元農林水産事務次官が長男を殺害 長男の家庭内暴力の原因は学校でのいじめか

記事まとめ

  • 元農林水産事務次官の熊沢英昭に殺害された長男の家庭内暴力は中2から始まったという
  • 長男は都内屈指のエリート校・私立駒場東邦中学、高校から代々木アニメーション学院へ
  • 長男が家族に暴力を振るうようになった原因の一つは学校でのいじめだったという

「元農水次官」がエリート校出身の息子を刺殺するまでの「家族の肖像」

 元農林水産事務次官の熊沢英昭(76)に殺害された長男、英一郎さん(44)の家庭内暴力は、中学2年の時に始まっていたという。長きに亘った家族の修羅。それに“結着”をつけた元次官の背中を押したのは、直前に起こった無差別殺傷事件だった――。

 殺人事件が起こった際、断罪されるべきは犯人のみである。社会や時代といった要素はあくまでそれに付随するものとして語られるに過ぎない。しかし、今回の事件は犯人の罪そのものより、社会の暗部を我々に突きつけているように見える。ある無差別殺傷事件が別の殺人事件の呼び水になる。その点だけを見ても、今回の事件は「異様」の一言だ。

 事件現場となったのは、東京都練馬区にある2階建ての一軒家。「息子を刺し殺した」と熊沢元次官が自ら110番したのは、6月1日午後3時半頃だった。犯行に使われたのは台所用の洋包丁で刃渡り15〜20センチほど。英一郎さんは胸など10カ所以上を刺されており、約1時間後に搬送先の病院で死亡が確認された。

「当日は家に隣接する小学校で運動会が行われており、“(音が)うるせぇな。ぶっ殺してやる”と騒ぐ英一郎さんを熊沢元次官が注意し、口論になっていた。取調べでは、先日、川崎市で小学校の児童ら20人が殺傷された事件に触れ、“息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった”“周囲に迷惑をかけたくないと思った”と供述している」(警視庁関係者)

 熊沢元次官は都立上野高校から東大法学部へ進み、1967年、当時の農林省に入省している。2001年1月に農水省トップの事務次官に就任したが、BSE(牛海綿状脳症)への同省の対応に批判が集まり、翌02年1月に辞任した。

「彼はとても穏やかで面倒見も良く、上司からも部下からも慕われていた」

 と、農水省の同期。

「同期で大臣官房秘書課長を務めたのは彼だけ。省内調整の能力と、篤い人望がなければ秘書課長は任せられませんが、彼はまさに適任でした。オックスフォード大に留学していたこともあり、非常に英語が達者で国際交渉にも長けていた。彼はアメリカにある日本大使館の1等書記官をしていたこともあるのですが、その時、“君の英語はクイーンズイングリッシュだね”とからかわれた、と本人が言っていました」

 仕事一筋の「堅物」だったかというとそうでもないようで、

「彼はすごく歌が上手で芸達者なのです。演歌から民謡、日本の古い小唄まで歌います。同期の結婚式では、いつも彼が作詞を手掛け、別の同期が作曲した曲を披露してくれました。お酒も強かった。彼自身の結婚は確か、30歳くらいだったと思います。奥さんとの仲は良く、最近も何度か夫婦で旅行に行かれたそうです」(同)

 熊沢元次官と最後に会ったのは今年2月の同期会で、

「いつも通り、元気そうに見えましたけどね。息子さんと娘さんがいることは何となく知っていましたが、その時も特に家族の話はしていませんでした」(同)

■コミケで父と肩を並べ…


 子どもには良い教育環境を、と考えたのだろう。英一郎さんは都内屈指のエリート校である私立駒場東邦中学、高校の出身。妹は学習院女子中等科から高等科、学習院大学へと進んでいる。ただし、英一郎さんはこの時期、後の人生に影響を及ぼしたであろう挫折を経験している。駒場東邦からは毎年、数十人が東大に入るが、彼が進んだのは代々木アニメーション学院。高校の時の同級生によれば、

「クラスの中でもいわゆる“オタク”のグループに属していました」

 家庭での「異変」はそれよりも前に起こっていた。前述した通り、中学2年の時から家族に暴力を振るうようになったのだが、その原因の一つは学校でのいじめだったという。

 英一郎さんのものと思われるツイッターのアカウント「ドラクエ10ステラ神DQX」にはこんな記述がある。

〈私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ〉

〈だから中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている〉

〈愚母はエルガイムMK−IIを壊した大罪人だ。万死に値する。いいか?1万回死んでようやく貴様の罪は償われるのだ。自分の犯した罪の大きさを思い知れ。貴様の葬式では遺影に灰を投げつけてやる〉

 これらはいずれも17年のツイートだが、それ以前から、自身のHPにも同様のことを書き連ねていた。

「熊沢英一郎さんとは、04〜05年頃に知り合いました。コミックマーケット(コミケ)で当時、私が作っていたマンガの同人誌を購入してもらったのがきっかけで、最初はメールでのやり取り、その後、彼がHPを開設してからは日記や掲示板での交流がありました。当初、私は自分の作品にファンがついたと喜んでいたのですが……」

 と、知人の一人が語る。

「彼のHPを閲覧し、日記や掲示板の書きこみを見ると、いわゆるネット弁慶的な暴言、母親に対する激しい憎悪、自分の病気自慢や自己中心的、誇大妄想的な発言が多々あった。ちなみに、それらの記録は今は見られません。で、深く付き合うのは面倒な相手だと思い、付かず離れずを常に意識していました。また、好きな物には盲信的、嫌いな物は蛇蝎の如くといった一面も強く窺えました」

 ある時、この知人が自らのブログで自分がヘビースモーカーであることを匂わせたところ、

「それ以降、コミケで会う度に差し入れとしてタバコを1カートン贈られるようになりました。また、私が新刊を出すとほぼ毎回、同じ物を複数冊購入してくれました。数千円もかかる差し入れをしたり、同じ作品を複数冊購入する人は他にはいません。どこか、他の人とはズレた感覚があるように感じていました」(同)

 英一郎さんは自分の作品を売る側としてコミケに参加したこともあったという。

「その時に一度、お父様にもお会いしました。コミケのブースに挨拶に伺った時に隣の初老の方を指し、“父です。父もあなたのファンなんですよ”と言っていましたね」

 そう話すこの知人は15年頃まで英一郎さんとの交流があったというが、

「05年から10年頃までは、彼との会話の中で、パン職人をしている、との話がありました。彼が作ったシュトーレンというドイツの焼き菓子を差し入れに頂いたこともあります」

 英一郎さんは12年に「ドラゴンクエスト] 目覚めし五つの種族 オンライン」が発売されると、それに関するツイートを頻繁に行うようになった。

「彼は自分のツイッターやドラクエ10内のチャットで『元事務次官の息子』であることを公言し、それを盾に『お前たちは私にはかなわない。生まれた時から環境が違う』といった内容の発言を繰り返し、他者に対する誹謗中傷をしていました」

 そう語るのは、英一郎さんのネット上の知人。

「そのために彼は他の人からの“ウォッチング対象”になっていたのです。中にはバカにするような人もいて、そういう人たちに対して彼は『お前らみたいな底辺が私に歯向かうな』と反論。そういうトラブルを何度も起こしていたようです。また、彼はアカウント停止処分になったことがあるらしく、ゲームの運営会社であるスクウェア・エニックスに対しても不信感を抱いていました」

 働きもせず、ゲームとネットにどっぷり浸かった生活を送っていた英一郎さんが、練馬の実家で再び両親と暮らし始めたのは事件の1週間ほど前だった。

「それ以降、口癖のように“ぶっ殺す”と言い、両親を殴ったり蹴ったりする状況が事件当日まで毎日続いていた」(社会部デスク)

 前述した通り、事件当日、英一郎さんは隣接する小学校の運動会の音に文句を言い、“うるせぇな。ぶっ殺してやる”と騒いでいた。それを目の当たりにした熊沢元次官の脳裏に川崎の事件がよぎり、息子を殺害する決意をメモに記した上で犯行に及んだのだ。

「週刊新潮」2019年6月13日号 掲載

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