「雅子さんと婚約」スクープを新天皇のお耳に最初に入れたご学友の証言

新天皇陛下「帝王学」体現とご学友 雅子さまとのご婚約報道を最初に伝えたご学友証言

記事まとめ

  • ご学友によると陛下は特別扱いがお嫌いで一学生として振る舞いたい思いが強かったそう
  • いじわるな物言いや人の揚げ足をとることはなく「帝王学」の体現とご学友は口を揃える
  • 立花眞氏は、陛下と雅子皇后のご婚約報道を最初にお耳に入れたといい陛下の様子を証言

「雅子さんと婚約」スクープを新天皇のお耳に最初に入れたご学友の証言

「雅子さんと婚約」スクープを新天皇のお耳に最初に入れたご学友の証言

新天皇陛下と新皇后陛下

■ご学友が語る「新天皇」知られざる素顔(2/2)


 ご学友5人が明かす、「新天皇」の素顔。学習院初等科から同大大学院に進まれた陛下は、特別扱いがお嫌いで、一学生として振る舞いたい思いが強かったという。(※即位前の取材に基づくため、記事中では以前の敬称を採用)

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 校内を歩けば侍従や護衛官がぞろぞろ動く。厳重な警護体制を除けば他の学生と変わらぬ生活を送られたかに見える殿下だが、やはり自ずと異なる面も見られた。「ご学友」が口を揃えるのは、「帝王学」の体現だ。

 初等科から大学院まで同級生だった乃万暢敏(のまのぶとし)氏は言う。

「普段は一学生として過ごしていますが、公務では自然と相手に感謝の気持ちを述べたり褒め称えたり、二つのお顔をうまくスイッチされているんです。場面によって礼節を持って振る舞い、私たちのような友人に対しては付き合いの次元を変えていく。変幻自在にスイッチが出来る方でした」

 音楽部での2年後輩に当たる竹内尚子さんも言う。

「初めてお会いした時に思ったのは“世の中にこういう方がいらっしゃるんだ”ということ。いじわるな物言いをされたり、人の揚げ足をとられたりしたことが一切ない。どんな話をしても“うん、うん”と受け止めてくださいますし、人の話を忘れない。社交辞令も言わない方です。会話のキャッチボールで、殿下はすごく良いボールしか返しませんから、私まで良い人になれるんです」

 かつて殿下は、大学卒業に当たっての記者会見で花園天皇の「誡太子書(かいたいしのしょ)」に感銘を受けたと述べられているが、

「私もこの書を調べてみましたが、天皇が皇太子に向けて血筋だけでなく自分で学ばなければ上に立てないと述べている。殿下もこうしたお考えの下で努力されていたのだと思います」


■お忍びで小料理屋へ


 卒業後、殿下は大学院に進み、イギリス留学も経験、公務にも励まれた。「ご学友」との付き合いも続いた。

「殿下がオックスフォードから帰国されてからはよくお食事をご一緒しました」

 と述べるのは、幼稚園から中等科まで一緒だった立花眞(しん)氏である。

「もちろん友人ということもありますが、ある席でご一緒した三笠宮寛仁親王から、べらんめえ調で“彼を生かすも殺すもお前ら次第だぞ”と言われたことがあるんです。御所の中ではわからない世界を経験させられるのはお前らしかいない、とおっしゃりたかったのでしょう。その一件以来、食事をご一緒することが多くなった。殿下がいらっしゃるとわかると構えてしまうので、あえて店には事前に伝えなかった。赤坂の小料理屋でご一緒した時は、大将が、入ってきた殿下を見て、“今誰が通った? どういうことだ?”と驚いていた。最初の一杯をお酌してくれる女将さんも、殿下のところではたと気づき、しどろもどろになって完全に手が止まってしまっていましたよ。その際には、急に御所まで歩いて帰りたいとおっしゃって、皇宮警察があたふたしていたものです」

 気の置けない友と傾ける杯は、殿下にとってかけがえのないものだったに違いない。


■婚約スクープに絶句


 平成が幕を開けて程ない32歳の年、殿下は大きな転機を迎えられる。外務省のキャリア官僚だった雅子妃殿下とのご結婚は世間を驚かせた。

「実は殿下のご婚約報道について、最初にお耳に入れたのは私なんです」

 と、先の竹内さんは貴重な証言をする。

「その日は毎年恒例の安田ゼミOBの新年会でした。席の最中、自宅の主人から“ニュースで殿下がオワダナオコさんと婚約したって言ってるよ”と電話が入ったんです。“雅子さん”を“ナオコさん”と間違えて伝えてきたんですね。当時、そういう報道はしょっちゅうありましたし、私も名前がナオコですから冗談で“殿下、ナオコさんと婚約なさったんですね”と申し上げると、殿下も“そうですか、またですか。ナオコさん……そうですか”と笑っていらっしゃいました」

 ところが――。

「続けて殿下が“ナオコさんの苗字は何とおっしゃるんですか”とお聞きになるので、“オワダさんとか何とか……”と言うと、急に真顔になられて……。侍従の方も入ってきて何やら耳打ちされますし、外にマスコミも集まってきた。メンバーの誰もテレビを付けようとしませんでした。そうこうするうちに皇宮警察の方が次々と来て、殿下は守られるように帰宅されていきました」

 おそらく竹内さんはご友人で初めて殿下に祝意を述べた人かもしれない。

「殿下の雅子さまへのお気遣いには驚きました」

 とは、先の乃万氏である。

「ご成婚直後、御所で同級生を集めてお披露目の席がありました。その時、雅子さまがどなたかに話しかけられると、殿下もすぐに近づいておひとりにならないようにする。雅子さまのプレッシャーにならないよう、お気遣いをされていたんでしょう。ご成婚5年目の夏には偶然、旅先の裏磐梯で一緒になり、家族で個人的にホテルにお招きいただいたことがありました。妃殿下はお元気で私の息子の面倒をよく見てくださいました。行動的な方でもあり、殿下に“こういう話があるんだけどどうしようかしら”と提案なさっていたのが印象的でした」

 この数年後、雅子妃は「適応障害」で長期のご静養に入り、それに関係して殿下の、いわゆる「人格否定発言」が飛び出す。ご発言は宮中を揺るがし、批判の声も上がった。15年経った今なお雅子妃のご体調は万全ではないが、殿下はご学友にはその悩みについては一切語らず、これまでと変わらぬように振る舞われたという。これもまた「帝王学」の表れであろう。


■新時代の天皇像


 こうしてお付き合いを続けられて40年超。5月、殿下は日本の象徴となられた。

 どのようなご心境でいらっしゃるのだろうか。

「この1月、殿下にお会いしたのですが……」

 と竹内さん。

「冗談で“新元号、ご存知じゃないんですか”と聞いたら、“本当に知らないんです”と笑いながら否定されていました。“宮中儀礼は国民が知らないものばかりですからYouTubeなどで流したらどうですか”なんて失礼なことを申し上げたら、“そ、それは……”とビックリされていました」

 先の乃万氏も正月、御所を訪問した。その際、こんな意見提言をしたという。

「即位後もご自身の研究を続けていただきたい。限られた『水』の活用は、日本にとどまらず、今世紀の世界共通のテーマです。この点で日本がプレゼンスを発揮することが出来れば、新しい時代の天皇像を示すことになりうるのではないでしょうか、と。殿下はまっすぐに目を見つめ、大きく頷いてくださいましたよ」

「殿下」が「陛下」に変わられても、「令(うるわ)」しく「和(なご)」やかな「ご学友」との交流は続いていくことであろう。

「週刊新潮」2019年5月2・9日号 掲載

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