これらはあくまで公に見えるお姿だ。

 今上陛下が若き頃、その青春模様を描いた小説『孤獨(こどく)の人』が出た。著したのは陛下のご学友の作家・藤島泰輔氏。これがベストセラーとなったのは、やはり親友しか知らない生のお姿が見えたゆえだろう。御簾の中の帝を知る数少ない存在が「ご学友」。

 5人の同窓生に殿下の素顔を聞いた。


■巨人ファン


「初めてご一緒したのは小学生の時でしたが、先生も生徒もみな、殿下を『宮様』と呼んでいましたよ」

 とは、学習院初等科、中等科で机を並べた廣川弘城氏である。

「日直の名前を黒板に書く時も『宮様』。いつもお付きの方が校舎の外に待機している。幼心に、普通とは違う方なんだ、と思っていました。運動会や授業参観には今上陛下や皇后陛下がいらっしゃっていて、親御さん方が緊張するのを感じました」

 呼び名は堅くとも、ご両親は高貴でも、ご本人は子どもだ。殿下は登山や音楽がご趣味との印象が強いが、当時は他の男の子と変わらず野球に熱中されていた。殿下の小学校時代は、巨人のV9とほとんど重なる。

「休日には御所にお呼ばれして、侍従の方々も混ざって草野球をしました。殿下はもちろん巨人ファンで、しかも末次利光選手の大ファン。末次さんの背番号38のユニフォームを持っていましたね」

 V9戦士でもONではないところが“玄人”のご選択である。

「お誘いいただいて一緒にオールスター戦を見に行ったこともあります。もちろん貴賓席で、評論家が後ろにいて生解説をしてくれる。長嶋茂雄選手が打席に立つ時には私たちに向かってバットを高く掲げてくれた。とても贅沢な体験をしました」

 誰とでも分け隔てなくお話をされる優しい方――それが廣川氏が記憶する殿下の姿だが、初等科から高等科までの同級生で、能の観世(かんぜ)流二十六世家元・観世清和氏もこんな体験を話す。

「初等科時代、工場に社会科見学に行ったことがありました。この時、集合時刻になっても、殿下や私たちの班のメンバーが1人来ません。周りは“もう先に行こう”と言ったのですが、殿下は“もう5分待とう、もう5分待とう”とおっしゃるのです。“もし私たちが先に行って誰もいなくなってしまったら彼はきっと困るから”と。結局、そのメンバーは少し遅れてやってきましたが、殿下は嬉しそうに“これで揃ったね。出発しよう”とおっしゃいました。決して押しつけがましくない、さりげない優しさがおありでした」

 先に触れた御所での草野球にも観世氏はお呼ばれしていたが、スポーツは全般的にお好きだったという。

「当時、海外のサッカーの試合を流す『三菱ダイヤモンドサッカー』という番組が放映されていたのですが、殿下はそれをご覧になられていた。ヨハン・クライフとかベッケンバウアーなどの話をされていました。『巨人の星』『柔道一直線』もお好きでしたし、『おそ松くん』も見て、ざっくばらんにお話をしていました」

「シェー?」のポーズをとったお姿を見たご学友もいたのだろうか。


■“でんでん”


 学習院初等科のメンバーは、ほとんどが中等科、高等科へと持ち上がりで進む。

「その頃は御所に伺っていろいろお話しすることもありましたね」

 とは、初等科から大学院まで同級生だった乃万暢敏(のまのぶとし)氏。

「そうした時には、時々今上陛下や皇后陛下もお顔を見せられます。今上陛下は“私も仲間に入れてください”と輪に加わられることもありました。皇后陛下には、“ちょっと後ろを向いてごらんなさい”と、取り忘れていたスーツのクリーニング札を取っていただいたこともありました。この時は少し気恥しかったですが」

 高等科3年になり、進路を決める頃、乃万氏は殿下からこんなご相談を受けたという。

「“小さい頃から日本の歴史を教わり、考えて大変興味を持っているから、僕は史学科に行きたい”と。私もそこに進学したかったので“大学でもよろしくやりましょう”ということになりました」

 そんな経緯もあってか、進学直前、乃万氏は大学から呼び出しを受けたという。

「“殿下が環境に慣れるまではなるべく同じ授業をとってほしい”と。ですから常に傍にいた。デニムなどラフな格好の殿下に比べ、私は堅い服装でいましたから警護関係者と勘違いされることもありました。当時、殿下が一番お嫌いだったのは、特別扱いを受けること。一学生として振る舞いたい思いが強かったですね」

 大学生活の中心は学業だ。殿下と乃万氏が選んだのは、日本中世史の大家・安田元久教授のゼミだったが、ここは“スパルタ”で知られていた。

「鎌倉時代の書『吾妻鏡』を読み解いていくのです。学生は5〜6人の班に分かれ毎週どこかの班が発表を担当する。学生はそれを講読し、当時の時代背景などについて報告するのですが、漢文で難しいし、先生に何を聞かれるのかわからない。答えられないと、“駄目だよ、こういうところを落としちゃ”と叱られてしまうのです。どの班も発表の担当週の2週間前には模擬練習をしていました」

 安田教授は学究的な姿勢で知られ、後に学習院大学の学長に。殿下といえども手加減はしなかった。

「先生が“殿下、ここはどういう意味ですか”“ここはどうですか”“ここは”とどんどん聞いていく。間違った答えをすると、“それは違いますね”と言って、時には“誰か教えてあげられないの”とまで言う。滅多にありませんでしたが、殿下が“申し訳ありません”とおっしゃることも。もちろんしょんぼりするわけではなく、一生懸命勉学に励まれていました」

 こうした指導もあって、殿下の研究は仲間内でも評価が高かったというのだ。テーマは水運。中世の瀬戸内海の水上交通を卒論とされた。

「非常に珍しいテーマだったと思います。ゼミでは他に誰もいなかった」

 と言うのは、冒頭に登場した竹内さん。彼女は音楽部のみならず、安田ゼミでも後輩に当たる。

「今では殿下はそれにとどまらず、研究対象を広げて『水』そのものについて研究されていますよね。『水』は今、世界的なテーマとなっています。先見の明がおありだったんだな、と思います」

 勉学同様、力を注がれたのが音楽部での活動だ。

 竹内さんが続ける。

「殿下は小さい頃からヴァイオリンを習われていたのですが、大学ではヴィオラの人数が足らなかったので転向されたみたいですね。“池落ち”のエピソードからもわかるように、部では殿下を特別扱いしてはいませんでした。先輩の中には、殿下だから“でんでん”と呼んでいる人もいたくらいです」

 部が終って帰る途中には、一緒に食事に行くこともあったという。

「部の仲間と休日、御所に伺ってテニスをし、横のクラブハウスでカラオケを歌うことも。殿下は柏原芳恵さんの大ファンで、グッズ鉛筆などを使われていたほど。私も殿下のリクエストで柏原さんの曲を歌ったことがありました。ご本人は佳山明生さんの『氷雨』などを歌われていましたね」

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年5月2・9日号 掲載

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