どう「悠仁さま」に皇位継承すべきか 秋篠宮さまは“ショートリリーフ”でご即位を

 令和の御代になって、いっそう切実な問題として迫ってきたのは「皇室の存続」である。男系男子による継承が続けられるか否かは、悠仁さまお一人の肩にかかっている。だが、その将来設計はきちんと練られているのか。最大の懸案である「ご教育」と「ご結婚」への直言。

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■「悠仁さま」の「帝王学」と「お妃探し」――八幡和郎(1/2)


「21世紀の後半に皇后となるべき人は、もうすでにこの世にいて、小学生か中学生なのだ。お妃選びはもうスタートしていなくてはならないはず」

 と、皇室と縁の深い人が心配するのを聞いた。

 いわれてみれば、悠仁さまのお妃になるべき人は、すでに物心がついているどころか、この記事を読んでいるかもしれない。呑気に構えていられる状況ではないはずだ。

 令和の御代が、明るい新緑の季節に始まった。雅子新皇后のご体調に不安はあるが、美智子上皇后と同じスタイルを取られる必要もないのだから、無理をなさらないように望みたい。国民の納得を得る新しいスタイルを徐々に打ち出していかれればよいと思う。

 一方、新陛下については、年齢的にもっとも充実される時期である。昭和・平成の御代にあって、将来の天皇となる心づもりで2人の陛下のなさりようをしっかりご覧になってこられたし、若い頃には皇室の伝統をよく知る老臣たちも周辺にいたから、なんの不安もないと思う。留学中に、ヨーロッパ各国の国王の帝王学を直接目にしてこられたことも心強い。

 しかし、その次ということになると、いろんな意味で満を持してということにならない可能性が高い。

 まず、どなたが継承されるかすら議論が尽きないのである。しかも、神武天皇による建国から2000年以上も受け継がれている男系男子による継承が続けられるかは、たった一人の少年の肩にかかっているという状況だ(万世一系には異論もあるが、私は肯定論を近著『令和日本史記』でも書いている)。その危うさは、通学されている中学校への侵入事件でも痛感された。

 この難局を乗り切っていくためには、菊のカーテンの向こうの出来事として関係者だけにまかせておけない。「皇室や宮内庁で間違いない対応をしているから、下々がとやかく言う必要は無い」という世間の常識が間違っていることは、眞子さまと小室圭氏の泥沼婚約劇でも明らかになった。

 あの一連の出来事で、見切り発車での暴走を阻止できたのは、週刊誌やネット・メディアの勇気ある諫言の結果である。テレビも新聞もなんの役割も果たせなかった。道鏡の皇位さん奪を阻止した現代の和気清麻呂は、「週刊新潮」など週刊誌やネットのなかにしかいなかった。なにしろ、皇族方が正しい情報を得るための手段さえ、週刊誌やネット頼りというお粗末なありさまだ。

 皇室報道では、それなりの敬意を払うことが必要であるのはいうまでもないが、危機的状況であることを知りながら面倒に巻き込まれるのを嫌って報道しないのは、正しい姿勢ではないし、皇室を大事にすることでもなかろう。


■何歳でおつなぎするか


 さて、こののち天皇にどなたがなられるかといえば、愛子さまという声もあることは承知しているが、現行の皇室典範では、新しく皇嗣殿下になられた秋篠宮さまがまず継承され、さらに、悠仁さまにつなぐことになる。だが、具体的に何歳でということになるのか。

 まず、上皇陛下、今上陛下、秋篠宮皇嗣殿下、そして悠仁さまの生年月日と令和改元時点での満年齢を確認したい。

明仁上皇陛下
 1933年〈昭和8年〉
 12月23日(85歳)

徳仁天皇陛下
 1960年〈昭和35年〉
 2月23日(59歳)

文仁皇嗣殿下
 1965年〈昭和40年〉
 11月30日(53歳)

悠仁親王殿下
 2006年〈平成18年〉
 9月6日(12歳)

 もし仮に、上皇陛下と同じ年齢で徳仁新天皇が退位されるとしたら、85歳と4カ月あまりであるから、2045年6月末である。この時点では、秋篠宮さまは79歳、悠仁さまは38歳である。そして、また、2051年3月末に同じ年齢で秋篠宮さまも退位されるとすると、令和の次の年号は7年までということになる。

 これはあまりにも短いし、79歳の天皇即位というのも現実的でない。そこで私は、そのときの状況で、今上陛下から悠仁さまに直接継承していただくか、逆に、今上陛下に少し早めに退位いただいて、10年くらいは、秋篠宮さまに在位していただくかのどちらかがよいと提案してきた。

 今上陛下から悠仁さまへ直接バトンタッチする場合、考えておかねばならないのは、その時点での悠仁さまの年齢と家族状況だ。

 少なくとも、天皇陛下になられてからの結婚相手探しというのは避けたい。それでは、結婚相手はいきなり皇后陛下にならなくてはいけないことになる。

 できれば、悠仁さまが結婚され、子作り子育ても一段落されるまでは即位を避けたほうがよい。悠仁さまが男子を得られるかどうかは、皇室制度にとって特別な意味を持つからなおさらだ。場合によっては、やはり秋篠宮さまにショートリリーフでも即位していただかねばなるまい。


■ベルギー王室の前例


 こうした場合に参考になるのが、ベルギー王室の前例だ。ベルギーにおけるここ3代の国王の生年月日はこうなっている。

ボードゥアン1世
1930年9月7日(1993年7月31日逝去)

アルベール2世
1934年6月6日

フィリップ現国王
1960年4月15日

 ボードゥアン王には子どもがなかったが、皇太弟のアルベールとその妃であるイタリア美人のパオラ王妃の自由奔放な生活ぶりから、アルベールは国王に相応しくないと言われていた。そこで、アルベールの長男であるフィリップ王子に直接継承することが噂され、伯父であるボードゥアンも海外訪問に同行させるなど帝王学を伝授していた。

 ところがボードゥアンが1993年に62歳という若さで逝去されたとき、フィリップはまだ33歳で独身だった。そこで、アルベールがやむを得ず、即位することになった。その後、フィリップは1999年に結婚。子どもにも恵まれて、子育ても落ち着いた2013年に父のアルベール王が退位し、フィリップが即位した。

 このやり方は非常に成功した。悠仁さまへの直接のバトンタッチと、秋篠宮さまのショートリリーフ、どちらも可能な両睨みでいくべきだという所以である。

 ベルギー王室と皇室の関係は深い。昭和天皇の訪欧実現は大阪万博のときに来日したアルベール皇太弟(当時)の尽力によるものだし、ボードゥアン国王は留学中の今上陛下を我が子のように可愛がった。フィリップ現国王の結婚式には今上陛下と雅子皇后も出席されている。

 しかし、いずれにせよ、秋篠宮さまが天皇になられるにしてもショートリリーフとしてでしかない。そして、今上陛下、秋篠宮さまのお二方と、悠仁さまの年齢差は40歳以上であり、普通の一世代より長い。ならば、帝王学の伝授も結婚も子作りも早めがよい。それを円滑に進めるためには、悠仁さまの帝王教育についての両陛下と秋篠宮家の分担や、宮内庁の態勢整備に万全を期す必要がある。

(2)へつづく

八幡和郎(やわた・かずお)
評論家。1951年滋賀県生まれ。東大法学部卒。通産省に入り、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任。徳島文理大学教授。著書に『誤解だらけの皇位継承の真実』『令和日本史記』など。

2019年5月23日号 掲載

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