雅子皇后「皇室外交」で復権! “私は国民に受け入れられている”と実感なさった瞬間

■雅子皇后に復権をもたらした5つの僥倖(1/2)


 新天皇のご即位から2カ月余り。上皇ご夫妻が二人三脚で築いてこられた「平成流」ご公務は、令和の御代でも引き続き健在である。今なお長期療養中でありながら堂々“復権”を果たされた雅子皇后。見違えるようなお振る舞いの裏には、五つの“僥倖”があった。

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「ご公務を休まれて批判を受けていた頃とは、たたずまいがまるで異なります」

 古参の宮内庁職員を感嘆せしめた新皇后は現在、まさしく別人のように溌剌とご公務に臨まれており、

「正直なところ、ここまで好調が続くとは、我々も予想していませんでした」

 そう話すのは、宮内庁担当記者である。

「5月下旬に来日したトランプ大統領夫妻の歓迎行事ではフル稼働され、続いて6月1日からは『全国植樹祭』ご出席のため1泊2日の日程で愛知県へ行幸啓されました。これは上皇ご夫妻から受け継いだ大切な行事で、四大行幸啓の一つでもある。晩餐会などのお疲れが残っていれば、あるいはご欠席か、という一抹の不安があったのですが、それも杞憂に終わり、皇后さまはにこやかにお務めを果たされていました」

 その後も好調のまま、

「両陛下は7月1日にトルコ大統領夫妻と会見なさいましたが、この時皇后さまは、これまで苦手とされてきた和服で臨まれました。平成終盤の園遊会では和装が何度かありましたが、園遊会でのお召し物は基本的に皇后さまがお決めになり、他の女性皇族はそれに倣うしきたり。つまり今回は自らのご意思で、縁遠かった和服を選ばれたわけで、大きな進展だと思います」(同)

 かように幸先良いスタートを切られた雅子皇后の“源”となったのは、

「何よりも自信を回復なさったことが第一でしょう」

 とは、ベテラン皇室ジャーナリストである。

「ご成婚当初から雅子さまは、キャリアを生かして『皇室外交』を担いたいと希望なさっていました。ですが、それも叶わず2003年冬には帯状疱疹を発症して入院され、その後は長期療養に入られてしまう。皇太子妃としての生活は思い描かれていたものとは大きく異なってしまい、04年5月には皇太子さま(当時)の『人格否定発言』となって発露したのです」

 以来、15年である。

「御代替わり後は、まさしく水を得た魚の如し。6月27日に会われたマクロン大統領夫妻ともフランス語で話し込まれるなど、元外交官の面目躍如でした」(同)

 そうした自信回復に繋がる“光景”が、先ごろ見られたと言うのは、さる宮内庁関係者である。

「6月の愛知ご訪問です。両陛下は名古屋駅からお車で移動されましたが、沿道には来県を喜ぶ市民が鈴なりで、人波は全く途絶えずに歓声が上がっていました。それに応えて両陛下もお手振りをなさるので、車は道中、ずっと徐行せざるを得なかった。こうした光景をご覧になった皇后陛下が“私は国民に受け入れられている”と実感なさったのは想像に難くありません」


■メディアへの不信感


 お気持ちに自信が漲(みなぎ)れば、おのずと余裕も生じるのが自然で、それは予想だにしなかった二つ目の“僥倖”をもたらしたという。

「皇太子妃時代は“ご公務そっちのけでご家族の行事優先”あるいは“ご公務の選り好み”などと指摘され、しばしば批判的な記事が世を賑わしてきました。ですが、令和を迎えてそうした論調は手のひらを返したように影を潜め、ご活動を讃える記事が目立っている。雅子さまがマルチリンガルでいらっしゃると知ったネットユーザーからは“皇后様かっこいい”といった書き込みもなされるほどです」(前出ジャーナリスト)

 かつてはメディアにもっぱら不信感を抱かれており、冒頭の古参職員によれば、

「ご自身の適応障害での療養生活や、愛子さまの不登校問題などでバッシングを受けてきた雅子さまは、カメラを向けられるのをことさら嫌っておられました」

 それは例えば、愛子さまの学校行事において顕著だった。11年10月、学習院初等科で行なわれた運動会で、雅子さまはあらかじめ用意された来賓席でなく一般席に座るべく、場所取りのため早朝から校門前に東宮侍従らを並ばせたのである。

「表向きの理由は、一般の保護者としてご覧になりたいというものでしたが、本当は取材設定のカメラから捉えられにくい席を確保なさるためでした。実際に雅子さまはその日、ご観覧中にお顔が隠れるポジションのお席に座られていました」

 記者会見もまた、ご静養前の02年12月を最後に行なわれておらず、

「13年6月9日、ご成婚20年についての報道が一斉になされ、これを受けて翌日、雅子さまは東宮御所の前で報道陣に『昨日は色々有難うございました』とお声掛けされました。こうしたイレギュラーを除けば、我々は療養に入られてから雅子さまの肉声にほとんど触れていません」(前出記者)

 それが最近、こんな場面があったというのだ。

「5月27日、トランプ大統領夫妻を招いた晩餐会の日です。終了後、夫妻の車列をお見送りされた両陛下は、脇に陣取っていた報道陣から“お疲れさまでした”と声が掛かると、にこやかに『お疲れさまでした』とおことばを返され、会釈なさったのです」(同)


■紀子妃の「過剰適応」の果てに


 メディアと言えば、大きく潮目が変わったのが一連の「小室問題」であろう。

「小室圭さんの存在が報じられた17年5月以降、世間の注目はもっぱら秋篠宮家に向けられていきました。一方で東宮家は、御代替わりを控えながらも話題に上る頻度が減っていったのです」(前出ジャーナリスト)

 ともあれ雅子皇后は、ネガティブな視線が集まっていた状況から脱出を果たされ、さらに17年暮れ、小室さんの母親が抱える金銭トラブルが露呈する。

「それ以降、まるで弟宮ご一家が全てを背負われたかのように、東宮家へのバッシングは沈静化に向かいました。結果的にこの流れは、絶えず世論に晒され緊張を強いられてきた雅子さまから無用な重圧を取り除き、安静を取り戻されることに“寄与”したと言えます」(同)

 問題を抱えつつ時代を跨いでしまわれた秋篠宮家。雅子皇后に先んじること3年、90年のお輿入れ以来ひたすら上皇后さまをお手本とし、時に「過剰適応」と言われた紀子妃のお嘆きは察するに余りある。何しろ、あらぬ形で新皇后へ“三つ目の僥倖”をアシストなさってしまったのだから――。

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年7月25日号 掲載

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