教育熱心な父親が中学受験勉強中の息子を「教育虐待」して刺殺するまで

■あなたも加害者と紙一重という「教育虐待」――おおたとしまさ(1/2)


 子どものために、と親は本気で思っているが、過度な期待の下、わが子に行きすぎたしつけや指導をしてしまう。そんな教育虐待がいま各地で報告されている。他人事だと思うだろうか。だが、虐待で子どもをつぶしてしまうか、いなか、だれでも紙一重である。

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 2016年8月21日、愛知県名古屋市で当時小学6年生だった佐竹崚太(りょうた)君が、胸を包丁でひと突きされて亡くなった。犯行におよんだのは、崚太君の中学受験勉強を二人三脚で見てきた父親だった。

 19年6月21日から7月19日まで10回にわたって開かれた公判では、教育熱心な父親がわが子を刺殺するに至るまでの経緯が事細かに検証され、検察は被告人・佐竹憲吾(51)の犯行を「教育の名を借りた虐待」と非難した。

 憲吾被告は日ごろから、刃物をちらつかせることで崚太君を脅し、勉強させていた。最初はカッターナイフだったが、それがペティナイフになり、包丁になった。事件前々日夜には、車の中で崚太君の太ももに包丁を押し当てて「オレが覚えろと言ったものはすべて覚えろ」「書けと言ったら死ぬほど書け」と脅していた様子がドライブレコーダーに残っていた。

 事件当日憲吾被告は、起床が遅れなかなか勉強にとりかからなかった崚太君にいらだち、包丁で脅したところ、崚太君が泣き出したためさらに激高した。そして気づいたときには崚太君の胸に穴が開いていた。憲吾被告は刺した瞬間のことを覚えていないと何度も証言した。おそらく本当に記憶を喪失しているのだろう。あまりにショッキングな事実から自分の心を守るための防衛本能である。

 いくら勉強しないからと、わが子に包丁を突き刺すなど、あまりに異常な事件に思えるかもしれない。しかしなかなかやる気を出さないわが子についカッとなり、手をあげてしまったことのある親は少なくないのではないか。実際、親に手の甲を鉛筆で刺されたことがあるという話を、私は最近立て続けに2人から聞いた。いずれも受験勉強の最中のことである。そのとき包丁を持っていなかったことが幸いだったと思うしかない。

 受験生を抱える親の心境はそれほどまでにきわどいもの。教育熱心であればこそ、魔が差す瞬間は突然やってくる。

 子どもの受容限度を超えて勉強させることを、近年「教育虐待」と呼ぶようになった。限界を超えて勉強させること自体が教育虐待であり、無理やり勉強させる手段として、暴言・暴力・威圧行為が用いられる。また、そこまでして勉強させる背景として、子どもの進路を親が勝手に決めている場合が多い。

 前述の事件も教育虐待の典型例だといえる。憲吾被告は、崚太君本人が中学受験を望んだとくり返したが、崚太君の母親は「勉強をやめたいと言えないような空気だったからではないでしょうか」と訴えた。憲吾被告もその弟もその父親もそろって名古屋の超進学校の出身で、崚太君は幼いころから同じ学校に通うようにと、親戚一同から期待されていたのだ。名古屋地裁は7月19日、憲吾被告に懲役13年の実刑判決を言い渡している。

 教育虐待の結果、子が親を殺す場合もある。有名なのは1980年に予備校生が金属バットで両親を撲殺した事件だ。進学を巡って東大出身の父親との間に強い葛藤があったことがわかっている。2006年には奈良県の有名進学校の高校生が継母とその子どもたち合わせて3人を殺害し、家に放火した。少年は父親から医師になることを命じられ、成績が悪ければ罵倒され、暴力も振るわれていた。08年の「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人・加藤智大死刑囚が、幼いころから母親による強烈な管理教育を受け、凄絶な虐待を受けていたこともわかっている。

■いじめより多い自殺の原因


 殺人は大きく報道される。しかし教育虐待の末、重圧に耐えられなくなった子どもが自ら命を絶った場合、それが世間に広く知られることはまずない。

「自殺対策白書(19年版)」では、18年の19歳以下の自殺者数が前年比32人増の599人だったことが報告された。統計をとり始めた1978年以降最悪の数だ。全世代の自殺者総数は減少傾向にあるのに、である。

 白書では18年から過去10年をさかのぼり、10代自殺者の原因・動機を分析した。図1からわかるとおり、「家族からのしつけ・叱責」「親子関係の不和」「学業不振」「その他進路に関する悩み」の合計を見ると、男子小学生で67・9%、女子小学生で71・4%、男子中学生で58・3%、女子中学生で47・6%。図2は高校生の自殺の原因・動機。「学業不振」「その他進路に関する悩み」「親子関係の不和」を合計すると、男子で43・2%、女子で30・9%。いずれも「いじめ」よりも圧倒的に多いのだ。

 名古屋での事件が注目されたため、一部報道では「中学受験の激化が教育虐待を招いている」という理屈が見られたが、これはほとんどフェイクニュースである。08年のリーマンショックで落ち込んだ中学受験者数が徐々に回復傾向にあるだけで、急激に何かが変わっているわけではない。しかも首都圏の中学受験の総定員数と総受験者数はほぼイコールで、いわば全入状態。定員割れを起こす私立中学も多数あるのが現状だ。

 中学受験において教育虐待が行われることがあるとすれば、「中学受験は親の受験」とメディアに煽られた一部の親が、わが子の実力以上の志望校を目指して子どもに無理をさせてしまうケースである。中学受験全体が過熱しているわけではない。また、中学受験で教育虐待をしてしまうような親には、仮にわが子が第1志望校に合格しても、その後も教育虐待を続ける傾向が見られる。すなわち、中学受験があるから教育虐待が発生するわけではない。

 山崎晴男さん(仮名)は、小学校低学年のころは毎日習い事漬けにされ、高学年になると食事や睡眠の時間まで惜しんで勉強させられた。母親は晴男さんに、塾に迎えに来た車の中で食事をさせ、夜中の2時まで眠気覚ましのアイスノンを額に巻いて勉強させた。

 第1志望校に合格できたときには親子で喜んだ。しかし晴男さんがほっとできたのも束の間。中学校生活が始まると、母親は難関大学進学のための塾に晴男さんを入れた。成績が下がると家庭教師を付け、部活もやめさせた。晴男さんは母親の首を絞めかけたこともある。それほど母親が怖かった。それでも母親は態度を変えなかった。

 自暴自棄になった晴男さんは学校でトラブルを起こし、高校1年生で中退する。「このまま家に居たら危ない」と感じて家を出て、新聞奨学生として住み込みで働き始めた。両親とのわだかまりは30歳近くになるまで続いた。

 名古屋の事件の憲吾被告も、中学受験では見事第1志望校に合格するも、中1の1学期の中間試験の成績を理由に、父親の命令により野球部をやめさせられている。野球部に入ることこそが、憲吾被告が中学受験勉強を頑張ったモチベーションだった。それから勉強にもまったく身が入らなくなり、結局大学進学をしなかった。憲吾被告が高校生のときには、父親が出刃包丁で憲吾被告を脅したこともあったという。事件の背景には、世代間にわたる負の連鎖もあったのだ。

(2)へつづく

おおたとしまさ
育児・教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。麻布中高卒、東京外国語大中退、上智大卒。リクルートから独立後、教育誌などのデスクや監修を歴任。中高教員免許を持ち、私立小での教員経験もある。最新の著作に『受験と進学の新常識』(新潮新書)がある。

「週刊新潮」2019年8月29日号 掲載

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