14億円横領事件「アニータ」夫が出所後経理職に再就職もふたたび持ち逃げか

14億円横領事件「アニータ」夫が出所後経理職に再就職もふたたび持ち逃げか

アニータ・アルバラード

■ジャン・バルジャンになれなかった14億円横領の「アニータ」夫(1/2)


 三つ子の魂百までとは言うが、聖人のような人物の導きがあれば、手を汚しても、あのジャン・バルジャンのように心底更生することができるのだろうか。しかし、14億円もの巨費を横領してチリ人妻に貢いでいたあの男は、救いの手も振り切って逃亡していた。

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 ジャン・バルジャンとはご存じ、ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の主人公である。飢えに苦しむ甥っ子たちを救おうとパンを盗んで19年も投獄され、社会への深い憎しみを抱いて出所するが、ミリエル司教の慈愛に触れ、それからはわが身を犠牲にして人々に尽くした――という説明で、思い出していただけただろうか。

 実は東京の新宿に、現代のミリエル司教と目されている男性がいる。公益社団法人「日本駆け込み寺」の玄秀盛代表(63)だ。元受刑者たちに仕事を斡旋して社会復帰を後押ししており、活動の拠りどころは、「人を信じること」だという。

 そこに、だれもが知る男が飛びこんできたのだ。千田郁司(61)という名でピンと来るだろうか。勤務先であった青森県住宅供給公社から巨費を横領して、チリ人妻のアニータ・アルバラード(46)に貢いでいた、あの男である。

 お忘れの方もいるだろうから、千田氏が起こした事件のあらましを、まずは振り返っておきたい。

 くだんの公社の経理課主幹だったこの男が、公金を横領しはじめたのは1993年ごろ。借金返済や、スナックなどで遊ぶ金に充てるためで、次第にその額が膨らんだ。なにしろ、高級クラブに頻繁に通っては一晩に数十万円を使い、気に入ったホステスに、何百万円も現金を渡したり、数百万円相当の貴金属を贈ったりしていたというのだ。

 そして97年3月、飲食店でアニータと知り合い、その年7月に結婚すると、このチリ人妻が求めるがままに、チリでのレストランや病院の開業資金から、プール付き豪邸の建設資金にいたるまで、少なくとも8億円、一説によれば11億円を貢いだという。

 2001年10月、仙台国税局の税務調査が入ると東京に逃げたが、逃亡先でも高級ホテルに宿泊しては、クラブで豪遊してホステスに高級時計や貴金属を贈っていたという千田氏。12月にあえなく御用となったが、計186回におよんだという横領の総額は、約14億6千万円。02年12月、青森地裁で懲役14年の実刑判決がくだされ、確定したのである。

 ちなみに、アニータの豪邸を売却したり、公社から民事で損害賠償を請求された元理事長らが和解金を支払ったりして回収できたのは、1億4868万円のみで、訴訟費用を除いた残額は5千万円余り。公社は09年に解散しているが、要は14億円の穴は、いまも開いたままだという。


■「一生を捧げます」


 とまれ千田氏、たいしたタマである。横領の動機も不純なら、被害の程度はジャン・バルジャンと比べるべくもない。だが、16年4月に山形刑務所を出所するまでの獄中生活は、ジャン・バルジャンよりは短いが、4847日におよんだ。すなわち14年の贖罪の日々に、出所後の“司教”との出会いが重なれば、さしもの千田氏も、世のため人のために生きる準備が整ったということだろうか。

 ところが、日本駆け込み寺の玄代表は嘆くのだ。

「千田は僕が執筆を勧めた手記に、“日本駆け込み寺の事業を通して社会に恩返しをしたい”“この地が私にとっての終の棲家となるように努力していきたい”などと書きながら、もうここにはいないんです」

 事ここに至るまでの経緯を、玄代表に語ってもらうしかあるまい。

「17年12月、千田から手紙と履歴書が送られてきて、そこには出所後の生活苦が綴られていました。岡山県に住んでみたが、なかなか仕事が見つからず、上京を考えているが助けてもらえないかと。すぐに履歴書に書いてあった携帯番号に電話すると、おどおどした声で“アニータ事件ってご存じですか。僕は有名人なんです”と話すので、あの14億円横領事件の張本人だと気づきました。でも、仕事も居場所もなく孤独だというので、ほな助けたろ、と思って、東京で会う約束をしたのです」

 さて、年明けに新宿の日本駆け込み寺の事務所で面会すると、

「やっぱり出所者特有のおどおどした話し方で、目を合わせようとせず、話しながらチラッと僕を見る感じ。引っ越し費用は出せるかと聞くと、300万円ほど貯金があるという。出所後も身内に援助してもらっていたようでした。紹介した物件に住むことを決め、僕らがプロデュースする新宿駆け込み餃子という飲食店で、3月からアルバイトをすることも決めました」


■経理の仕事を得るも…


 その後は、多少の紆余曲折があったという。

「ところが、駆け込み餃子は1カ月ほどで辞めてしまいました。皿洗いもできないのでホール業務を担当していましたが、若い人にアゴで使われたりもして、キツかったのでしょう。ただ、本人は“アニータ事件のことをバラされたから”と言っているようですが、彼は酔うと口が軽くなる。僕たちは口外しませんが、初対面の人にも“僕の名前をネットで調べると出てきますよ”とか言ってしまうんです。その後、ヤマト運輸でも働いたみたいですが、左足を骨折したとかで辞めてしまい、困っている千田と10月末ごろ会いました。そこで僕は、“11月からうちで経理の仕事をしないか”と持ちかけたんです」

 人を信じる玄代表の本領発揮、であろう。

「言い方は悪いですけど、泥棒に経理を任せるなんて、とスタッフみんなから猛反対されて、実際、当時の経理と総務の社員2名が辞めてしまいました。でも、元泥棒だとマークされているからこそ、悪事ができるわけはないし、それに、普段の活動では出所者を信じて支援しているのに、自分の団体に出所者がきたら拒絶するのはおかしい、と思ったんです。罪を犯した経験があれば、悪事を防ぐことに長けているだろう、とも考えました。彼に賭けてみたんです。うちの団体は利益があまり出ないので、週4日、6時間勤務で、月10万円しか支払えないと伝えましたが、彼は“月7万5千円の年金もあるから生活できます”と。職員が2人辞めたときも、“ここに一生を捧げます。玄さんを支えます”と言ってくれていたんです」

 実際、一時は経理という元の鞘を与えられた千田氏は、水を得た魚のようだったというが……。

「働きはじめると、さすがは元経理という働きぶりで、粗さがしが上手い。千田が“万一計算が合わなくて自分が疑われるのは嫌だ”というので、金庫も用意しました。ところが、千田は3月8日以降、行方をくらまし、金庫に入っていたお金が足りなくなっていたのです」

 金庫にあるはずの約7万円がないほか、使途不明金が14万円ある、と玄代表はいうのだ。

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年5月23日号 掲載

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